ミルク飴③
「どうして、あたしが犯人、だなんて思うんですか」
彼はにんまりと笑み、悪意の滲んだ声で種を明かす。
「いや何、以前から君をストーカーしていてね、犯行現場に遭遇したのさ。ちなみに悪いけど、証拠となりそうな決定的な写真も、撮らせてもらってあるからねー。肖像権がどうとか、主張しないでくれたまえよー? そんな事したら君がお縄になっちゃうからねー。あ、そうそう、見るかい? これが中々良い感じなんだ。良かったら記念に一枚あげ――」
耳元で風のように吹き込まれた言葉に、どくりと心臓が鼓動する。な、何で、そんな、有り得ない! ずっと、ずっと考えて計画を練って、環境も作り上げて、だから、隙なんてなかったはずなのに! 自信を持ってきちんと実行できたと言い切れると思っていたのに、どうしよう、まさか自分がストーカー被害に遭っていたなんて。そんなことから足が付くなんて。
「……どうやら、聞こえていないみたいだねー」
鼻歌君の見せる写真から目が離せない、それは確かにあたしだった。決定的に救いようがなくて、どうしようもないあたしだった。……どうしよう、息ができない。居心地のいい場所から引きずり出された魚のように口を開閉する。喉からこぼれる掠れた空気の音が鬱陶しい。痛い。現実が、痛い。
――ああ、無様だ、今のあたし。何か、何か別の事を考えて気を紛らわさなきゃ……。ああ、喉を伝い落ちる汗の感覚すら鮮明なくせに、肝心のところでまったく頭が働かない。こんな霧がかかったような状態で、まともな思考ができるわけが、
「さーて、君には今二つの選択肢があるけどー、聞くかい?」
正解を囁かれて思わず気が動転したところで差しのべられた、二つの選択肢という甘い言葉に心が勝手に飛びつこうとする。はい、と叫びだしそうな心臓を落ち着けようと息をゆっくりと吐き、鼻歌君を観察する。また勝手に取った飴をゴリガリと噛み砕く鼻歌君は陽気に笑っていて、隠し事など何一つ無いように見えた。
それでも、頷くのには迷いがある。彼を安易に信用してはいけない気がしてならない。これ以上、鼻歌君に弱みを握られてはいけない。なんといっても、彼はストーカーを自白したばかりなのだから。けれど、ここで人生を終わらせることなんて望んでいないのだから、まずは頷くことに決めた。
――本当は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、鼻歌君も殺してしまおうかとも思ったけれど、罪を隠すために罪を犯すなんて愚の骨頂でしかないし、彼だって何の策も講じずにあたしを追い詰めたわけではないだろう。上手くいくかどうか判らない博打をするより、ここは乗っておくのが最善策だと結論付けた。
「よーし。じゃ、僕に通報されるか僕に雇われるか選びたまえよー。僕の探偵事務所は残念ながら只今人員不足の憂き目でね、丁度僕の命令を何でも聞いてくれるような、聞き分けの良い人材を探していたのさー。君みたいなのはピッタリだねー! あー、安心したまえ、僕はこれでも警察のお偉いさん方の弱みは握っているからねー、脅して舌切り事件を迷宮入りさせる事ぐらいモチのロンで朝飯前さ。刑事さんと仲良しになるのは、探偵に求められる素質の一つなんだよー」
あたしの起こした事件に舌切り事件なんて名前がついているのか、と場違いに思った。随分と的を射たネーミングセンスの持ち主がいたものである。まぁ、小さなつづらも大きなつづらも、この事件には登場してこないのだけれど。……舌切り雀の童話に即した場合、あたしは雀から罰を受けなければいけないことになるけれど、これはどう考えたって、もう無理難題な話よね。
そう、あたしはあの人の舌を切り落として捨てた。これ以上、あの人の嘘で傷つく人が出ないように。決して短くない間、あたしとあの人の間にあった嘘に決着をつけるために。そういう理由で切り捨てた。
あたしは瞼を閉じて、思考する振りをする。少しは鼻歌君を待たせてみたかったからだ。少しの間そうしてから目を開けて鼻歌君を見つめ、彼を真似てふっふー、と笑う。
「こんなところで人生終了なんて真っ平御免ですよ。二つ目を選択します」
「そうこなくちゃ! じゃ、僕の事務所に案内するから着いてきたまえよー」
ここから、あたしと鼻歌君の探偵生活が始まった。……んだけど、どうしよう。とりあえず護身のためにスタンガンでも購入するべきかしら。さすがに鼻歌君の命令を何でも聞こうと思えるほど、あたしはあたしをぞんざいに扱っていないつもりだ。
ストーカーに雇われなければいけないなんて、怖すぎて震える。震えるほど会いたい人は、もういないけれど。……ちょっと古すぎたかしら。いやね、歳がばれるわ。なんて気にしてしまうほど、老いぼれたつもりはないけれど。二十歳を超えはしたけれど、ほんのちょっと超えただけだ。あたしだってまだまだ若い。まぁ、鼻歌君と比べたら……いえ、考えては駄目。
写真が数枚出てきておりますが、どんな感じなのかはご想像にお任せします。えげつない感じをお好みでご想像ください。