北城陸 その5
生徒たちの盛大な拍手は、次なるパフォーマンスへの期待の裏返しだ。
だが、たった一人で壇上に現れたリクを見て、生徒たちの熱が少しずつ引いていく。
既に幾つかの部活動が紹介されてきたが、一人だけというのは園芸部が最初だ。当然だが、注目されていたあの少女もいない。
園芸部だって。一人だけ? なんか盛り上がっていなさそう。そんな囁き声が聞こえてくる。
そして、これから始まるだろうプレゼンテーション……そのパフォーマンスについても、きっと期待するほどのものではないだろう。
生徒たちがそう思い、興味が急速に薄れていったとしても、仕方のないことではあった。
予想はしてたけど、このままだと少しまずいな。
そう考えたリクは、あらかじめ幾つか用意していた「最初に言うべき言葉」の中で、もっともくだらないものを一つチョイスする。これはちょっとした賭けであった。
「どうもみなさん、演劇部ひとりです」
かなりの勇気が必要な一言だった。
幸いなことにそれなりの人が笑ってくれた。アスカの準備の賜物だった。あの興奮の直後でなければ、とてもではないが口に出せない。
だが乗り切った。冷めつつあった興味の一部は、再びリクへと向けられつつあった。こいつは何か面白いことをしようとしているのだと、生徒たちに思わせる試みは成功した。
恥ずかしいことを言っただけの甲斐はあった!
「みなさんが期待しているでしょう彼女は、いま裏で休憩中です。起立している方もまずは座って、次に……次の次かな? に備えていただければと思います。さて、それまでの数分間の間、我が校の園芸部について、ご紹介させてください」
これはアドリブ。しかしリクの言葉は淀みない。
一部の上級生たちの表情に、小さな驚きの色が浮かび始める。北条陸を知っている人間が、彼が人前で話すのが不得意ではないということを、意外に思ったためだった。
一方で新入生たちもまた、小さく何事かを囁き合っている。男の先輩だよね? きれいな声、そういった囁きだ。
マイクを通して聞こえるリクの声は、少年のようであり、少女のようでもあった。幼さを感じさせる声色に、静かで確かな言葉を乗せていた。
興味と関心は人から声へと移った。となれば、次は言葉へ。
念入りに研ぎ澄ましたそれを、リクは頭の中で読み上げる。
「まずはみなさん、ご入学おめでとうございます。今朝の桜吹雪はご覧になりましたか? 今年も校内の桜が綺麗に咲いていますが、実はあの桜の木……園芸部はまったく関わっていません」
先ほどより笑い声が増えてくれた。内心少し安心する。
「その代わり、という訳ではありませんが、我が校の園芸部は桜とは違う花をみなさんに贈りたいと思います。みなさんの中で、昇降口の花壇に気がついた方はいますか?」
軽く手を上げて挙手を願ったが、残念なことにひとつも挙がらなかった。しかし落胆の必要はない。
「でしたら、下校時でも構いませんので、一目だけでも見てあげてください。
その花壇では、いま、ひとつの品種の花を育てています。もしかしたら名前は知っているけど、実際に見たことはない人もいるかもしれません。
その花の名前はスイートピー。その花言葉は『新たな門出』」
こういうとき、花言葉というものは便利だと実感する。
草花それ自体にメッセージ性を付与しようと最初に考えた者は天才だ。
「我が校の特色として、校内には花壇が多いです。そして、そこに何を植えるかは私たち園芸部員の自由です。何をどのように育てても構いません。興味がある方は、ぜひ部員となって、私たちと一緒に好きな花を育ててくれればと思います」
園芸部ひとりが放つ『私たち』の意味とは、つまり『おまえら入部しろよ』である。
「ただ一つだけお願いがあるとすれば、昇降口の花壇には再びスイートピーを植えてほしいということです。また来年、新たな新入生の新たな門出を祝うために。これまで栄陽高校園芸部がそうしてきたように。
ちなみに、色を決める権利があるのは、その年の進入部員の特権です。これは早い者勝ちということで。
そうそう、特権と言えばもう一つ。校庭の隅にちょっとした畑があって、夏から秋にかけて色々と収穫できます。学校で堂々とスイカが食べれるのも園芸部の特権ですかね」
一部の食いしん坊たちから「おおー」という声が上がった。まさしく餌に食いついた魚のようだ。だがすまない。学校で育つスイカは、甘みが薄く水っぽくてあまり美味しくはないのはまだナイショである。
「そして、将来の楽しみついでにもう一つ。いま校内で育てている花の中から、今日一輪だけみなさんの前でご紹介します。
これはフウリンソウと言って、これからまさに花期……えっと、花が咲きはじめる期間に入ります。今はまだ蕾ですが、これから数週間の時間をかけて、少しずつ色づいていきます。
この蕾がいったいどのような花を咲かせるのか、興味が沸いてはきませんか?」
前の方にいる生徒たちから、フウリンソウへと視線が集まった。
このためにリクは、数多の花の中からこの花を選んだ。蕾の形が独特な花を。フウリンソウを。
なまじ見たことのない花の蕾など、イメージが沸きようがなく、興味も生まれにくいだろう。しかしこのフウリンソウは違う。蕾の形は独特で、名前からもなんとなく想像ができるはずだ。いったいこのフウリンソウが、これからどのように育っていくのかが。
そして、そのイメージがあるからこそ、次の興味へと繋げることができる。
本当はどのような花が咲くのだろう?
