素直になれない騎士は、今日だけ素直すぎる。
幼馴染同士の騎士×女官の話。ふわっとした設定で書いてます。
どこかで聞いたような、テンプレっぽいようなよくある恋愛模様。
エドガーが城へ戻ったと聞いて、マリアンヌは書類の束を抱えたまま、女官用の回廊へ出た。
騎士団詰所へ向かう者たちも通る、少し広い通路だ。
書類を届けるついでだから、と自分に言い訳しながら。
騎士団の任務があるといって、王都を離れて二週間。
こんなに顔を合わせないのも久々で、どうしてもエドガーの顔を見たかった。
遠くから、見慣れた黒い外套が歩いてくるのが見える。
見慣れたこげ茶の髪色も、歩き方も、間違えようがない。
目が合った。
――あ、帰ってきた。
そう思った、次の瞬間だった。
エドガーは、なぜか、何もなかったかのようにくるりと踵を返し、角の向こうへ消えた。
マリアンヌは、その場に立ち尽くした。
「……え?」
今のは、なに。
……私、避けられた?
気のせいだろうか。
きっと、遠目で見間違えただけだ。
うん、気が付かなかっただけかもしれないし。
そう自分に言い聞かせて、マリアンヌは執務室へ戻った。
しばらくして。
今度は中庭の縁で、またあの黒い外套が見えた。
今度こそ、とマリアンヌは片手を上げた。
「エドガー!」
にこやかに、思いきり振った。
彼は、こちらを見た。
そして――また、逃げた。
「……は?」
思わず、声が漏れた。
今のは、逃げた。
気のせいではない。確実に、逃げた。
ちゃんと目が合ったのに。
理由はわからないが、とにかく逃げた。
エドガーは、私から逃げたのだ。
*
エドガーは親戚であり、幼馴染である。
そして私の好きな人。
小さい頃から、エドガーはぶっきらぼうだった。
転んでも「大丈夫か」とは言わない。
代わりに、無言で手を差し出す。
怪我をして帰ってきても、「心配かけるな」としか言わないくせに、翌日には、マリアンヌの机の上に薬草が置いてあったりする。
言葉は少ない。
態度も不器用。
でも、優しいことだけは、昔から変わらない。
――私は、この人が好きだ。
ずっと前から、ちゃんと。
それでも、言えない。
幼なじみで、親戚で、毎日顔を合わせて、この距離が当たり前になりすぎてしまったから。
壊れたら、戻れない気がしている。
嫌われているとは思っていない。
むしろ、きっと大事にはされている。
それが、わかるからこそ、怖かった。
最近、女官長から「そろそろ身の振り方も考えなさい」と言われた。
私が王城付きの女官である以上、それは遠回しな“縁談の話”だと、わからないほど子どもじゃない。
だから、余計に、この距離を失うのが、怖くなった。
もし、ここに“答え”を出さなければ、誰かのもとへ行くことになるかもしれない。
その考えが、胸の奥に、ひっそりと影を落とす。
もし、私の気持ちが、もう伝わってしまっていて――
それで、今日みたいに避けられているのだとしたら。
そう考えた瞬間、心臓が一度、強く跳ねた。
嫌われるよりも、“大事にされているまま、距離だけが離れていく”ことの方が、ずっと怖かった。
だから、今日こそ、ちゃんと聞きたいと思ってしまった。
私は、あなたの、なんなのかを。
*
そして三度目。
今度は、声をかける間もなかった。
視界に入った瞬間、彼はすでに進路を変えている。
「……あの人、逃げるの早くない?」
たまたま一緒にいた同僚のエリーがぽつりと呟いた。
その一言で、胸の奥が、ずんと重くなった。
――やっぱり、逃げてたんだ。
私から。
そう、ようやく気づいたところで、胸の奥がじわじわ熱くなった。
*
昼休み、城内職員用の小さな食堂で、マリアンヌはスープをつついていた。
匙は動いているのに、口元はまったく楽しそうではない。
「……ねえ」
向かいに座る同僚の女官であるエリーが、じっと彼女の顔を覗き込む。
「マリアンヌ、機嫌悪そうだね。どうしたの?」
「別に……」
と言いながら、匙がカップの縁に、こつんと当たる。
「また?」
「……またってなによ」
