ミルク飴⑳
姉は本当に周りの人から好かれていた。もしも万が一にも彼女の悪口を言うような人が居たら、非難轟々の憂き目にあうのは間違いないくらいに。まるで一つの宗教だ。彼女とその友人達を見ていて、その薄気味悪い人間関係を目の当たりにする度に、そう思っていた。……そう、好かれていた、なんて可愛らしい次元はずっと昔に超えていた。
姉は確かに、周りの人から崇拝されていた。その有象無象に姉がどう見えていたのかは、容易に想像できる。華やかで美しく、それでいて気取っていない、完璧に完成された、聖女のような女性。どうせ、潔子にもそう見えていたに違いな、……いや、死という化粧を施した今、姉は更に美化されているのかもしれない。まったく、余りに馬鹿らしくて、笑う気にすらなれない。――あの女は、そんな無垢で無害な生き物ではなかった。
きっと世界であたしだけが、姉を嫌っていて、姉を知っている。それは、あたしが家族だからじゃない。あたしが妹だからじゃない。姉があたしを、嫌っていたからだ。あたしが言えた義理じゃないのは十分に分かっているけれど、肉親を嫌うような人間が、崇拝されるような人物であってたまるか。
姉の性質の悪いところは、周囲にはしっかり仲の良い姉妹として振る舞っていたところである。姉の誘いでよく一緒に買い物や映画に出かけたものである。断ることなんて、当然考えられなかった。断られた姉が誰かに泣きついてしまえば、その時点からあたしは村八分にされてしまっていただろう。そう、彼女の誘いを断れる人なんていなかったのだから、実のところ姉の誘いは命令以外の何物でもなかった。そう感じていたのは、姉を除けば勿論あたしだけだったのだけれど。
「ほんまに、貴和子さんは信じられんくらいええ人やった。なんであないな人が、若くして死んでしまうんやろな……」
「そうね」
水の入ったコップをくっと傾け、潔子はうっすらと涙すら浮かんだ目で姉の眠る墓地の方を見やる。酔っ払ってんのか、と毒を吐きたくなる気持ちを努力して堪える。まぁ、彼女が姉の毒に酔っているのは、間違いないけれど。
あたしも同じようにコップを傾けて溜息を飲み干し、適当に相槌を打つ。あらいけない、投げやりに聞こえてしまったかしら。
まぁ、もし聞こえたとしても、姉の死を改めて意識させられて落ち込んでしまったと、勘違いしてくれるわよね。潔子は善良な良い人ではあるんだろうけれど、こういうところがすごく無神経で、困らされる。
嫌味に見えないよう、ちらりと腕時計を見れば、集合時間の約三分前だった。……早く来てくれないかしら。今時、五分前集合は常識だというのに、皆何をしているのかしら。
「貴和子さんには、ほんまにお世話になったわ。うちのことも、めっちゃ可愛がってくれはったし」
「そうね」
「大学受験の時にも、一人図書館で勉強していたうちに声掛けてくれはって、色んなことを教わったわ」
……それは多分、姉の宣教活動の一環じゃないかしら。信者、――もとい友人になってくれそうな人に対して、彼女は親切な人として振る舞うのが好きだったから。そう突っ込みたくなるのを堪え、あたしは三度目のそうね、を口にした。
カラン、コロンとドアの開閉音が聞こえたから、この頭の痛い会話もそろそろ閉幕だろう。潔子は姉との思い出に夢中で、気づかなかったみたいだけれど。
「折角同じ大学に入れたのに、ろくに会話もできんまま貴和子さんは、――あいたっ!「白波瀬、その辺にしておいてやれよ。今の法木がお姉さんのそんな話を聞いて、懐かしがれると思うか」
潔子の頭にチョップして彼女の話を遮ったのは、幼馴染の屋良蓮也。茶色い髪の毛を適度に遊ばせ、下は緩めのジーパン、上は黄色と緑のストライプ柄のセーターで、黒のジャンパーを羽織っている。いかにも今時の男子大学生、という感じだ。アルバイト先も居酒屋だから、余計そういう感じに思えてしまう。……偏見かしら。
「ああ、せやった……。堪忍してな、央奈。――っちゅうか痛いわボケ! 叩かんでもええやんか!」
「突っ込みだよ突っ込み。ハリセンは持っていなかったからな」
彼は、妙なところでどうも鋭い。昔から、あたしの前で姉が褒められすぎると話を変えてしまうところがある。あたしの姉嫌いが見透かされているんじゃないかと、気が気じゃない。まさか藪をつついて蛇を出すわけにもいかないから、確認する勇気も出ない。
まぁ感づいていたとしても言わないでいてくれて、それで姉の話を流してくれるならむしろ有難いし、このままなぁなぁで濁しておきたいけれど。そして彼ならきっと、あたしの期待通り、何も言わないでいてくれるだろう。
屋良はチャラついて見える割に、人の地雷をよく見分ける。皆がみんな屋良みたいに見分ける能力を持っていれば、この世の人間関係はもう少し平和になるのかもしれない。
……まぁ実際のところは、あの人しかり、潔子しかり、狙ったかのように地雷を踏み抜く人ばかりいるのだけれどね。あーあ、嫌だな。嫌なことを思い出したと目が語らないよう気を張りながら、潔子と屋良の会話に微笑んでいるふりをする。