ミルク飴⑱
……。
「……よいしょ、っと」
これ以上記憶を辿るのが辛くなって、柄杓を入れたバケツを持つ。ふと視線を感じて下げていた目線を上げると、緑色の瞳と目が合った。いきなりの事だったので驚いて、無言のまま数秒間硬直してしまう。
その数秒間の後、あたしはようやく墓を挟んで目の前に立っている人物が誰なのか分かって拍子抜けしてしまい、深い溜め息を吐いた。彼はあたしが気づいた事に気付いたのか、目を細めて笑顔を向けてきた。
夕暮れの太陽が色をつけていて金色に見えなくもない彼の髪を、平静を装って自分の前髪をかきあげながら見つめる。
「居るなら居ると声を掛けてくださいよ、魔王くん」
「いやー、もう大分暗くなってきていて危ないから、迎えに行けと言われたんすよ。死神ちゃんなら、襲われたって難なく撃退できそうなのに、鼻歌君も随分心配性っすよね。でも、考え込んでいたようなんで邪魔しちゃいけないかと思ったんす。ま、そういう訳なんで、一緒に帰りましょうっす」
不審者、もとい魔王くんは柔和に笑ってあたしの手からバケツを取って元の場所に戻しに行く。強引なその行動に呆れつつ彼と共に墓地を後にした。
……難なく撃退できそうってなんだ。あたしはこれ以上ないくらいにか弱い女子ですよ、例え人殺しだとしてもね。暗くなってきたとはいえ、どこに人がいるか分からない以上口には出せないから、反論のしようもないけれど。
しばらくそのまま二人で会話もなく歩いていれば、前を歩いていた魔王くんが、爽やかな笑顔でふと振り返り、
「ああ、そう言えば。チョコレートケーキ、美味しかったっすか。どうやらかなり時間をかけて食べていたみたいっすが」
――何この人、怖い。
元情報犯罪者にしたって、この伝達の速さはどう考えたっておかしいだろう。まぁ、情報源を問いただしたところで、答えてくれはしないんだろうけれど。……あの時、あそこに他の客はいたかしら。店内に気を配っていなかったから、全く覚えていないのよね……。こんな性質の悪いドッキリを仕掛けられるなら、もっと注意していたのに。
いつの間にやらひくついていた口元を無理やりに上げて苦笑いを作り、好みではなかったと首を横に振る。
「……あそこのチョコレートケーキは味と量に問題がありますよ。濃いわ多いわで、いくら甘い物は別腹な女子でも食べ切るのには辛いものがあります」
「いやいや、そこがいいんすよ。気持ち悪くなるくらいチョコレート菓子を食べられるなんて幸せなことこの上ないじゃないっすか」
「あんまりチョコレートを食べすぎると吹き出物が出たりしますよ。折角女の子にモテそうな顔をしているんですから、大切に扱ってくださいね」
「……ここまで色気なく顔を褒められたのは初めてっすよ」
「ああ、いつもは色気むんむんで褒められていたんですね。その言葉から想像するに、魔王くんは黙っているだけで女の子が寄ってくるタイプなんでしょうか。万死に値しますね。もし自殺する予定があれば爆死でお願いします」
「いやそこは止めてくださいっす。自殺する予定は無いっすけど、それでも爆死は嫌っすよ」
「覚悟が足りませんね、それでも男ですか!」
「ああもう、何でこの国はそんな言葉が日常の中で頻繁に使われるんすか! 心の強さに男も女も関係ないっすよ! 後自殺に覚悟は必要ないっす、要るのは諦めっす!」
チョコレートケーキについて評価をした後、勢いに任せて適当な会話を続ける。魔王くんは、あの事務所の三人の中では一番話しやすい。年齢が多分一番近いせいもあるのだろうか。
……いや、どうだろう。鼻歌君があたしより年下なのは間違いないとしても、仮面師さんは年齢不詳過ぎてよく分からない。喋り方や雰囲気が年上のような気がするだけだし、彼ならそういう雰囲気をあえて作る事くらいお茶の子さいさいだろう。
「そう言えば魔王くん、あたしあなた方の年齢を知りません。教えてもらえますか」
