ミルク飴⑰
諸々ニュアンスです。変だと思われる個所があれば、ご連絡ください。
――一年前には、父が自殺した。娘がもう帰ってこない、という事実に耐えられなくなったという遺書を書いて。
娘はもう一人いるんだから頑張ろうよ、なんて台詞は生前も死後も一度として言わなかった。口に出した瞬間、それは愚痴になると知っていたからだ。姉が死んだ瞬間から、いつかこうなるんじゃないかと思っていた。むしろ父の死体を前にした時、思っていたより粘ったな、あたしはそう思ってしまった。
姉は家族の中心にいて、皆彼女を軸にして寄りかかって生きていた。彼女が死んだ後、うまく生きられなくなっても仕方がない。親戚も友人たちも、誰も口には出さなかったけれど、そう思っているのが丸わかりだという雰囲気が辺りに漂っていた。嫌な雰囲気だなぁ、とまるで他人事のように感じていたのをやけに覚えている。
残された母が崩壊するのも、どうせ時間の問題だった。
ミルク飴を口に含み、舌で転がした。慣れた味が悪い方向へ考えすぎるのを引き止めてくれる。背負えないなら、罪悪感なんて捨てるべきだ。大丈夫、あたしはまだ、大丈夫。しゃがんで墓に手を合わせ、空を見上げれば大分薄暗くなってきており、冷たい空気が追憶を誘う。
――半年前には、母の心が死んだ。ここまで来たら、もう当然としか思えなかった。
母が帰宅したあたしを姉の名前で呼んで、おかえりと笑った瞬間、あたしは母が壊れた事を知った。自殺という道を選ばなかったことに意外だと感じはしたものの、母がそうしたいならと姉の振りをしていてあげた。
あたしは姉の時も父の時も家族として悲しんであげられなかったから、最後の一人があたしに姉である事を望むのなら応えてあげようと思ったのだ。
暫くは、それなりに平和だった。あたしと姉の差に母がヒステリーを起こす事はあっても、それなりに日常は日常のままだった。だけど、母方の祖母が立て続けに不幸に見舞われたあたし達を心配して家にやってきた時、全ては急速に終わりを告げた。
母は祖母の前で、いつも通り、あたしを姉として扱ったのだ。そこからの祖母の行動は迅速だった。あっという間に手続きを済ませ、母をカウンセリングに通わせ始めた。
二人で住んでいた家を出てあたしは一人暮らしを始め、祖母も近くに借りた部屋で母と一緒に暮らすようになったけれど、一度失った姉を取り戻したと思った母の勢いには凄まじいものがあった。あたしのことも祖母のことも忘れ、ただ母を心配しているだけの祖母に対して姉を奪った人間だと攻撃したりして、最後には祖母も疲れ果て、母は精神病院に送られた。
祖母には泣いて謝られた。祖母はあたしの事も可愛がってくれていたから、むしろ母を悪化させてごめんなさいと姉が死んでから初めての涙を流して謝った。もし祖母が居なかったら、あたしも遅かれ早かれ三人と同じ道を辿っていたかもしれない。それでもいい、それがいいと思っていたけれど、あたしはあの時祖母に抱きしめられて、確かに安心したのだ。
あたしは彼らと違って元々どこかが歪んでいたから、助かったのかもしれない。急激な歪みに耐えられなくて両親は壊れてしまったけれど、あたしからしてみればそれは些細な物だったのかもしれない。それに気づいた時、あたしは否が応でも、あたしと三人の溝の深さを自覚させられた。
溜め息を吐いて立ち上がった。姉の死から始まる狂気の連鎖は今もあたしの心を苦しめる。血の絆という名の鎖は、まるで姉の好きな薔薇の棘のように鋭く、痛い。
全てが終わってから、祖母はどんどん弱く細くなっていった。あたしは祖母まで失うのが怖くて、地元へ帰る事を勧めた。そこなら祖母の兄弟も近くに住んでいるし、ここよりずっと心の安寧が得られると思ったからだ。
あたしに優しくしてくれた祖母まで道連れになるのは、さすがに見たくなかった。一緒に来なさいと言われたけれど、大学のこともあるし、その頃には既にあの人と付き合っていたのもあって、この地を離れたくないので断ってしまった。
今思えば、祖母があたしの救いだったのだろう。あそこで祖母について行っていれば、あたしがあの人を殺すなんて事は起きなかっただろう。だろうだろうの話だけれど、あそこがターニングポイントだったのだ。
でも、あたしは決してそちらを選べない。楽に生きる事は許されていない。家族の死を悲しめなかったあたしが苦しまずに生きていいわけがない。あたしが罪を犯したのも、それがあたしに用意された罰だったからだ。姉が死んでも幸運なら、あたしは生きていても不運だ。そして、それはあたしの場合、自業自得なのだ。
見直すと、台詞が一言もないという恐怖。