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つかまってはなりませんっ!  作者: たやまようき
鼻歌とミルク飴
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ミルク飴⑳と⑤


 がちょん、がちょんがちょん。

 魔王くんと仮面師さんの作業部屋にある、真っ白な印刷機が連続的に紙を吐き出している。それを仮面師さんが取りながら目を通し、一枚ずつ重ねていく。


 ……がちょん――。

 印刷機が最後の一枚を吐き出した。仮面師さんはそれまでの紙を全て纏め、あたしに渡してくる。無言で押し付けてくる彼に何か不満の一言でも漏らしてやろうかと思ったけれど、面倒なのでやめた。その代わり、あたしも無言でそれを乱暴に奪い取り、仮面師さんと距離を取ってからそれに目を通した。


 新聞。それはただの新聞だった。捏造されたものだという事を除けば。ここの印刷機は、どうやら特殊なものらしい。新聞を偽造できる印刷機とか、どういう伝手を使ったら手に入れられるのだろう。改めて、鼻歌君の恐ろしさが身に染みる。……末恐ろしさ、かもしれない。

 

 この新聞に真実が含まれているとしても、一面に掲げられている“小学生誘拐事件の被害者が遺体で発見された”というのは嘘だ。あたしは彼女がそれの犯人であるとはまだ認めていないけれど、仮に犯人であったとしても彼女が殺人をするとは思えない。あの子にそこまでの覚悟があるはずがない。ここ最近の出来事で、あの子をそこまで駆り立てる何かがあったとは思えない。


 そう感じて新聞を握り締めていると、仮面師さんがあたしの肩を叩き、振り返ったあたしに階段へ通じるドアを指差した。外に出て深呼吸して気分を落ち着け、前を歩く仮面師さんの背中を見つめながら、あたしは彼に話しかけた。


「仮面師さん、これを一体どうするんですか」

「良い質問とは言えないな。お前の友達らしいあの女に見せるに決まっている。既に被害者が殺されているのは間違いない。探偵がそう言っていた。だが彼女はまだ死体を捨てていないはず。そこでこれを見せて動揺を誘う」


 魔王くんじゃないけれど、物凄く理解したくなくなる喋り方をするなぁ、この人。

 しかし、改めて感心した。大学の時とは違い、おどおどした表情もどもる様子も、まるで無い。相手によってこうも顕著に態度を変えられるのは、ある意味賞賛に値する。変装も、あたしが予想していたレベルを遥かに超えていた。


 それはさておき、――青乃ちゃんが人を殺したと鼻歌君が考えているというのは、割と衝撃的な情報だった。何となくの勘なのだけれど、彼は他の罪より殺人と言う罪に対して敏感というか特別に頭が切れる、そんな感じがしていた。人殺しの血を嗅ぎ分ける、というか。

 ストーカー云々も、あたしを好きだからではなく、あたしを人殺しとして認識したからだろうと推測している。あたしを追い詰める彼の瞳が狩人のようだったから、そんな風に思っているのかもしれないけれど。でも、そんなに間違っていないような気がしている。

 何せちっともセクハラをしてこない。こちらは鋏から金槌まで準備万端だというのに。いつでも正当防衛を訴える覚悟はできている。この国の法律は女性に優しいから、それ一つくらいなら勝訴できる計算だ。……まぁ、その後のことについては、考えたくもないけれど。


 ――でもこれで、彼女が犯人だという可能性は高くなったように感じる。と言うより、そこまで鼻歌君が疑っているのならと彼女を諦める思い切りが付いた。水を与えられた疑惑の種は、あたしの些細な抵抗などものともせずに、あっさりと芽吹いた。

 きっとあたしは、この事件を耳にしたその時から、彼女を心のどこかで疑っていたのだろう。辛辣に聞こえるかもしれないけれど、あたしは、誰かが彼女を犯人だというのを待っていたのかもしれない。だからこそ、鼻歌君の言葉を聞くうちに、事実を呑み込めたのだろう。頭ではすぐに受け入れられなくても、あたしの勘はずっと前にあたしに事実を告げていたのだから。


 けれど、だから、もうあたしは嘆かない。悲嘆に暮れる役はもう御免よ。彼女があたしを裏切ったのなら、あたしは彼女の世界を壊す。


「お願いがあります、仮面師さん。この事件、あたしに任せてくれませんか」


 だから、これは誰もが傷つく復讐だ。階段で立ち止まり、あたしは少し下の方にある仮面師さんの頭を、見下ろしながら訊ねる。鼻歌君のやり方じゃなくて、あたしのやりたいように、やらせてください。そう言葉を続ける、


「調子に乗るなよ新参者が」


 あたしの復讐は、あっさりと仮面師さんに切り捨てられた。彼らしくもない短い台詞で。仮面師さんは階段を下りていた足を止め、細めた瞳を不愉快そうに光らせて、あたしを睨みあげた。

 ……だって、仕方ないじゃない。彼女はあたしの頼みの綱だったのに。あたしは踏みとどまる為にそっちの世界じゃない人を頼るしかなかった。だけど、一番頼っていた人が壊れていたら、あたしは誰を頼ればいい。誰を信じればいい。

 誰か、助けて。あたしを引き止めて。心が悲鳴を上げる。……だって、だってだって。あたしは壊れたくない。あたしは狂いたくない。あたしは、あたしの中にあるあの嫌な物を認めたくない。

 そうしてしまったら、きっと世界に拒絶されて、自分も世界を拒んでしまう。あたしはまだ、世界への愛を捨てていない。そっちの世界になんて、行きたくない。だから青乃ちゃんを信じるしかなかったのに。


「……彼女が世界から追い出されるその瞬間を、あたしに見せてくれますか」

「ああ。お前に任す事はできないがお前は重要な役だ。最後まで特等席に座っていられるだろう。思う存分楽しむといい」


 だからあたしは見届けたい。青乃ちゃんがどんな道を歩むのか。彼女がどこまで歩いているかで彼女の運命は決まる。もし彼女があたしと同じようにふとしたきっかえで心の均衡が崩れ、それでも今までの日常にしがみつこうとしているなら、あたしは彼女に手を伸ばしてしまうだろう。なんて、鼻歌君の推理が外れだったら全ては杞憂で終わってくれるのだけれど。

 まぁ、それがもうありえないことだって言うのは、自分でよくわかっている。これでも、だてに青乃ちゃんのお友達をしてきたわけじゃないのだ。

 仮面師さんは決意を胸に勢い良く頷くあたしを数秒見つめた後、不意にビルとビルの間にある光の射さない暗いところを指さした。


「闇だ。世界は闇でできている。だから気を抜くな。世界はお前が思っているほどお前に手加減などしてくれない。この忠告も今回限りだ」


 どくん。心臓が、仮面師さんの台詞に反応して大きく脈打った。

 事務所に通じる灰色の扉の前で仮面師さんはあたしを振り返り、目をじっと見つめてくる。それに応えようと、目に力を入れて頷いた。


 本当は、子供の頃から分かっていた事だった。ずっと目を逸らして見ない振りをしてきたけれど、あの人や青乃ちゃんの事もあるし、もう認めて向き合った方があたしの心のためだろう。


 ――そう。世界は、あたしが思うよりもずっと、裏切りで満ちている。それでも、あたしは境界線を渡る訳にはいかないのだ。もしかしたら、これからもあたしは世界に傷つけられるのかもしれない。だけどそれと、あたしがあたしの世界に見切りをつけるのは、きっと、別の話だ。

 

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