たとえ全てが虚偽だとしても
吐き気、無理矢理飲み込む。眩暈、踏み止まって耐える。寂しさ、ひたすら誤魔化す。涙、流さないともう決めた。
『女媧は自ら望んで出て行ったよ』
ずっと一緒にいた少女はいつも伏羲に微笑んでくれた。後ろで待っていてくれた。振り向けば当然のようにそこにいてくれた。兄妹のようで、親子のようだった。伏羲は確かに彼女が好きだったし、恋していたのだろう。だが恋を感じるよりもずっと前から愛していた。それは親愛であり、友愛であり、そして慈愛だった。一緒にいた時間の分だけ愛を感じていた。女媧は自分なんだと錯覚すらしていた。そして伏羲は、この感情はお互いが感じているものだと勝手に信じてしまっていた。自分が都合の良いように考えていた。
そしてそれは嘘だったのだ。
女媧はきっとここから抜け出してくれる手を待っていたのだろう。一緒にいて支え合う存在ではなく、守ってくれる存在でもなく、彼女は自分をこの場所から助けてくれる人を望んでいたのだろう。そしてそれを諦めてしまったのだろう。だから彼女は嘘を吐き続けた。
『ここにいたい』
『みんなが好き』
『私はここから出て行かない、みんなを置いては行けないよ』
口にすることで自分がそう思っているのだと信じようとしたのだろう。しかし彼女が自身を騙していた嘘は確かに伏羲を救ってくれた。彼女の言葉は嘘だったかもしれない。だが確かに優しさに溢れていた。この地獄から救ってくれる手がないのなら、せめて自分はこの場所を愛していようとしたのだ。ささやかな幸せを見つける努力を怠りはしなかった。だから伏羲は胸を張れる。
例え言葉が嘘で飾られたものだったとしても、彼女の優しさは嘘ではなかった。彼女と過ごした時間に偽りはなかった。優しい少女に恋をしていると胸を張れる。
一緒にいたいと言って流した涙さえ彼女の嘘ならば、その嘘すら愛していこうと決めた。ただ一筋に彼女を想うのは、伏羲が勝手にすることで、他の誰かに迷惑がかかるわけではない。ましてや想う相手は遥か遠く、伏羲が知らない場所にいる。
いつだったか、彼女がくれた綺麗な小石を握り締める。日に翳すと光が石を透かして輝く。透明なそれは彼女が偶然拾ったもので、宝物だと幼い頃伏羲にくれたものだ。もしかしたらなにか高価なものなのかもしれないが、伏羲にとっては女媧がくれたと言う価値さえあれば他のことに興味はなかった。
「……さよなら…、女媧…」
石に口付けて、ここにはいない少女に想いを馳せる。
自然の檻を見上げて、森に向かって腕を振りかぶる。高い壁よりも更に高く、遠くにと願いながら呟いた。
「どうか、幸せに…!」
石を、森の奥へと投げ捨てた。
君から貰った宝物は、俺にとって何よりも尊いものだった。でも、それを持っていたら俺はきっと前に進めない。いつまでも思い出に縋って、どこかで幸せになるであろう君に会いに行こうとしてしまう。君が幸せになった後、下賤な奴隷の男なんかに会いに来られたら困るだろう。だからいつまでも縋るのをやめるために、俺は君と俺の宝物を捨てる。忘れたいわけじゃない、ただ君の為に、俺のために。
「…愛してる」
君が前に進むなら、俺も前に進もう。大切なものに縋り続けて止まっているわけにはいかない。
吐き気、すでに飲み下した。眩暈、倒れる前に踏み止まる。寂しさ、もう忘れた。涙、流す暇があるなら強さを求めろ。
全てを抱えて、前に進め。