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夜に属する  作者: マエタロウロア
第一章 敗者の街
12/16

越えてはいけない線

歌舞伎町警察署の前で、

上山のりは一度だけ立ち止まった。


昼間の空は、やけに明るい。

人通りも多い。

何も知らない顔で、人々は行き交っている。


(……戻るなら、今)


そう思ったのは、ほんの一瞬だった。


バッグの中には、

最低限のものしか入っていない。


名刺も、化粧も、

全部置いてきた。


今の自分は、

キャバクラの店長じゃない。


――笹山慎二を、連れ出す人間だ。


警察署に入ると、

冷たい空気が肌に触れた。


上山は、視線を落とし、

足早に奥へ向かう。


目的地は、

誰も気に留めない場所。


トイレだった。


中に入ると、

一人の警官が、洗面台の前に立っていた。


上山は、息を整える。


「……すみません」


警官が振り返る。


次の瞬間のことは、

上山自身、よく覚えていない。


ただ、

考えるより先に、体が動いた。


短い音。

警官の体が、ゆっくりと崩れる。


上山は、震える手で

その体を支え、個室へ引きずった。


「……ごめんなさい」


小さく呟き、

制服に手を伸ばす。


着替え終えた頃には、

もう後戻りはできなかった。


鏡に映る自分は、

どこか別人だった。


「……行こう」


帽子を深く被り、

上山は廊下へ出た。


足取りは、意外なほど落ち着いていた。


拘束室の前。


「……」


鍵を開ける音が、やけに大きく響く。


扉が開いた瞬間、

中にいた男が、顔を上げた。


「……上山?」


その声を聞いた瞬間、

胸が締め付けられる。


「私です」


思わず、

一人称が戻る。


「どうして……」


「後で説明します」


上山は、低い声で言った。


「早くここから出よう」


「危険です」


「分かってる」


視線が交わる。


その一瞬で、

笹山は理解した。


この人は、

もう止まらない。


「……私が前に出ます」


笹山が言う。


「離れないでください」


「ええ」


二人は、廊下へ出た。


だが――

数歩進んだ、その時。


ウゥゥゥゥ――


警報が、鳴り響いた。


赤いランプが点灯し、

署内が一気にざわつく。


「……バレた」


上山が呟く。


「大丈夫です」


笹山は、前に出た。


「ここからは、私が」


曲がり角の向こうから、

次々と警官が現れる。


「止まれ!」


「動くな!」


その声を背に受けながら、

笹山は、ゆっくりと息を吐いた。


(……俺じゃない)


(今は――私だ)


最初に踏み込んできた警官の腕を払い、

体勢を崩す。


二人目、三人目。


無駄な動きはない。

必要最低限。


倒す、というより、

進むために退けているだけだった。


「下がって!」


上山を背に庇いながら、

笹山は廊下を進む。


警官の数は多い。

だが、混乱している。


「……出口は」


「右です!」


上山が叫ぶ。


曲がった先に、

非常口の表示が見えた。


その瞬間――

後ろから、怒声が飛ぶ。


「止まれ!囲め!」


完全に、包囲されていた。


笹山は、一歩前に出る。


「上山さん」


「はい」


「目を閉じて」


「……え?」


「いいから」


上山が目を閉じた、その瞬間。

笹山は、一気に踏み込んだ。


廊下に、短い衝突音が続く。


誰かが倒れ、

誰かが後ずさる。


そして――

非常口の扉が、開いた。


外の光が、流れ込む。


「今です!」


二人は、走った。


警察署の裏手。

人目の少ない路地。


息が切れるまで、

走って、走って――

ようやく、立ち止まる。


「……」


「……」


しばらく、言葉が出なかった。


やがて、上山が口を開く。


「……無茶、しましたね」


「はい」


「怒ってます?」


「いいえ」


笹山は、首を振った。


「助けてくれた」


「それだけです」


上山は、少しだけ笑った。


「じゃあ……よかった」


その笑顔を見て、

笹山は思う。


この人は、

もう“巻き込まれた人”じゃない。


自分から、

この世界に足を踏み入れた。


(……だからこそ)


「私が、守ります」


笹山は、静かに言った。


上山は、驚いたように目を見開き、

それから、少しだけ頷いた。


「……期待してます」


その背後で、

遠くサイレンが鳴り始めていた。

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