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封神伝  作者: アオト
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二人の約束



夜中、身体をゆすられて伏羲は目を覚ました。奴隷小屋の中誰かとぶつかったのかと思い薄く目を開けばそこには見慣れた少女の顔。女媧だ。

「……じょか…」

「うん、あのね伏羲」

「眠れないのか…?」

うとうとしながら伏羲は女媧に手を伸ばす。眠れない日はみんなで身を寄せ合って眠った。その夜温もりを別け合った仲間が、次の朝にはいなくなっていることだってある。そんな恐怖に怯えて生きることにももう慣れた。

もしかしたら彼女もそうなるのかもしれない。次の日になったら辛い仕事に耐えきれず、死んでしまうかもしれない。そんな夢を見ると伏羲は女媧と共に寝る。彼女も同じだ。恐い夢を見たらすぐに伏羲を探しに来る。

「あのね、違うの。外にね、ちょっとだけ出たいの」

「………外?…あぁ……」

彼女が言わんとしていることを察して伏羲は身体を起こす。厳しい仕事で身体は怠いし、殴られた場所は痣になっているのかじんじん痛む。体中のそこかしこが悲鳴を上げていた。しかし彼女の願いには変えられないと伏羲は務めて平然とした調子で起き上がる。

彼女は申し訳なさそうに眉を寄せた。

「ごめんね。わがまま聞いてもらって…。疲れてるのに」

確かに彼女の言う通り身体は疲れ切っている。栄養を充分に取れていないから倦怠感が常に付きまとっている。しかしそれはこの場にいる全員に言えることだ。熱に魘されて眠っているのに体力を奪われていた目の前の少女だって疲れ切っているはずだ。男の伏羲が弱音を吐くわけにはいかない。

「外に出るときは俺に言うことって言いだしたのは俺だろ。行こう」

「うん」はにかみながら女媧は差し出された伏羲の手を取った。みんなを起こさないようにそっと二人で外に出る。

昼間の強烈な日差しは身を潜めて、夜はすっかり冷え込んでしまう。雲がかかってもすぐにわかるくらい月が輝いている。明るい夜だった。そう簡単にお互いを見失うこともないだろう。

奴隷の居住区は深い堀のような場所だった。見上げれば木々が生い茂る森がある。奴隷がすむ場所だけ掘ったのだろうか、深くて大きな穴の中が奴隷の住処だった。堀の淵に立って見下ろさないと奴隷の姿は見えない。最も地位が低いのだと奴隷たちは住んでいる場所で思い知るのだ。ここは自然の檻だった。

唯一の出入口は固く閉ざされた門だけだ。外に出ることは叶わない。この土の壁を登ろうとした奴隷たちは、全員殺されてしまった。伏羲は今でも覚えている。笑いながら矢を放ち、奴隷を壁から次々と落としていく兵士の姿を。楽しそうに「誰が一番多く落とせるか競争だ」と矢をつがえる表情を。

昏い過去に浸っている伏羲を澄んだ歌声が引き戻した。女媧だ。

弱々しい歌声ではあったが確かに美しい音色を紡いで少女は歌う。難しい言葉など知らない彼女はただ適当に音をその唇から奏でる。韻も踏めていないめちゃくちゃな歌は、それでも誰より伏羲を癒す。

そうして癒されるのは彼だけではない。上の森からひょこひょこといくつもの獣が姿を現した。そうして音に釣られるように音もなく降りて来る。まるで空気を踏むように静かに落ちて来る獣はただの野獣ではなかった。

今街を騒がせていると噂の、いわゆる妖怪と言われる類のものだ。彼らは人間の言葉を理解し、ときには人間の生活を脅かし、ときには神として崇められることさえある。妖怪たちは女媧の周りで身体を丸めたが、少女の歌声に反応しぴくぴくと耳だけ動かしている。伏羲は少しだけ笑ってしまった。

『なにを笑う、人間』

足元からにゃーにゃーと可愛らしい声が聞こえる。見下ろせば黒い猫がいた。正確には猫の姿をした妖怪だ。

「なんか言ったか?」

『なんだとう、これだから人間は嫌なのだ!』

「なに言ったんだ、おい引っ掻くな!ただでさえぼろい服なんだぞ!」

「ふふ、仲良しだね」

歌が止んだ。女媧は堪えきれなくなったのかくすくすと笑う。聞き惚れていた妖怪たちが不満そうに伏羲を睨む。本気で目をつけられたらきっと明日には彼の姿はぐちゃぐちゃのなにかになっているのだろう、頼むから睨まないで欲しいものだ。

『笑ってないで歌っておくれ、我が娘』

妖怪の中でも一等美しい銀の毛並を持つ九尾のキツネが穏やかに言った。キツネはこの中でも一番の力を持っていて、ここら一帯を仕切っているとか。伏羲は妖怪の事情などあまり興味がなかったので覚えているわけではなかった。その上伏羲は妖怪の言葉が聞こえるわけではない。女媧から又聞きしているに過ぎないのだ。足元でにゃーにゃーと声を上げているようにしか聞こえない妖怪の猫に、がりがりと引っ掻いて来ることについて抗議の言葉を一方的にかけることしかできはしない。