「あー、そうっすね。仮面師さんが二十五歳、俺が二十二歳っす。死神ちゃんとは、一歳差っすね。探偵さんが十七歳で現役高校生を副業でやっているっすよ。割とここらへんじゃ有名な進学校に通っているっすけど、問題児扱いらしいっすね」
「十七歳! 高校生!」
若い若いとは思っていたけれど、まさか高校生だったとは。そして副業であるべきなのは探偵の方ですから。学生の本分はあくまで勉強なので。ある意味、探偵の仕事も社会勉強という意味では勉強なのかもしれないけど、ね。鼻歌君を問題児扱いするとは、信頼のおけそうな学校である。まぁ、入学を許している時点で、若干信頼度は低くなっているけれど。
結果として予想通り魔王くんが一番あたしと年が近かった。過ごしてきた環境の違いがおそらく甚だしいだろうとは言え、一つ違いというあまり変わらない年齢で話しやすい人が居てくれて、心持ち助かる。鼻歌君と話すと段々苛ついてきてしまうし、仮面師さんは仮面師さんでどこか威圧的で怖いところがあるから世間話をするには二人とも向いていない。
……本当にあの事務所、お客さんが来てくれるのかしら。暇を持て余した鼻歌君が、自作自演の事件を計画したりしなければいいのだけれど。絶対あたしも巻き込まれてしまうもの。あたしを蚊帳の外に置いておいてくれるなら、好きにして構わないけれどね。
――二人に比べて話しやすい、なんて言ったところで、魔王くんも魔王くんで口が滑らないよう心掛けている必要があるのだけれど。……魔王くんは個人情報に明るいみたいだけど、一体どんな犯罪をしたら国から逃げ出す羽目になるのだろう。弱みを握ったら厄介なことに使いそうな人しかいない探偵事務所か、そう考えると何とも居心地が悪そうだ。まともな人間なら、迂回してでも避ける物件である。
仮面師さんのやった事も同じ意味で気になる。今度話してくれそうな頃合を見計らって訊ねてみようかしら。
「ところで魔王くん、思ったのですがあたしに対してその中途半端な敬語みたいな口調を使う必要はないですよ。あたしは年下で後輩ですから」
「あ、あー……、いやね。少し真面目な話をさせてもらうと、」
駅に向かいながら、あたしは魔王くんに前から言おうと思っていた事をふと提案する。すると彼は咳払いをしたり髪の毛を弄ったりと挙動不審になりながら、ぼそぼそと呟いた。もしかして何か重大な理由があって、こういった口調なのだろうか。そんな、いきなり重大な話をされても心の準備ができていない、困る。
「あ、あの、魔王く「俺、こういう変な口調でも作らない限り、キャラクターとして薄いんすよ……」
「はい?」
「いや、俺が事務所に入った時にはもうあの二人はあんな感じだったんすけど、あの二人って性格が変というか、濃いじゃないっすか。このままじゃ俺、新人なのにあっという間に空気になってしまう、そう思ってこういう口調にしたんす」
「はぁ……」
「あ、死神ちゃんは変な口調とか考えなくても大丈夫っすよ。今の時点で十分変っすから!」
褒め言葉と思って言っているみたいですが、ちっとも嬉しくないですよ。その舌切り取ってあげましょうか。そして魔王くん、貴方はその口調がなくても大分変ですよ。相手に恐怖を与える事に関しては天才的なまでに魔王じゃないですか。……というのを口に出すと、あたしが魔王くんを恐れている事が露見してしまうので言えない。
仮面師さんに電話を邪魔されて友人が詐欺られたり、墓参りしていたら魔王くんにエンカウントしたり、今日は散々な一日だった。早く帰って寝たい。もうなんだか面倒くさくなったあたしは魔王くんを説得し、買っていた事務所用の花を預けて一人で帰宅した。鼻歌君の顔を一日に何回も見なくてはいけないとか、どんな苦行だ、という話である。
魔王くんと別れた後に彼の方を振り返って見ると、彼は笑顔で手を振ってきていた。……遠くから顔だけを見るなら、文句なしに格好いいだけなんだけどなぁ。もったいないこと、この上ない。宝の持ち腐れ、というやつね。