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夜に属する  作者: マエタロウロア
第一章 敗者の街
5/15

音がした夜

笹山は、再びベッドに戻っていた。


身体はまだ重く、傷も癒えていない。

だが、眠れそうだった。


歌舞伎町の夜は、音が多い。

クラクション、笑い声、怒鳴り声。

どれも、ここでは子守唄みたいなものだ。


目を閉じた、そのときだった。


――ガタン。


階下から、はっきりとした物音がした。


続いて、グラスの割れる音。

女の短い悲鳴。


笹山は、すぐに目を開けた。


(……店か)


立ち上がろうとして、身体が痛む。

一瞬、迷った。


ここは借りている場所だ。

自分は、客でも店の人間でもない。


――もう一度、音。


今度は、男の怒鳴り声だった。


「ナメてんのかよ!あぁ!?」


その声に、聞き覚えがあったわけじゃない。

だが、胸の奥が嫌な感じでざわついた。


次に聞こえたのは、

上山のりの声だった。


「やめてください、困ります」


それは、叫びじゃなかった。

仕事の声だった。


笹山は、もう考えていなかった。


サンダルを引っかけ、階段を駆け下りる。

一段踏み外して、手すりを掴む。


フロアに降りた瞬間、空気が変わった。


照明が乱れ、

キャストが固まり、

一人の男が暴れていた。


スーツ姿。

酒に酔っている。

テーブルを蹴り、腕を振り回している。


そして――

上山のりが、その男に突き飛ばされて、壁にぶつかった。


「……!」


笹山の中で、何かが切れた。


次の瞬間、男の背中を掴み、力任せに引き離す。


「誰だてめぇ!」


男が振り返る。

その顔を、笹山は一発で殴った。


鈍い音がして、男がよろける。


「おい!何しやが――」


二発目。

三発目。


酒と怒りで膨らんだ身体は、案外もろかった。


男は床に倒れ、呻いた。


「な、なんだよ……」


笹山は、男の胸ぐらを掴み、顔を近づけた。


声は低く、静かだった。


「てめぇ。二度と恩人に手ェ出してみろ」


男の目が、揺れる。


「今度は、ただじゃすまねぇからな」


それだけ言って、笹山は手を離した。


店内は、しんと静まり返っていた。


キャストも、他の客も、誰も動かない。


最初に動いたのは、上山のりだった。


「……もう、帰ってください」


その声は、震えていなかった。


男は、何も言わず、ふらつきながら店を出ていった。


ドアが閉まる。


そこで、ようやく笹山は自分の拳を見た。

少し、赤くなっている。


「……すみません」


誰に言ったのか、自分でも分からなかった。


上山は、笹山の前に立った。


距離は近い。

いつもより、少しだけ。


「怪我、してるでしょ」


「これくらい、大したことないです」


「嘘」


短く言われて、笹山は黙った。


上山は、少しだけ視線を逸らした。


「……助けてって、言ってない」


「知ってます」


「じゃあ、なんで」


笹山は、しばらく考えてから答えた。


「音が、聞こえたんで」


それだけだった。


上山は、何も言わなかった。


だが、その沈黙は、さっきまでのものと違った。


「今日は、もう休み」


「……はい」


「上、戻って」


笹山は、頷いて階段を上がった。


ベッドに戻り、横になる。

心臓が、まだ速い。


しばらくして、足音が聞こえた。

上山が、階段を上ってくる音だった。


ドアの前で、止まる。


ノックはない。


「……笹山」


名前を、初めて呼ばれた。


「ありがとう」


それだけ言って、足音は遠ざかった。


笹山は、天井を見つめたまま、息を吐いた。


上山のりは、自分を見ていた。

さっきとは、少し違う目で。


それが何なのか、

笹山はまだ知らない。


だがその夜、

上山のりの胸のどこかに、

確かに小さな熱が残っていた。


それはまだ、恋と呼ぶには弱すぎた。

けれど、消えることはなかった。

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