檻の外で考える人
鉄の扉の向こうで、
時間だけが進んでいた。
拘束室には窓がない。
あるのは、白い壁とベンチ、それだけだ。
俺は座ったまま、何度目か分からない溜息を吐いた。
(……長いな)
時計は見えないが、
感覚で分かる。
もう、かなりの時間が経っている。
警官は、あれから来ていない。
写真の女の話も、それきりだ。
(様子見、か)
下手に動けば、
こっちが口を割ると思っている。
甘い。
俺は、本当に何も知らない。
知らないものは、吐きようがない。
それでも、
このまま放っておかれるとも思えなかった。
関東連合が動いている以上、
警察が何もしないはずがない。
(……上山)
ふと、名前が浮かぶ。
無事だろうか。
変な目をつけられていないだろうか。
俺が捕まったことで、
あの人に迷惑がかかっていないか。
考えれば考えるほど、
胸の奥がざわついた。
その頃――
歌舞伎町の外れ。
上山のりは、
小さな喫茶店の隅に座っていた。
目の前には、冷めかけたコーヒー。
ほとんど口をつけていない。
(……笹山)
警察署に連れて行かれた瞬間の光景が、
何度も頭の中で再生される。
止められなかった。
追いかけることもできなかった。
でも――
何もしないつもりは、なかった。
上山は、バッグの中から
一枚の名刺を取り出す。
「上山のり
歌舞伎町・◯◯」
それは、
“ただのキャバクラの店長”の名刺だった。
(使えるものは、全部使う)
上山は立ち上がり、
店を出た。
向かう先は、
歌舞伎町警察署。
正面から行くつもりだった。
警察署のロビーは、
昼間でも騒がしかった。
相談に来た人間、
事情聴取を受ける人間、
忙しそうに歩く警官たち。
その中で、上山は迷わず受付へ向かった。
「すみません」
声は、落ち着いている。
「昨日、ここに連れてこられた人のことで」
受付の警官が顔を上げる。
「お名前は?」
「笹山慎二」
一瞬、警官の目が動いた。
「ご関係は?」
上山は、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「……店の人です」
嘘ではない。
だが、全部でもない。
「少し、お話を聞きたくて」
警官は、名簿を確認する。
「現在、拘束中です」
「分かってます」
上山は、名刺を差し出した。
「暴力沙汰になったのは、
うちの店の近くです」
「本人は、客を守ろうとしただけです」
警官は、名刺と上山を見比べた。
「弁護士ですか?」
「いいえ」
「じゃあ、面会は――」
「それでも構いません」
上山は、はっきり言った。
「この人が、
悪い人じゃないってことだけ、
伝えたいんです」
その言葉に、
警官の態度が、ほんの少しだけ変わった。
「……少し待ってください」
上山は、椅子に腰を下ろした。
心臓が、静かに早く打っている。
(大丈夫)
(私は、私にできることをするだけ)
しばらくして、
別の警官が現れた。
「上山さん」
「はい」
「五分だけです」
それだけ言って、
奥へ案内する。
その頃――
拘束室の扉が、再び開いた。
「……立て」
警官の声。
俺は、ゆっくり立ち上がった。
「移動だ」
廊下を歩かされる。
事情聴取か、それとも――
そんなことを考えていると、
角を曲がった先で、視界が止まった。
そこにいたのは――
上山のりだった。
「……!」
思わず、息を呑む。
(なんで……)
警官が言う。
「短時間だ。話せ」
そう言って、
少し距離を取った。
その瞬間、
胸の奥の力が、ふっと抜けた。
「……私」
口を開いた瞬間、
一人称が変わっていることに、自分で気づく。
「どうして、ここに」
「来たかったから」
上山は、いつも通りの声で言った。
「無事?」
「……はい」
「嘘」
そう言われて、
少しだけ笑ってしまう。
「……少し、やられました」
「でしょうね」
短い沈黙。
「私、できることはした」
「ありがとうございます」
「まだ、終わってないけど」
上山は、真っ直ぐ俺を見た。
「出られるかどうかは、分からない」
「それでも」
「一人じゃないってことだけ、
忘れないで」
その言葉が、
胸の奥に、静かに落ちた。
警官が、咳払いをする。
「時間だ」
「……また」
「ええ」
上山は、そう言って立ち上がった。
連れて行かれながら、
俺は思った。
この人は、
俺を助けようとしている。
危険だと分かっていながら、
それでも、隣に立とうとしている。
(……だからこそ)
俺は、
もっと強くならなければならない。
守られる側でいるわけには、
もういかない。
拘束室に戻る途中、
遠くでサイレンの音が聞こえた。
関東連合も、
警察も、
まだ動いている。
その中心で、
俺は――
確かに、目を覚ました。