リクはこの後、こう続けるつもりだった。
これから花開くフウリンソウを、新たな部員のみなさんと共に見守りたい。
それがこの部活動紹介のパフォーマンス、用意してきた言葉のすべてだった。今のリクにできる、精一杯のプレゼンテーション。
その時のリクの心を占めていたのは、ようやく終わるのだという安堵ではない。この後成長し、立派に花を咲かせるだろうフウリンソウの未来の姿だ。
リクはフウリンソウがどのような花を咲かせるかわを知っている。これまで何度も見てきた花だ。
若い蕾が釣鐘のような美しい花を咲かせるためには、もう暫くの時間がかかるだろう。
必要なのは大気と日光。水、湿度、そして養分。
植物を育てるということ。それは、それらを可能な限り完璧に植物に与えること。与えようとすること。
植物の味方で在り続けるということ。
「おい、あれ」
その時、前方から声が起こった。
いけない。一瞬とはいえ、イメージに意識を取られていた。
不自然に言葉を止めてしまっただろうか。どこまで喋ったっけ?
慌てるリクをよそに、前方の……声を上げた生徒がそれを見ている。
同様に何名かの生徒が、あんぐりと口を開けて同じ方向を見ていた。
フウリンソウの蕾を。
いや、違う。
それは蕾だった。ほんの少し前までは。
急速に桃色に色づき、今まさに開花するのだと震える花弁がそこにあった。
青みを残し、堅さを思わせる蕾の面影はそこにはなかった。
そして一つ、また一つと元蕾だったものが膨らむように花開いていく。開花の瞬間だった。
そう成長してほしいと心に願ったフウリンソウが完成していく。
信じられない光景だった。
急速に成長していた。まるで、開花までの過程を早送りで見ているようだった。
「うそ、凄い」
「急に咲いたぞ」
「なに? 手品?」
「へえ、あんな花が咲くんだ」
「え? ちょ、よく見えないんだけど」
その様子を目撃した、ステージに程近い生徒たちがざわめきはじめる。
だが、最も驚いていたのはリクだろう。
あまりの事態に、リクは言葉が出なかった。
(どうなってるんだ……? 開花までまだ、一週間はかかるはずなのに……)
ごくりと生唾を飲み込み、フウリンソウに触れる。
歯の一枚一枚が瑞々しく、力強い。
花弁にも堅い蕾の感触はなく、ふんわりとしたやわらかさがある。
間違いなく実物だった。
だが、いったいどういうことだ?
「あ、あのー……」
何者かの声が聞こえたが、それどころではないという思いが頭をよぎる。
しかし、それが現生徒会メンバーであり、この場の司会進行を任された少女の声だと気付くや、それがリクの意識を表層にまで引き上げた。
ま、まずい! とにかく、締めないと!
何か言わなくては。その思いがリクに口を開かせる。言葉を選ぶ猶予はなかった。
「あ、えー……と……。フウリンソウ……は、このような花が、咲きます。ハイ。…………以上園芸部でした」
周到な準備を重ね、完璧な援護のもと、万全の覚悟で挑んだリクの部活動紹介はそうして幕を閉じた。
五分ジャストだった。
@
特別校舎二階にある園芸部室。その中で一人、リクは机に突っ伏すようにうなだれていた。
「どうしてこうなった」
うつろな目をしていた。
あの後のことを、リクはよく覚えていない。
微妙でまだらな拍手を貰った気がする。
最後に、緞帳の裏でバレーボールを持ったアスカとすれ違ったのは覚えている。彼女もぽかんとしていた。
気がついたら最後のホームルームが終わっていたので、放心したまま職員室に行き、放心したまま鍵を受け取り、放心したまま部室に入って、そして今に至る。
机にべったりつけた頬が冷たくて心地よい。
一仕事終えた後の気だるい感じ……とはまた少し違った脱力感を味わいながら、リクはじっと一点を見つめていた。
言うまでもない。
机に置かれた鉢植え。
華やかな桃色。
非の打ち所のない、美しく咲いたフウリンソウである。
直接日の当たらない体育館のステージの上、小さな鉢植えの中、わずか一分にも満たない時間で、それも五つ全ての花弁が同時に花開く。
それは通常ではありえない成長だった。
何もかも足りなかったはずだ。時間も、水も、日光も。
それでも事実として、フウリンソウは立派に開花した姿でここにある。
しかも、そう在ってほしいと星に願ったら叶ったかのような、見事な花弁を咲かせて。
こんなことはリクの常識では考えられないことだ。
しかしただ一つ、常識では考えられないという一点において、リクには心当たりがあった。
「昨日盛大にぶちまけたアレか……?」
眉唾の逸話。御伽噺。そうだったはずのもの。
撒くことで豊穣を約束したとされる大昔の魔法使いの遺骨。
それを全身に浴びて、白く染まったフウリンソウが脳裏に蘇った。
「いやまさかなぁ……。でも、普通の肥料ならこんなことには絶対ならないんだけど……」
あの成長速度。あそこまで劇的に植物を成長させるドーピング的な薬物など聞いたことがない。
もしかして、あれってガチでマジックアイテムなの?