「さっき、あのイケメン幼馴染騎士様と何かあった?」
マリアンヌは、ぴたりと手を止めた。
「……あれで三回目よ」
「なにが?」
「逃げられたの」
「……え?」
「今日だけで、三回」
エリーは、ゆっくり瞬きをした。
「あらぁ……」
その一言に、胸の奥のもやもやが、ぷつりと音を立てる。
「こっちは、怪我してないか心配してるだけなのに。名前呼んだのよ? ちゃんと。手も振ったのよ?」
「それで逃げたの?」
「逃げた」
「全力で?」
「全力で」
エリーは、パンをかじりながら、うんうんと頷いた。
「それは……ちょっと、ひどいね」
その“ひどいね”が、胸に刺さった。
「……避けられる理由がわからないのが、いちばん嫌なの」
マリアンヌは、ぽつりとこぼす。
「私、なにか、したのかな」
言葉にした瞬間、胸の奥が少しだけ、ひりついた。
エリーは、すぐには答えなかった。
マリアンヌの顔を見て、少しだけ考えてから、ふっと笑う。
「……あなたが、何かしたようには見えないけど」
それから、肩をすくめる。
「でも、あの人は、ちょっと不器用そうに見えるし」
マリアンヌは、思わず視線を落とした。
「だから……たぶん、あなたのせいじゃないわ」
その一言に、胸の奥が、すっとゆるむ。
マリアンヌは、ちょっとだけ救われたように息をついた。
*
昼休みが終わり、二人で回廊を歩いているときだった。
視界の先に、あの黒い外套が現れる。
マリアンヌが口を開くより早く、彼は、すっと進路を変えた。
「……あ」
エリーが、間の抜けた声を出す。
「これで……」
「四回目」
マリアンヌは、小さく息を吸った。
「……あちゃー」
「……これ、持ってて」
彼女は、書類と鞄をエリーに押し付ける。
「え?」
「逃がすか!!」
マリアンヌは、エリーに荷物を押しつけると同時に、視線を走らせた。
この時間帯の回廊は、左が執務棟への近道。
右へ行けば、巡回中の近衛騎士に捕まる。
まっすぐ進めば、人の多い中庭だ。
――なら、行く先はひとつ。
人目が少なくて、裏口へ抜けやすくて、なにより、エドガーが“考えずに選ぶ道”。
マリアンヌは、躊躇なく、裏庭へ続く小道へ駆け出した。
石畳を蹴る音が、乾いた音を立てて響く。
逃がさない。
今日は、絶対に。
裏庭へ続く小道は、城の喧騒がふっと遠のく場所だった。
昼下がりの風に、草と土の匂いが混じる。
樫の木の根元に、黒い外套が翻った。
やっぱり。
やっぱり、ここだ。
マリアンヌは、石畳を蹴って駆けた。
あと三歩。二歩。一歩。
「エドガー!」
彼は、振り返りかけた。
――その瞬間、マリアンヌは腕を掴んだ。
「捕まえた!!」
ぎゅっと掴んだ手首は、思ったより温かかった。
エドガーは、びくりと肩を跳ねさせ、すぐにもう片方の手で口元を押さえた。
「……来るな」
くぐもった声。
「来るな、見るな、今は……!」
「はぁ!? なにそれ!」
マリアンヌは、掴んだ手を離さない。
「朝から何回逃げたと思ってるのよ! 心配したんだから!」
エドガーは、首を振りながら、必死に視線を逸らした。
「違う、そうじゃない……頼むから……!」
「なにが“違う”のよ!」
ぐっと力を込めて、彼の手首を引く。
その瞬間――
「好きだ」
抑えたはずの口から、はっきりと、声が落ちた。
マリアンヌは、動きを止めた。
「え?」
「ずっとだ。子どもの頃から」
エドガーは、片手で口元を押さえたまま、それでも言葉が止まらない。
「お前が笑うと、左の頬に小さなえくぼができるの、知ってるか」
「……え?」
「それを見るたびに、今日もかわいいなって思う」
「え、え?」
「仕事のときは髪をきっちりまとめてるだろ。でも俺は、髪をおろしてるほうが好きだ」
マリアンヌの頬が、じわじわと熱くなる。
「お前はくせ毛を気にしてるけど、風に当たると、ああしてふわっと広がるのが……似合ってる」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「あと、字が綺麗だ。俺の名前を書くときは、少し丁寧になる」
