ミルク飴⑫
「という訳で鼻歌君、本領発揮をお願いします。別にいいですよね、依頼も来ていなくて暇なんですから」
そういう訳で、事務所の扉を開けてすぐに彼に依頼する。鼻歌君は来客用の椅子に座り、新聞紙を敷いた机に何種類かのポテトチップスをぶちまけてつまんでいた。仮面師さんも、彼の真正面に座って同じくポテトチップスを口に運んでいる。
マナーが悪いというより、変人がする行為に見えてしまう。いや、変人がしているからこそ変人の行為に見えてしまうのかもしれない。ああ、そうに違いない。……本当に、頭が痛い。この変人にして悪人たちの巣窟を、誰か早く何とかしてください。
「おやおやー、そう事を急いては駄目だよ、死神ちゃん。まだ若いんだから、余裕を持って動かないといざという時に転んでしまうよー」
「まだ、とか喧しいですよ、鼻歌君。そういうくだらないことを喋る舌なら、いりませんよね。舌を出しなさい、切り取ってあげますから」
「うーん、きみに言われると現実味があって恐ろしいね。喋り残している事もあるし、勘弁してくれたまえよー。メンゴ、メンゴだよー」
うら若き女性にまだ、なんて暴言を吐く鼻歌君。イラつきながら、こちらも少し暴力性を添えた言葉を返すと、鼻歌君はやれやれと言わんばかりに首を振った。そうしてポテトチップスを数枚まとめて口に運びながら、あたしに座れと席を指し示す。ここでわざわざ拒否して彼の機嫌を損ねる理由もないため、自分に割り当てられた机に鞄を置きに行ってから、黙って腰を下ろした。
「実に死神ちゃんはヤンデレだよね。僕としてはリアルヤンデレが拝めて中々楽しいけれど、被害者になるのは御免だな。こういうのは観測者の立場が一番だよー。……いや、ヤンの部分が最終地点まで開花しているしキミはキルデレかな。動機も彼ではなく君自身の中にあるものの方が多いようだしね。ちなみに『殺す』の英訳と『舌を切る』の『きる』でキルだけどね? 駄洒落だから、遠慮なく笑いたまえよ? いや、むしろデレは行方不明だしキルヤンってところかな、このヤンはヤンキーの方のヤンだけどね。今どきの若者は、キレやすいって言うからねー。ふっふー」
あたしが座ると同時に、鼻歌君はまたポテトチップスを摘まみながらくだらない事を喋り散らかして、こちらに嫌味な笑顔を向けてくる。しかし不思議とポテトチップスは現状以上に散らからない。どうせ散らかすなら片付けやすい方にしてほしいものだが。
さて、おっほん。
「よぅし、舌ぁ出しやがれ」
「……まー、死神ちゃんの言わんとしていることは分かるよ。僕もね、君に言われる前から例の事件については調べていたんだよー。タイミングがタイミングだし、何か阿呆な勘違いをする輩もいるかもしれなかったからね。あの二人組には、できるだけ早く退場してもらわないとねー? いやまぁ、組って言えるほどの信頼関係があるわけじゃなさそうなのは、面白いところではあるんだけどねー」
信頼関係が構築されていないのはうちの事務所も同じことでしょう、これに関しては他所のことを悪く言えないですよ。そう瞬発的に突っ込みたくなるのを堪える。
……鼻歌君は何故、二人組と断定してその関係まで推察できているのだろう。もしかして、彼にはもう犯人の見当が――
ピラララッ、ピララー。
一歩踏み込んで訊ねようとしたところで、数年前に流行っていた曲に設定したままの着信音が、鞄の中から鳴り響く。鼻歌君に視線で断りを入れて席を立ち、鼻歌君たちに背を向けて携帯電話を開くと幼馴染の一人、根間和良からの電話だった。
「もしもし」
――いよっす。闇坂のことでちょっと相談したい事があるんだけどよ、どこかで待ち合わせできないか?
「今はちょっと「都合が悪いと思ったけどそんな事もなかったから、一時間後に、箕浦公園の近所にある夜桜っていう喫茶店でいいかしら。――ええ、じゃ。そういう訳で今から夜桜という喫茶店に行け」
鼻歌君が推理したのであればそちらの方が気になるので、根間には悪いけれど断ろうとしたら、仮面師さんに携帯電話を奪い取られる。そして勝手にあたしの声で返事をされて勝手に通話を切られ、挙句の果てには上から目線にも程がある態度で命令された。うーん、しかし、見るからに男性と分かる人間から女の声が出ているというのは、中々珍妙な光景ね。……って、そうではなく!
「ちょっと仮面師さん! いきなり何をするんですか、あなたも舌を切り取られたいんですか! 良いでしょう、口を開けろ!」
いけないいけない、うっかり乗り突っ込みみたいなことをしてしまった。潔子のノリでもうつったのかしら。動揺を押し隠すため、大声で仮面師さんを威嚇する。
「僕が頼んだんだよー、死神ちゃん。こっちの事は気にせず、君は幼馴染君の悩みを聞いてきてあげたまえよー。後、舌を切られたい奴なんてどこにも居やしないよー?」
「鼻歌君は自分の存在も認識できないのですか、救いようがないくらいの狂いっぷりですね」
鼻歌君の場を読まないのんびりとした仲裁に、脳直で返答する。――いや待て、冷静に考えるんだ、あたし。今すぐに考えるべきことがあるはずだ。……幼馴染君、なんてどうやって知った。名前くらいは調べがついていたとしても携帯電話の通話画面は見せていないし、彼からだと発言もしていない。
それに、待ち合わせの申し込みをされたなんて事を、最初の一言二言だけで感じとるなんて不可能に近いはず。どうして……、そう訊ねたくて鼻歌君の顔を見ても、彼の笑顔はあたしに質問を許さない雰囲気を纏っている。ひょっとするとあたしは、あたしが思っている以上にやばい人に魂を売ってしまったのかもしれない。
潔子ちゃんはそのうち出てきます。