だからあんな劇的な成長をした?
薬物だとしても、仮に魔法的な何かだったとしても、劇薬であるのは間違いない。
てか、そんなものを俺は頭から浴びたのか?
そういえば昨日少し吸い込んだ気がする。全部吐き出したとは思うけど、だ、大丈夫なのか!? 帰ったらもう一度念入りにうがいをしなければ。
でも、別に今朝から体調はなんともないし……うーむ。
とりあえず、帰ったらもう一度父に詳しく聞こう。それが原因かは分からないが、なんとなくあの小瓶の中身はヤバい気がする。
というか、豊穣を約束するってこういうことじゃなくない? 勢いよく成長するのと、収穫が増えるのは全然別の話だと思うんだけれど。
「まぁいいか……今はそんなこと、どーでもいいや」
盛大にため息をひとつ吐き出すや、リクは目線だけで時計を見上げた。
時刻は正午を過ぎていた。
ホームルームが解散となったのは、今から三十分ほど前に遡る。
同じ時間に新入生のクラスも解散しているはずだ。
学校としては初日のスケジュールはこれで以上となり、帰宅も自由なのだが、どこかの部活に入りたいと願う生徒はその限りではない。
午後は授業こそないものの、各部活の自主性に任せ、自由な活動を許可している。
つまり、興味が沸いた部活があれば自由に見学して構いませんよと、そういうことだった。
帰宅部以外に興味のない一部を除いて、生徒たちは食事を済ませた後、案内に従って各部の部室を訪れる。
もうじき三十分経つ。ということは、食事が早い生徒なら、ぼちぼちと集まりだす頃合だろう。
その証拠に、部室の前はなにやら騒がしい。漫画で見たホストの呼び込みのような声もちらほら聞こえる。隣の部室の戸がガラガラと開かれる音が振動として伝わる。
そして、そんな喧騒から切り離されたかのような静寂に、リクは包まれていた。
この三十分間、園芸部部室を訪れた新入生の数……ゼロ。
机に積まれた入部届……当然減ってない。
孤独だ。
やはり最後のがいけなかったんだろうか。
突然の事態だったとはいえ、咄嗟に黙り込んでしまった自分が情けない。
もっとこう、手品です! とか言えるだけの胆力とか図太さがあればもっといい感じで終われたかもしれない。
花がおっきくなっちゃった! とか……いや……ないな……。
しかし全ては過去。後悔とは、後から取り戻せないからこそ悔やむのである。
できるだけ、園芸部の魅力を伝えたつもりだった。
どうしても、潰したくはなかった。
だから、あと三人、できれば一人の部員が欲しかった。
しかしそれも叶わなさそうな雰囲気だ。
今日は何時までいようかな。とりあえず、もうじきカイトたちが来るはずだ。昼食を食べ終わったら……どうしよう。
他の部活のように、部室の外に出て呼び込みでもしてみるか? でも、なんだか無駄に終わりそうな気もする。
……。
いや、ダメだ! 園芸部を潰さないと決めたじゃないか! そのためにできることなら、なんだってする。ホストまがいの呼び込みだって! 最後まで諦めるな!
折れそうになっていた心を無理やり鼓舞して立ち上がりかけた瞬間、ぐう、と腹が鳴った。
浮かせた腰を椅子に下ろして、再び机に突っ伏すリク。
「……とりあえず弁当食ってからだな。それにしても、カイトたち遅いなぁ」
前向きであろうとする意思が無力感と空腹感に苛まれていたその時、園芸部部室の前で誰かが立ち止まる気配があった。
「カイト?」
待ち人来たり。そう思って顔を上げたリクの前で、部室の扉が遠慮がちにおそるおそると開かれた。
「あ、あのっ……こ、ここは園芸部の、部室でしょうか?」