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北城陸 その1

 北城陸は実に暗澹たる気分でそれを聞いていた。


 片付けられたテーブルの上に置かれているのは、8センチほどの大きさのガラスの小瓶。その中には白い砂のような、何かサラサラしたものが詰まっている。

 リクをひどく憂鬱にしている原因はその瓶であることに間違いはなかったが、なによりもリクのMPを削ったのは他でもない、中二的ファンタジー設定を楽しそうに喋り倒す父の姿であり、その物語自体であった。


 それは筆舌にし難い痛々しさだった。話の内容は偉大、魔法、奇跡といった単語のオンパレード。そしてやけにオーバーな身振り手振りで話に抑揚をつけ、情緒を引き出そうとする無駄な試み。

 そして話を締めくくるや、すでに後退を始めつつある薄い前髪を掻き上げキメ顔を作ったあたりでリクの耐久力はもう限界であった。



 帰国した北城大貴が我が家へと帰り着いたのは、もうとっぷりと日が落ちた頃だ。

 出迎えたのは笑顔がステキな愛する妻と、仏頂面を無関心方向に強化した愛する息子だ。大貴にはもうひとり娘がいるが、いまは独り立ちして都会のほうへ移り住んでおり、現在はこの家で家族三人で住んでいる。


 その日の夕飯は、たとえそれが約一カ月ぶりの家庭料理だという色目がなかったとしても、大貴にとって非常に豪勢なものだった。テーブルに並べられたそれらの料理はすべて大貴の大好物だ。とくにリクの焼いた出汁巻き卵は絶品で、これを食べると、ああ、日本に帰ってきたのだな、としみじみ思うのだ。

 これらの料理を作り、遅くまで食べずに待っていてくれたのがこの仏頂面の我が息子なのだと思うと、大貴の感慨もまたひとしおであった。


 この家の台所はリクの領域だ。

 父親は仕事の都合で頻繁に海外に行ってしまい、母親も平日は毎日夜遅くまで働いている。そのため、リクが幼い頃から、北城家の毎晩の夕飯は手抜きもいいところであった。

 加えて少し年の離れた姉はぐうたらで、三食カップラーメンでも一言の文句も垂れる気配がなかったことから、両親の気が緩んでいたことも原因のひとつだろう。

 そういう日々が当たり前になっていた生活の中で、やがていつからか、リクは自分で夕飯を作るようになった。ぶっちゃけ、この貧困な食生活に我慢がならなかったのである。

 べちゃべちゃのオムライスや素うどんから始まり、少しはマトモなものができるようになると、やがて現金な姉が自分のぶんもと要求し始める。それは自分の料理が褒められたような気がして、リクも満更ではなかったようだった。

 リクが自分で食事を作っていると知るや、両親は手放しでリクを褒めた。姉が家事にだらしないのも、そういった適性のすべてを弟に残したためだったと、本気で思えたものだ。

 そのモチベーションを維持させるために、両親は食材費をリクに預けるようになった。好きなものを好きなように作ってほしいという思いからだ。リクは喜んだ。そして、進んで休日の食事も作りたがるようになった。

 そういった環境で成長を重ねていれば、リクの自炊スキルが自然と高まるのはもはや自明の理と言えた。

 中学校に上がる頃には、北城家の台所は完全にリクのものとなっていた。


 素晴らしい食事の時間はあっという間に過ぎてゆく。

 やがて訪れる寛ぎの時間。愛する妻が洗い物をする背中を見ながら、大貴が話題に挙げたのは土産物のことだった。


「そうだ陸。今回はおまえに、とっておきの土産があるんだ」

「ふーん?」


 ピクリとした反応を受け、大貴は頰のニヤつきを抑えることができない。リクは「そんなのぜんぜん興味ないですよ」と言わんばかりだが、どこか落ち着きなく体を揺らしているのを見逃す大貴ではない。

 リクは毎回、大貴の土産物に対してこれでもかと文句を言う。そこまで言うことなくない? と思うほどに言う。

 今までの人生経験上、社会通念上から逸脱した感性を持っているのはどうやら大貴の側らしいということは自覚しているのだが、それでもこうして毎回期待してくれている息子には、微笑ましいものを感じずにはいられない。