女媧だけだ。彼女だけが妖怪の言葉を聞き取れる特別な人間。奴隷である伏羲の世界は酷く狭いが、彼女の存在が特異であることは確信できた。

『そうだ、娘よ。調子はどうかへ?最近芳しくなかったのだろう』

「もう大丈夫。伏羲もいてくれたし、みんなが私の分まで仕事してくれたの」

『…望めば、お前を解放してもいいのだぞ』

この奴隷などと愚かな世界から。憂いを帯びたキツネの目を見て女媧は伏羲に視線をやった。未だ猫の妖怪に絡まれている彼の姿を視界に収めてから、女媧は妖狐に視線を戻す。

「…いいえ」緩く首を横に振って答えた。

「いいえ、私はなにも辛くありません」

その言葉が聞こえたのか、伏羲は猫への抗議の声を止めた。

「女媧!」

化け猫を放り出しつかつかと彼女に歩み寄り乱暴に肩を掴む。離れた場所で妖怪の抗議の叫びが聞こえたが無視する。伏羲の乱暴な行動に妖怪達が抗議するように立ち上がる。

「辛くないわけないだろ!」

しかしその悲痛な声を聴いて、妖狐は周囲の妖怪を視線だけで抑える。

「俺なんてまだいい…。女のお前が、奴隷で辛くないわけないだろ!全部辛いに…、決まってるだろ……」

「どうして伏羲が私の不幸を決めるの」不思議そうに女媧は言う。伏羲が言い返した。

「不幸じゃないって言うのか。毎晩誰かが朝には死んでいるかもしれない、もしかしたら死ぬのは自分かもしれない。そんな恐怖に怯えて、毎朝目覚めることに歓喜して絶望してる!また理不尽に暴力を奮われて、そのくせ生きていることが泣きたくなる程嬉しくて!…それなのに、いつ死ねるんだとか、死んだ方がマシだとか言ってる。この現状が辛くないわけないだろう!」

当然の恐怖だな、とキツネは目を細める。矛盾した苦しみ。絶望した生活に死を望み、その癖生へ執着し続ける。奴隷とはなんて憐れな存在だろうか。女媧が今にも望めば、そこから解放してあげるというのに。

「なにも辛くないのは、確かに嘘かもしれない」

「やっぱり強がりかよ」

「でも、大丈夫なの」呆れた声に女媧は言葉を投げかける。伏羲はみんなの希望だ。奴隷の中の英雄だ。強く賢く揺るがず、いつだって奴隷の仕事を手際よくなるように指示を出す。みんなが伏羲を頼りにして、彼は弱さを見せてはいけないのだと思っている。だからこそ夜の彼は弱い。女媧と言葉の通じない妖怪しかいない夜だけは「現実は辛い」と叫ぶ。

「大丈夫なの。伏羲がいて、みんなもいて、幸せだよ。辛いけど、壊したくない」

食べ物もろくに手に入らない。着ている服だってままならない。暴力を奮われ、過剰な労働を強いられ、与えられるのは水だけ。病気になれば見殺しにされて、当然のように売買される。人権なんてとうの昔に奪われた。それなのに十の苦しみの中に一でも幸せがあれば充分だと彼女は言うのだ。彼女は奴隷に生まれた自分の人生すら恨みはしないのだ。

「強がりじゃないよ」微笑む少女を慈しむように綿毛のような妖怪がすり寄った。

「私一人、助けてもらうなんてできないよ。みんなを置いていけないよ」

「俺達は、いつ誰が置いて行かれてもおかしくない。明日になれば朝目覚めない奴が出て来るだろう。過剰な労働と暴力に潰える奴も出て来るだろう。売られていく奴だっているはずだ。毎日そうやって続いて来た。明日には誰かが売られて、知らない奴隷が入って来る。売られるのも死ぬのも俺や女媧かもしれないんだ」すでに諦めてしまった事実を述べる。

「置いて行くことを躊躇うな。お前が一人で安全な場所に行くことを恨む奴なんていない。お前一人でも幸せになって欲しいんだ」

それは所詮伏羲だけの意見でしかないのかもしれない。しかしそれでも彼女が安全な場所に行くことをどうして止めようと思うだろうか。

「行ってくれ女媧。奴隷から解放される可能性があるなら、その可能性にかけてくれ」

「私の幸せを、伏羲が勝手に決めないで」

きっぱりと少女は言い放つ。いつになく強気で、いつも通り真っ直ぐに。だがその表情が突然泣きそうに歪んだかと思うと、彼女は伏羲に飛びついた。

「…ごめんなさい」抱き締め返すこともできずに伏羲は自分にしがみ付く少女を見下ろす。

「ごめんなさい、ごめんなさい!わがままなの!全部私のわがままなの!伏羲は私の幸せを考えてくれてるのに、それさえ満足にしてあげられない私の……!わがまま…」

「…女媧……?」

「一緒にいてくれるんでしょ…?当たり前に、一緒にいてくれるんでしょ…!」

それなら、と彼女は絞り出すように言う。伏羲が女媧の肩に手を添えそっと身体を離した。それに釣られるように彼女は顔を上げる。大きな瞳からぼたぼたと涙を流しながら青年の服を掴んだ。

「一緒にいてよ……!」

きっと彼女はわかっているんだ。女媧を抱き締めながら伏羲は少し離れた場所に居座る妖怪達に目を向ける。冷やかな視線で伏羲を見詰める彼ら。

彼らには確かに女媧を助けるだけの力が備わっている。しかし彼らにとって特別なのは女媧だけだ。ならば彼らが何故伏羲を助けようとするだろうか。なにがあろうと、女媧が泣こうと、彼らは伏羲や他の奴隷を助けようとはしないだろう。彼女はそれをちゃんと理解している。

彼らは自分に利益がなければ動こうとはしないだろう。伏羲を助ける理由もない。女媧が泣いても涙はいつか枯れてしまう。時間が経てば傷は癒える。人間よりもずっと長寿な彼らはそれをわかっているのだ。だから彼らには伏羲を助ける理由がない。

「……一緒にいる。俺も一緒にいたい…!」

彼女を大切に思っているのは、なにも妖怪だけではない。伏羲は彼女を抱く力を強めた。

「簡単に売買される安い命でも、抵抗もできない無力な手でも」

俺がお前を守りたいのだと、伏羲は心から叫んだ。




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