「なにそれ知らない!」
「上司が持ってくる話なんて、全部、断れ。……誰にも、渡したくない」
エドガーは、とうとう頭を抱えた。
「くそ……!!だから会いたくなかったんだ!!こんなこと、呪いで言うつもりじゃなかったのに!!」
今聞いたばかりの言葉が、胸の奥に、まっすぐ届いた。
知っていたんだ。
私のところに、どんな話が来ているのかも。
私が、どんなふうに迷っていたのかも。
驚きと一緒に、じんわりと、嬉しさが広がる。
“誰にも渡したくない”。
その一言だけで、胸の奥の不安が、少しずつ溶けていくのを感じた。
マリアンヌは、耳まで真っ赤になって、ただ彼を見つめる。
胸の奥が、どくん、と鳴った。
*
樫の木の葉が、さらさらと風に鳴っていた。
マリアンヌは、耳まで赤くなったまま、ただその場に立っている。
エドガーは、頭を抱えたまま、呻くように言った。
「……だから、会いたくなかったんだ」
「……な、なにが?」
「今の俺は……変なんだ」
そう言って、彼はゆっくりと顔を上げる。
目は合わない。
合わないけれど、声は低くて、真剣だった。
「今日の任務で、呪われた」
「え?」
「“本音を口にしてしまう呪い”だ」
マリアンヌは、思わず瞬きをした。
「……なにそれ」
「俺もそう思う」
短く息を吐いて、エドガーは続ける。
「上官を庇って、変な魔術師にやられた。口に出そうとした言葉が、勝手に全部、本音になる」
「……それで、逃げてたの?」
「逃げてた」
即答だった。
「本当は、ちゃんと準備して言いたかった。ちゃんとした場所で、ちゃんとした言葉で。……呪いで、じゃなくて」
その声は、さっきの雪崩のような言葉たちよりも、ずっと静かだった。
マリアンヌの胸が、きゅっとなる。
少しだけ迷ってから、彼女は、ゆっくり口を開く。
「じゃあ……」
樫の木の葉が、さらりと揺れる。
「明日の朝、ここで待ってる。ちゃんと、準備してきて」
エドガーは一瞬だけ目を見開き、それから、小さく、でも確かに頷いた。
*
翌朝。
裏庭へ続く小道には、朝の光が柔らかく差し込んでいた。
樫の木の下に、すでに黒い外套が立っている。
その腕には、淡い色の花束。
マリアンヌが近づくと、エドガーはまっすぐこちらを向いた。
「……マリアンヌ」
その声は、昨日より少しだけ、落ち着いている。
彼は深く息を吸い、花束を差し出した。
「俺は、お前が好きだ」
言葉は、ゆっくりと、でも迷いなく落ちた。
「隣にいたい。守りたい。……一緒に、生きたい」
マリアンヌは、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、そっと頷いた。
「……はい」
その瞬間、エドガーは、ほっとしたように微笑って、彼女を抱きしめた。
それを――
「あら?」
背後から、聞き慣れた声。
「……なるほどね」
振り返ると、そこにはマリアンヌの上司である女官長が立っていた。
「おめでとう。でいいのかしら?」
「……っ!」
マリアンヌは、真っ赤になって一歩下がる。
だけど、エドガーは平然とした態度で女官長に返事をする。
「ありがとうございます。今プロポーズして、返事をもらったところです」
「そう。やっと決まったのね」
女官長と淡々と言葉を交わすエドガーを横目に、マリアンヌの頭の中は驚きと恥ずかしさで大混乱だ。
「い、いえ! あの、その……!」
「今日は仕事、お休みかしら?」
「い、行きます!! 今すぐ!!」
真っ赤な顔で叫ぶマリアンヌに、女官長はくすりと笑って去っていった。
エドガーは、少しだけ不満そうに眉を寄せる。
「……もう少し、一緒にいてもよかったんだが」
そう小さく呟くと、彼は、ほんの一瞬だけ距離を詰めた。
マリアンヌが何か言うより早く、頬に掠めるように口づける。
「また、あとでな」
風のように軽いその感触に、マリアンヌは言葉を失ったまま、立ち尽くした。
樫の木の葉が、さらりと鳴った。
それは、昨日の呪いが、すっかり遠くなった合図のように聞こえた。