 そして今回は、絶対の自信を持つに相応しい土産物の用意があるのだ。

 大貴はおもむろに懐に手を伸ばし、それを取り出した。厳重に封がされたガラスの小瓶である。

 リクは「何それ?」という感じで眉をひそめたが、そんな顔ができるのも今だけであろう。満を持して、大貴は滔々と語り始める。

 身振り手振りを挟みながら、その小瓶に纏わる素晴らしい魔法使いの逸話を、あの老人から受け取ったものを少しでも多く伝えられるように。


「これは遠い異国フィンランドの地に古来から伝わる偉大な魔法使い、アレク・レデラトル・ギドの遺骨だ」



 そして今に至る。

「というワケだ。どうだ!?」

「失望した」

「えっ!? なんで!? 父さん、ミステリアスな感じ出てただろう!?」

「いや、ミステリアスさもダンディさもゼロだった。というか、いい年して恥ずかしいと思わないの?」


 ハッキリ言って、中年若ハゲである父にはまったく似合っていなかった。

 父の反応は激烈だった。電流が流れたかのように、前髪を握りしめて思考停止している。リクにしてみれば、父をそうさせる出所不明の自信のほうにこそショックだった。

 親子が再会したのはかれこれ一カ月ぶりだったが、こんなにも直視に耐えない話し方をするような悪癖は以前にはなかったはずだ。どうせまた、旅先で出会った誰がしかの影響を受けたのだろう。それともオペラでも見てきたのだろうか?

 

 さておき、手渡されたその小瓶を間近で眺める。

 フィンランドに伝わる魔法使い、アレクレデラなんたら……の話はともかく、この小瓶の中身は砕かれた人骨だという。

 そんな話を楽しそうに話すのもどうかと思うが、それ以前に海外土産に人骨を手渡す実父のセンスをなんと表現したらいいのか。

 この男が運んでくる暗黒の土産物の数々は、これまでもリクの心にある尊敬すべき父親像と言うべきナニかに致命的な打撃を与え続けてきたが、近年その破壊力にさらに磨きがかかってきているように感じる。リクの心に去来するのは呆れと失望、そしてそれらは次第に奮然やるかたなないというものに置き換わっていく。

 人骨て。いくらなんでも人骨はなくない? ってか、それを自分に与えてどうしたいの?


「それに親父さあ。いくらなんでも海外旅行の土産が人骨ってのは流石に人として間違えすぎじゃない? 無難なのが他にも色々あったでしょ? ムー◯ン柄のマグカップとかさあ」


 父にまっとうな土産物を選ぶ能力がないことは百も承知だった。しかし、だとしても、つい事前に「フィンランド 土産」といったキーワードでWeb検索を行ってしまう程度には、フィンランドの土産というものに興味を抱いてしまうことを誰が責められようか。

 そう、フィンランドといえばムー◯ンである。それに興味があるかと聞かれればまったくないリクではあったが、しかしそれにしたって人骨よりは遥かにマシなはずであった。


「まあ待て陸」そんなリクの願いを、手の平で押しのけるように大貴が言う。「前におまえにやったガラスのカップ、おまえ、どうしたか覚えてるか?」

「何言ってんのさ。サボテン植えて洗面台に置いてあるの忘れたの?」

 ボケた? と言わんばかりのジト目で答える。


 数年前、それがどの国のものだったかは忘れてしまったが、大貴が国外で買ってきたガラスのカップとソーサーを、リクへの土産として持ち帰ってきたことがあった。

 リクはひとしきり美しさを楽しんだあと、迷うことなくガラスのカップに土を盛って手の平サイズのサボテンを植えた。

 オプンチア属に属するバニーカクタスと呼ばれるサボテンだった。小さくて白いトゲがみっしり生えるのが特徴で、幾多の楕円形に成長する姿も相まって、まるでウサギの耳のようで非常に可愛らしい。

 透き通るガラスのカップはそんなサボテンを飾るにふさわしかったし、付属したソーサーもこぼれた水を受けるのに便利だ。

 お茶などという高尚な趣味を持たないリクにとっては、会心の閃きであったといえるだろう。

 ちなみに今そのサボテンは、北城家の洗面台の一画を華やかに彩っている。毎朝歯を磨くついでに水を与え、成長を確認するのはリクのライフワークだ。


「……まぁ、おまえにやったものだ。どうしようとおまえの勝手だがね。その時以来、おまえにカップとかそういう土産を渡すのは止めようと思ったんだよ」

「あっそう」

 別に父親が商売で取り扱うような、ヴィンテージ的ガラス的ナニかが欲しいなどと言った覚えは一度もない。それにどうせまた、そんなものを貰ったとしても、花瓶代わりに使うだろうことは目に見えていた。


「でもそれにしたって他にも色々あったでしょ。せめてジャムとかジュースとかって発想はないわけ?」

 リクはそれでもなお未練がましい。

 そう、例えばジャムなどであれば、まだまっとうな手段で有効に活用できる自信がある。何せ北城家の台所を実質的に預かっているのはリクなのだ。単にトーストに塗ってもいいし、料理に取り込んでもいい。いくらでも使いようがあった。

