食事のはずが
ドアを開けると、様々な匂いや声がどっと押し寄せてきた。ドア付近の人達は、一瞬動作を止めて入ってきた俺達に視線を向けてきたが、また動作をすぐに再開していた。ひとまず安心だ。
店内はテーブル席とカウンター席に分かれていて、テーブル席の方はトランプを広げているような人達で埋まっていた。カウンター席の壁際は幾つも空いていたので、ロズを端にして並んで座った。
何か注文をしようと、この店を一人で切り盛りしているであろうマスター? にメニュー表を貰おうと思った。他の客がマスターと呼ぶのを聞いたから多分そう呼べば良いのだろう。
顔を上げるとマスターの姿が袖の破れたTシャツにスキンヘッドという出で立ちだったことに驚いて、少しの間声が出なかった。
「何か注文するかい?」
俺がずっと見詰めていたからマスター方から声をかけてくれた。慌ててメニュー表を頼む。
「すまんな。この店に来るのは常連ばっかりだから、メニュー表仕舞っちゃってたからよ。――ほらこれだ」
カウンターの下からメニュー表を取って渡してくれた。馴染みの無い種類のビアルコール飲料の名前が並ぶなか、ステーキという文字を見つけた。酒の肴以外にはこれしか料理は無いようだ。100ポルとちょっと高いし飲み物は水にしよう。そう話してロズも同じものを頼むことにした。
「ステーキと水を二つずつお願いします」
マスターは貯蔵庫の中を確認して、突然自分の頭を叩いた。結構痛そうな音がした。
「あちゃー。ごめんな、今ステーキ切らしてて、一人前しか出せないの忘れてた。二人で一人前でもいいかい?」
「私そんなに食べないし、構いません」
俺も頷いて同意する。マスターはステーキより先にジョッキで水を出してくれた。ロズがやりたいと言ったので、今日までの旅に乾杯をして一口飲む。冷えた水がとても美味しい。と言っても、水の味としてはベギンス村の湧水には勝らない。味ではなく、単に疲れているから美味しいのだろう。
マスターが肉を焼き始めた。勿論音に匂いは無いし、そこらじゅう酒の匂いしかしないけれど、このジュージューと焼ける"香ばしい"音は俺の食欲を刺激する。
「どのくらいで焼き上がりますか?」
マスターに尋ねてみたが、どうやら聞こえなかったようだ。焼くのに集中しているんだろう。
「コース君、食べることよりこれから何をするのか決めなきゃ」
肉のことばかり考えている、とロズに思われてしまったんだろうか。
「そうだな、ごめん。取り合えず街の人に聞き込みしてみるか」
「なんて聞くの? またツェベンの時みたいに思われたくは無いよ」
確かに、ツェベンに連れてこられてまだ日の浅い頃、街の人に聞いた時は、子供の妄想だとか本の読みすぎだとか色々な返し方をされた。女将さん以外誰一人として信じてはくれなかった。
みな俺達はベギンス村で起きた、「バーニング・ダウン」と呼ばれている大火事の生存者だとしか思っていないからだった。村の誰かの不注意で全焼にまで至った、と近隣のどこかの国の調査でそう結論付けられたそうだ。偉い人が言ったことは無条件に受け入れる、大人なんてそんなものなんだな。
別の国が調査に乗り出すくらいだから、恐らくこの国の人なら殆どの人が火事のことは知っているだろう。若者が多いし、好奇心でも興味を持って話を聞いてくれる人はいるだろうから、馬鹿にはされないと思う。
「そんな難しい顔をしているってことは、ちゃんと考えていたのね」
「黙っちゃってごめん。説明するとややこしくなりそうだけど、とにかく考えはあるんだ」
「私が信頼してるコース君だし大丈夫ね」
「どういう意味だよそれ」
突然の一言に驚いて、飲もうとしていたジョッキを音を立てて置いてしまった。飲んでたら吹き出していたかもしれない。
ロズはしてやったとばかりに笑っている。
「だって、そんな顔ばっかしてたらコース君のおでこに皺できちゃうよ? 笑顔も大事だよ」
「そうだけど……ありがとう」
渋々、ロズに一瞬にこりと笑いかけた。励まされはしたが、笑う気にはやはりなれないんだよ。
そろそろ肉が焼ける頃かとマスターを覗くが、まだ火が通っていないようだ。肉をひっくり返して首を傾げていた。
「お嬢ちゃん、彼氏と喧嘩かい?」
「なんなら俺達と遊ぼうぜ?」
「可愛がってあげるよ」
突然何人かが後ろからロズに声をかけた。猫なで声で気味が悪い。さっと振り返ると、ビールを持ったガラの悪そうな四、五人の男がロズを取り囲んでいた。隣に座っているやつもいる。
店の空気が一気に凍りついたのが分かる。談笑していた他のお客の声がピタリと止む。
「疲れているんで、遠慮しておきます」
ロズは愛想笑いでかわそうとする。俺も何か言おうと口を開いたが、一際大きいリーダー格の一人が俺とロズの間にビールジョッキを荒々しく置いたものだから、すくんで声が出なかった。
「そう言わずによぉ、この街は初めてなんだろう? 色々教えてあげないとなぁ」
そいつはロズの肩に手を掛け、周囲に同意を求めた。皆「そうだ」などと言いながら頷いている。ロズは固まってしまっていた。
「そういう訳だから、ちょっと借りてくぜ」
そいつは俺に、ヤニのついた黄色い歯を見せニヤリと笑う。どうにかして止めなければと思ったので、とっさにそいつの腕を両手で掴んだ。
「なんだ、坊主やる気か?」
「俺達に刃向かうとはいい度胸じゃねえか」
周りのやつらは手の間接を鳴らし、俺を挑発してくる。リーダー格に掴んだ方の腕を上げられ、立たされた。それでも俺は腕を離さない。
「俺は優しいからなぁ、三秒待ってやるよ。だがその間に手を離さねえと、振りほどいて一斉に殴るぞ」
「三」
俺は動かない。いや、俺からも殴ればいいんだろう。だが、おそらく避けられるか受け止められるだろうと考えてしまい動けない。相手は数がいるからリーダーに運良く攻撃できたところで俺もロズも助かりそうにない。
「二」
俺をからかうかのようにゆっくりと、いくらか愉しそうな声色だ。
俺は必死に考える。もし隙が出来たらロズを連れて逃げることが出来るかもしれない。やろうと決めると、準備のために右手を離して引いた。震えているのは気のせいだ。
「一、残るは左手だな」
「離すもんか」
左手は離さない。こんな相手にやられてたまるか、思うと力が湧いてきた。
「そうか、じゃあもう待つ必要はねえな」
リーダーはロズを離すと、俺を引き剥がして殴りかかってきた。既に俺も相手の腹めがけて拳を突きだしていた。だが、喧嘩なんてしたこと無い俺の力では痛くも無かったらしい。やつは怯まなかった。俺は目をつぶり身体に力を入れ、来る衝撃に備えた。