ミルク飴⑳と④
――仮面師さんの来訪は、災厄を告げる偶然を装った最悪な必然だった。
「いやー、大学をさぼってまで来てくれるとは感謝感激感涙が止まらないね? まー、仮面師さんを迎えにやったから来るだろうとは思っていたけど」
「ふざけるのはやめてください。どういう事ですか、青乃ちゃんが犯人なんて、どういう冗談ですか。何の犯人だと言うんですか!」
ストーカーか、誘拐か……。できることなら、ストーカーであってほしい。そちらの方がまだ、可愛げがある。恋に溺れた結果の罪なら、まだ、救いようがある。
「ふっふー、今流行りの誘拐事件の犯人だよー。今この時僕らの間で犯人、なんて言ったらあの事件以外は考えられないじゃないか。死神ちゃんは、彼女本人からあの事件のことを教えられていたんじゃなかったっけー? 駄目だよー、忘れちゃ。現代っ子ちゃんなんだから、ナウな事実をしっかり掴む事を心掛けておきたまえよー」
ドアを壊す勢いで飛び込んできたあたしを、来客用のソファに座ってこちらを見てくる鼻歌君が、ふざけた態度でいなす。彼はまたしてもポテトチップスを机に直接ぶちまけて、ばりばりと食べている。だから、その食べ方は変人臭いと思うのですが。まともな人間らしく振舞えば、もっと沢山の依頼人が来るんじゃないでしょうか。
そう言えば進展をまったく聞いていないけれど、依頼されたストーカー被害の件は解決したんだろうか、ってそんなことは、もはやどうでもいい。
――どうして。どうしてくれる。これでは、これじゃ、あたしの救われる余地がまるでないじゃない。誘拐なんて、言い逃れのしようがない罪を、どうして。
青乃ちゃんは誘拐事件の被害者であり、加害者に変貌する可能性は少なからずあっただろう。根間に指摘されるまでもなく、分かっていた。ただあたしが信じたかっただけなのだ。彼女があたしのようにその手を罪に染めたりなんてしていないという事を。彼女が、足を踏み外して狂気に身を投じていたなんて知りたくなかった。彼女が普通の可愛いだけの子だと信じていたあたしを、信じていたかった。
それなのに彼女はあたしを裏切って、凡人を装った狂人となっていたのか。それで、彼女の装われた長所にうっとりしているあたしを、影で嘲笑っていたなんて。そうであれば、あたしは彼女を許さない。
――裏切りは、あたしが一番嫌いな行為だ。
……だめ、だめだ、冷静になれ、あたし。どうしてすぐにあの子を信じない方向に、考えを進めてしまうんだろう。ちゃんと考えるんだ。前だって、時間をかけて考える事が出来たじゃない。まず、まずは、何故――
「何故、彼女が犯人だと思ったんですか」
まずは、鼻歌君がどうやって彼女を犯人だと推理したのか、鼻歌君が事実としたそれを根本から見直していかなければ。まさか今回まで、ストーカー云々という素っ頓狂な種明かしはされないだろう。
ソファに寝転んでポテトチップスをかじっている鼻歌君と向かい合うようにして座る。仮面師さんは、事務所に着いてすぐに変装を解き、上の階へ消えていった。魔王君も見当たらないから、出かけているか上に居るんだろう。
つまり、今この部屋に居るのはあたしと鼻歌君だけという事。あたしがここで激情に駆られて殴りかかっても、止めてくれる人は誰もいない。さすがに鼻歌君も、自分に物理的な危害を加えた人間にまで、寛容ではいてくれないだろう。気を落ち着けようと拳を握れば、そこがじっとりと汗をかいていることに今更ながら気づいた。
ばり、ぼり、ばり。
鼻歌君ははポテトチップスを乱雑に噛み砕きながら座り直す。その動きに合わせて彼の染めた髪と真っ赤なヘッドホンが揺れ、あたしは思わず鼻歌君を睨みつけるのをやめて目を逸らした。気を紛らわせようと、ミルク飴を鞄から出して口に含む。すっかり口に馴染んだ味が、思考を引き止めてくれる。
「……僕がここでどんな風に言ったって、信じたくない事は信じられないよねー? だから、機会をあげるよ。直接自分で確証を掴んで、絶望したまえよー。きっと、笑いだしたくなるくらい最低な気分になってしまうだろうね」
ポテトチップスを摘んでいた指を舐めた後、にやつきながらあたしの問いに答え、あたしが動くことを許可してくれた。……良いでしょう、見せてもらいます。そしてもし真実なら、あたしに思い知らせてください。
青乃ちゃんが裏切り者だと。