 フィンランドの森で育った果物のジャム。いいではないか。一度くらい食べてみたいではないか。少しくらい未練に思ってもよいではないか。

 画像で見たそれらはとても美味しそうだったのだ。


「ま、まぁ、済んだ話はともかくとして」気を取り直して大貴が続ける。「まぁ真偽はともかく、そういった逸話がある品だ。土に撒けば豊かになるって言ってたから、つまりよく効く肥料みたいなものなんじゃないか?」

「まぁ、確かに肥糧には骨粉とかもあるっちゃあるけど……」

 有機質肥糧の中には、豚とか牛とかの骨などを焼いて砕いたものもある。骨の主成分たるリン酸が、花や果実の付きに効果があるとかないとか。

 ただ、人骨を撒く農法など、リクは聞いたこともないが。


「確かに人骨と聞いて使うのも微妙だよなぁ」大貴も唸る。「ま、お守りだと思って持っておいたらどうだ?」

 人骨がお守りというのも思うところはあるが、結局のところ、そういう扱いが一番しっくりくるような気がした。


 かつて遠い異国で豊作を約束したとされる魔法使い、アレクレ、なんたら。

 その人物は大地に跪き祈るだけで、枯れた土地を蘇らせ、実りをもたらしたという。


 それってつまり、農耕があまり発展してない土地に新しい技術を持ち込んだ学者とかなんじゃないの?

 というのが、逸話を聞いたリクの感想であった。


 植物は土地の栄養を吸い上げて育つ。

 当然、土中の栄養素は無限ではない。植物たちに栄養を吸い上げられ、それが不足した土壌では次の植物は正常には育たなくなる。故に、肥料と呼ばれるものを土に与え、次に育つ植物のための栄養を補給する必要がある。これは農業も園芸も変わらない常識だ。


 その中でも肥料三大要素と呼ばれるものがある。窒素、カリウム、そしてリン酸である。

 特にこのリン酸は農耕の歴史上、常に不足し続けている。現代においても、発掘されるリン鉱石のおよそ80%が肥料用として消費されていることからも分かるように、肥糧三大要素の中でも重要な位置付けにあると言ってよい。

 当然だが、土にとって必要な栄養素はこれだけではない。カルシウムにマグネシウム、鉄、硫黄、マンガン……枚挙に暇がない。

 そしてこれらの要素が土壌に補給されなくなったとき、その土地は痩せ衰え、実りをもたらさない、枯れた土地へと変化していくのだ。


 魔法使いの遺言では自分の骨を土地に撒けと言ったらしいのだが、骨の主成分はリン酸カルシウムである。つまり、かつて彼が存在していた土地では、慢性的にリン酸が足りず、またそれを適切に補給されていない土壌だったのではないだろうか。

 それを知っていたから、その魔法使いは自分の遺骨を土地に撒くよう遺言を残したのだ。あくまで魔法使いとして、土地の人間たちの守護を受けるためには飯の種を明かすわけにはいかなかったが、自分の死後、農民たちが骨粉を撒くという農法に気が付けるように。そのきっかけを与えるために。

 つまりその魔法使いは、そういった知識を持ち、そして人道的な学者だった。そういうことになるのではないだろうか。

 まあ、これはあくまでリクの知識と照らし合わせた推察でしかない。それにしても、現代の知識をもって過去の逸話を紐解いてみると、なんとも夢のない結論に至るものである。厳重に栓をされ、その想いとともに大切に受け継がれてきたのであろう小瓶を眺めて、リクは少しセンチメンタルな気分に襲われた。


「……そうだね。使い道はともかく、一応貰っとくよ。どうせ他に何もないんでしょ?」

 父は親指をつきたて、眩い笑顔とサムズアップの姿勢をとった。ムカつく。

「ああ、そう言えばもう一つあったな。別におまえにというわけではないんだが、一応すぐに食べられるものがある」

「えっ、嘘」

 この親父がまともな食べ物のお土産を買ってきただと? リクは初めてパンダを発見した冒険家のような面持ちで聞いた。

「なにを買ってきたのさ」

「まあこれは、お土産というよりは、父さんが向こうで気に入ったお菓子なんだけどね」

 そう言って大貴は鞄から小さな箱を取り出した。それは白黒のチェック柄をしていて、小さな粒が詰まっているのか、ザラザラとした音を立てていた。

「サルミアッキというんだ。これがまたくせになる味でな。陸、おまえも食べてみるか?」

「食べる!」

 この時リクはなにも知らなかった。

 だからこそリクは、そのガムのような黒い塊をひとつ受け取ると、ためらうことなく口に放り込んだのだ。

 父への不信感は綺麗に消えていた。そこにあったのは未体験のフィンランドの菓子への興味。それを口にすることへの期待感と喜び、そして父に対する「見直した」という思い。それらはリクを笑顔にするに充分なものだった。

 その瞬間までは。

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