ミルク飴⑲
――ああ、なんて清々しい一日なんだろう。心なしか暖かいような日の光を窓越しに感じながら、あたしは目的地へと進むバスに揺られている。今日は土曜日。割と久しぶりに幼馴染五人が集合する。大学もなければ、事務所に行く必要もないと、鼻歌君からさっき連絡があった。
本領発揮を依頼してからほぼ一週間が経つが、まだ真相を聞けていない。あたしも元々やっていたアルバイトを急に辞めるわけにもいかないから毎日事務所に寄る訳にもいかないし、事務所に相談にやってきた依頼人さんのために鼻歌君も忙しい。
そう、驚いたことに、依頼が来たのだ。その場に居合わせたのだけれど、ストーカー被害に合っている気がする、という内容だったから思わず疑いの目で鼻歌君を見てしまった……。けれど、あたしは悪くないと思う。依頼人は男性だったから、普通に考えれば居るとしたらそのストーカーは女性なんだろうけれど。
まぁ、つまりはその依頼の解決のために色々忙しくしていて、つい聞きそびれてしまっていたのだ。早い内に聞きたいのだけれど、会わなくていい日にわざわざ自分から会いに行くのも嫌なものである。……まぁ、今日はこれ以上あの人たちのことは考えまい。
目的地は、先週根間君が仮面師さんに詐欺られて二人でお茶することになった、墓地付近にあるあの夜桜である。中々に不気味な印象の店だけれど、徒歩で数分のところをバスが走っているため、交通の便は悪くはないほうだ。実家暮らしも二人いるため、比較的集まりやすい立地である。むしろ、今まで集合場所として使っていなかったのが不思議なくらいだ。
まぁ、目立たない店だから、その存在に気づいていなかっただけではあるのだけれど。集合場所として住所を告げれば、皆の反応も良かったので、これからお世話になることが多そうである。あたしの家からはバスを乗り継がなければいけないけれど、苦になるほどには時間はかからない。墓参りをする時と、かかる時間は変わらないわけだしね。
バスを降り、喫茶店へ歩を進める。三分ほど歩けば、視界に入ってきた。空を圧迫するかのようにそびえ立っている木々のせいで、冬とは言え日中なのにこの付近だけ暗く感じる。と、そこに一人の女性が佇んでいるのに気付いた。耳が見えるほどの短い黒髪を持ち、白いタートルネックニットの上にグレーのチェスターコート、ストライプ柄の細身のパンツという出で立ちだ。彼女の名前は白波瀬潔子、あたしの幼馴染の一人だ。実家暮らしをしている一人でもある。
「おはよう、早いな。まだ皆来てへんで」
さらに近づくと、あたしに気づいて彼女から話しかけてきた。彼女の言葉やイントネーションが独特なのは、両親が西の出身者で、かつ転勤の多い仕事をしていたからだ。
彼女自身は割と長い間こちらで生活しているが、両親や親戚は皆西の話し方のため、ここのでもなければ、以前住んでいたところのでもなく、あちらの話し方が主に身についた、ということらしい。主に、と言うのは彼女の場合、話し方は西のもののみではなく、それまで住んだことのある地方やここの話し方も微妙に混ざっているのだ。
大学で一々ここの出身だと説明するのが面倒だと、一度愚痴を言われたことがある。しかし気を張りながら話し方を合わせていても、気を抜くとすぐに癖が戻るらしく、いい加減に諦めたそうだ。
「おはよう、寒いし、先に入ってしまわない?」
やな、と頷かれたので二人で夜桜に入る。いらっしゃいませー、と以前にも聞いた明るい声があたしたちを出迎える。以前と同じく待ち合わせをしていることを伝え、広い席に座らせてもらう。
座ってすぐに持ってきてもらった水を少し飲みながら、メニュー表に目を通す。以前鼻歌君に話の流れでお勧めされた、苺のパフェでも頼もうか。そこそこ安いから、食べられないほど大きいパフェということではないのだろう。しかし冬だというのに苺とは、便利な世の中になったものである。関係ないけれど。
向かい合って座っていた潔子に何を頼むか聞けば、“今日の焼き菓子”として表にあるバナナケーキを頼むらしい。二人して注文を決めたところで、早く頼みすぎても待ちくたびれるから、適当に会話しながら三人を待とうという暗黙の了解がここに漂う。
「せや、聞いてくれへんか。こないだ、めっちゃ腹立つ客がうちの店に来てん」
潔子が思い出した、というように体をこちらに乗り出してくる。潔子の店、というのは潔子の通う大学からそこそこ近いらしい書店のことだ。あたしは見に行ったことがないけれど、そこで書店員のアルバイトをしているらしい。
「その日雨が降っててな、そいつ、濡れた手で立ち読みしおるんや。うちらが何度その横通っても知らん顔で、長い間ずーっと。どっちかだけやったら、まだ我慢もできるんよ。うちもそこまで頭硬ないもん。せやけど、両方はあかんわ。本にも書店の人にも迷惑かかるて、なんで分からへんねやろな。自分いてこましたろか、と思たわ。まぁ、しがないただの店員やから、そんな事できひんけど。結局そのアホ、しこたま読んで何も買わんと帰ってったわ」
……まぁ要約すれば、店員の無言のメッセージを無視する迷惑な客がいて怒り心頭に発した、という事らしい。確かに濡れた手で長時間の立ち読みとは、中々の冒険をするお客様もいたものである。お客様は神様とは言っても、自分たちが信仰を捧げるべき神様とは誰も言っていないのにね。よその宗教の神様とか、他人行儀もこれ極まれりだと考えるのはあたしだけかしら。
ほんま腹立つ、と溜息を吐く潔子。彼女は潔癖症のきらいがあるから、余計にそういうのが許せなかったのだろう。飲食業よりはと書店を選んだらしいけれど、どこの職場でも潔癖症はストレスが溜まりそうだな、とそんな彼女に同情する。
「確かにそれは腹立たしいわね」
分かるわ、という風に頷けば、彼女は我が意を得たりというように、せやろ、と言って身を乗り出してきた。……いてこましたろか、なんて心では思っていても、あたしと違って実行に移さないあたり、彼女は女性としては少し口が悪いだけの、ただの善良な人間だ。
嫌だな、と思う。彼女の他人への悪口は、思いのほかあたしの欠点をまざまざとあたしに見せつけてきた。だけど、それより何より嫌なのは、
「――まぁ、あんなことで一々怒っとったら、貴和子さんにはいつまで経っても追いつかれへんねやけどな……」
ほら、やっぱり来ると思った。嫌だな、そう心の中だけで溜息を吐く。あたしが潔子と話していて何よりも嫌なのは、彼女があたしの姉を敬愛していて、それを隠しもしないことだ。
……しかし和を以て貴しとなす、とは中々に似合っている名前だと思う。実際に彼女の生前は、あたしたち家族は何ら問題がなかったのだから。――少なくとも、あの三人と外側から見れば、だけれどね。あたしから見た場合は……これ以上は、考えないでおかないと。折角の休日が台無しになってしまう。
潔子の関西弁は、私自身を参考に、滋賀ベース京都まじり、大阪風味…というつもりで作ってます。
次話は、12時更新です。