ミルク飴②
※初めに
作者は糖尿病の方に、悪意はありません。
主人公は、その後に続く台詞から判るように、偏見から喋るタイプです。ご了承ください。
「……あたしの何を、知っているんですか」
きっと無駄なことだと知りながら、殺意を含みそうな声を必死に抑えて、あたしは静かに問いの言葉を重ねた。鼻歌の彼は笑みを深め、ゆっくりとあたしに言い聞かせるように囁く。その声はひどく優しく、
「君の孤独を埋められるかはわかりませんが、君のことが好きです、付き合ってください」
ひどく残酷にあたしの耳に届いた。
もはやどうして、と問うまでもない。確認せずとも、彼の声が、目が、唇が、嘲笑をもってあたしに伝えてくる。彼は、こいつは、あたしが何に対して怒っているのか知っている。そして、あたしがその怒りに任せて何をしたのかも――。
沈黙したあたしが開口するのを待つように、彼はまた一つ飴を口に含んで何度も歯を立てている。バスの走行によって、様々な色があたしの視界の横を通り過ぎていくけれど、それらを眺める気はもう起きなかった。
ガリッゴリッゴガリッ。
飴の砕かれる音が、連続的にあたしの傍で響いた。陳腐な台詞で告白してきたあの人の話はしたくなかったから、あたしは話題を変えるために口を開く。
「飴を噛み砕くのはやめてください。耳障りですし、勿体無いです」
「いやー、飴が硬いのは人に噛み砕かれたいからなのだからしょうがない事だよ? それに、生きていく上で不愉快な事には幾らでも遭うんだから、これっくらいは大目に見てくれたまえよー、きみぃ。おっと失敬、君は不愉快な事に立ち会ったばかりだから、気が立ってしまっていたのかなぁ。逆撫でしてしまったなら、謝ろう。ごめんねー?」
彼はふっふー、と白い歯を剥き出しにして笑い、また鼻歌を歌い始める。その軽い謝罪は、完全にあたしの機嫌を逆撫でしている。というか、思いっきりわざとだろう、こいつ。……腹が立ったから、“鼻歌君”とでもあだ名を付けてやろうかしら、なんて溜息を吐くとそれは案外重たいものとなって、更にあたしの気分を沈めさせた。
「それで、鼻歌君。そんなペースでお菓子を食べる生活を続けていると、若くして糖尿病になりますよ? いや、むしろなってしまえ。それで食事制限されて世を儚んで自殺してしまえばいい。あなたを消すために誰かの手が汚されるなんて、そんな悲しいことがあってはならないですしね。おっと、うっかり失言してしまいました。心を込めて謝りません」
「え、何だいその皮肉感たっぷり溢れるニックネームと発言は。軽く傷付かないなー。後、世界中の糖尿病患者に謝りたまえよー、君は。ただでさえ狭い視野が偏見で曇っていると人生うまくいかないよー。別に君の人生の行く末なんて興味ないけど。……さて、いい加減に話を戻させてもらうけどさー、」
きみがかれをころしたね。
すっと声を潜めて、でも微笑みを浮かべながら大胆に断言する彼に、静かな笑い声で応える。その笑い声は思ったより乾いていた。飴を舐めて唾液は分泌されたはずなのに、喉が渇く。いつの間にか心臓の鼓動が速まっていたことに、ふと気付いた。落ち着けようと胸を撫でた手さえ、震えている。
……嫌な、予感はしていたのだ。彼が隣に来たその瞬間から、あたしの逃げ道は閉ざされてしまった気がしてならなかった。でも、決して認めてはならない、諦めてはならない。警察もまだ見つけていない正解が、そう簡単に分かるはずがないのだ。彼が警察やその関係者でないという証拠もないけれど、それならなおさらこんな台詞だけで降伏するわけにはいかない。
こんな、こんな形で終わるために、あたしはあんな事をした訳じゃない。関係無い他の誰かに勝手に罰せられるなんて御免だ。いつだって罰は、関係者間で裁かれるべきだ。だからあたしは口を堅く閉じ、彼の推理の穴を待たんとばかりに無言で喧嘩を仕掛けた。
それでも鼻歌君は、獲物を前にした猛獣のような瞳をし、楽しそうに笑う。あの人とは違う、理性的な悪意がその目から透けて見える。微笑んでいる唇が舌でなぞられ、笑みが色濃くなる。
ああ、吐き気がする。エチケット袋はどこだ。いっそ彼の顔にぶちまけてしまおうか、それも面白いかもしれない。どんな顔をするのか、見物と洒落込みたい。
「さーて、解説の時間と洒落込もうか」
……こんな人と、言葉のセンスが被ったなんて、ああ、胃が痛いわ。そろそろ溢れるパッションが込み上げてきそうよ、物理的に、口から。
あたしの悪巧みに気づいたのか、鼻歌君は嫌味に笑って肩を竦め、話を続ける許可を求めてきた。良いでしょう、誤魔化されてあげますよ、今のところは。あたしは黙ったまま、顎で促した。
「――まずはこの写真、この死体を見てもらおう。これが、君に殺された彼だね?」
ぴろり、と指で摘んであたしに見せてくるのは、一枚の写真。そう、あの人の写真。殺した後に見下ろして、こうなってしまっても格好いい気がするなと胸をきゅんとさせたのを覚えている。
あの夜は月が綺麗で、もしあたしが狼女になれたら血の一滴も残さず丸ごと食べてしまうのに、なんて考えた。そうできれば死体処理も楽だし、と思考が続いたのはご愛嬌だろう。食べちゃいたいくらい好き、という事にしてどうにかお茶を濁したい。……無理かなぁ。いくらなんでも猟奇的に嘘くさいかしら。とまぁ、脳内での冗談はここまでにしておこう。気を逸らそうと思ってやってみたけれど、どうやら失敗したみたいだしね。
歯軋りを笑い声で誤魔化して、彼に問いかける。
「どうして、あたしが犯人、だなんて思うんですか」
ご不快になった方がいられたら、申し訳ありません。
あらすじ該当部分までは、できるだけ早くアップします。
エンディングまでは、見えてはいるのですが書けてないので、徐々に執筆速度は変則的になるかと思います……。