第75話 ――語られた真意、狂気の英雄――
レイグレンは、倒れた姿勢のままに息を整えた。
その表情はもう弱々しいわけではない。
むしろ、痛みより理屈を優先しているような顔だった。
「……では。ラナ。答えましょうか」
ラナは一歩踏み出して見下ろす。
怒ってもいない。ただ、静かに真実を求める顔だ。
「……どうして、カイルだったの?」
「まずは最初の接触からですねぇ。私は、彼が緑位のころに声をかけています。実力を買ったわけではありませんよ。あの頃はただの若造ですからねぇ」
「……分かってる」
「私が見たかったのは……器です。神剣ラグナに『選ばれ得るかもしれない器』。その可能性を、彼は持っていた。剣への信念。理層との噛み合い。そういう小さな兆しがねえ」
ラナは少しだけ目を細めた。
「……あの人、そういうとこあるから」
「ええ。だから私は観察しただけ。駒にしようなどとは微塵も思っていなかった。
――その時点では、ですが」
その一言に私は背筋が冷える。
「じゃあ、決め手は何だったの?」
ラナの問いに、レイグレンは喉を鳴らし小さく笑った。
「あなたですよ、ラナァ」
「……私?」
「ええ。あなたが神剣に選ばれた瞬間に、私は気付いたのです。この組み合わせは……理論上最適だ、と」
ラナは言葉を失った。
「神剣に選ばれた女。そして、選ばれ得る器を持つ男。
しかも二人は幼い頃から互いを意識し、競い、ぶつかり合い……
親しくて、同時に因縁もある」
レイグレンの瞳が、狂気と知性の狭間で光る。
「そんな関係性の二人を戦わせれば、どうなると思いますか?」
「……最悪だよ」
「最適なのですよぉ。ラナを覚醒させる条件としては」
胸の奥が痛くなる。
「ラナ。あなたが本気で斬らねば倒せない相手。それがカイルでした。
親しいが、勝たなければ死ぬ。
手加減できない。
あなたが覚醒するには……彼しかいなかった」
ラナは拳を握りしめたが、怒鳴らなかった。
「……そのために、あの人を利用したの?」
「利用というと聞こえが悪いですが……ええ、そうです。
あなたが覚醒し、怒りと悲しみと――強い意思で満ちた瞬間。
そのまま、私がけしかけた【起源種】を殺してもらう。
それが私のプランA」
空気が一瞬止まったように感じた。
「あなたはカイルを斬り、覚醒した勢いのまま起源種を殺す。
起源種さえ殺せれば星の揺らぎは止まる。
揺らぎの元凶が死ねば、真の理を取り戻せる」
レイグレンは息を吐き、笑う。
「美しい計画でしょう?」
「…………」
ラナの沈黙は、怒りでも悲しみでもなかった。
もっと底のほうにある重たい感情だった。
「じゃあ……カイルは?」
「彼は『神剣に選ばれ得る器』でした。あなたに勝つ可能性もあった。その過程でもし仮にラナが死ねば……カイルにはプランBで起源種を殺す役目を与えるだけです。その時は、私と二人で協力してたでしょうねえ。」
「……そんな簡単に言わないでよ」
「現実は残酷ですよぉ? 私はただ、正しい組み合わせを選んだだけです」
ラナは、深く息を吐いた。
「……最低だよ、レイグレン」
「自覚しておりますとも。ええ。それは誇れることではない」
「でも、一つだけ分かった」
ラナはレイグレンをまっすぐ見た。
「あなたは……私とカイルが、大事にしてきたものを全部、計算に変えた。
だから私は、あなたの計画なんて認めない。
あなたの理論は正しいかもしれないけど……私は、許さない」
レイグレンは目を伏せた。
僅かに、ほんの僅かだけだが揺れた表情だった。
「……ラナァ。あなたは……やはり強い」
「強くなかったら勝てなかったよ」
そう言って、ラナは背を向けた。
(……なんて重い真実)
私はただ、その光景を見つめていた。
ラナの沈黙が、星の揺らぎより重く感じるほどに。
◇
レイグレンが黙り、ラナがこちらへ戻ろうとしたその時――
地面に伏したままの彼が、もう一度だけ口を開いた。
「……まだ、言っておくことがありますよお。ラナ、そして……クーデリア」
名前を呼ばれて、私は思わず身を固くした。
「此度の大騒動……世界中の魔物が暴れ、分身を撒き散らし、起源種を呼ぶための一連の準備。全部合わせて……私は星内部の瘴気を大幅に消費しました」
声は弱っていない。
むしろ淡々と、計算結果を読み上げる研究者そのままだ。
「世界の瘴気の……約半分です。
結果として、星の寿命は……ざっと五千年ほど延びました。計算上は、ですがねえ」
(……五千年?)
あまりに大きすぎて、すぐには理解が追いつかない。
ラナも、まばたきすら忘れていた。
「あなた、本当にそんなことまで……」
「ついでみたいに言わないでくださいよぉ。大変だったのですよ?
まあ、世界の危機としては……副産物みたいなものですが」
レイグレンは薄く笑った。
「ラナから聞きましたよ、紫華殿…いや、クーデリア。あなたは、私の理論を深く理解できるらしいですねえ」
「……あんた程じゃない。私は、そこまでの人間じゃない」
「謙遜は不要です。疑うなら、自力で計算してみなさい。
あなたの得意な魔力の上書きと調和の延長で……瘴気の減衰と循環量の再配分を読めば、分かるはずです」
そう言うと、レイグレンは破れた外套の内側から、掌に収まる黒鉄の円盤を一つだけ取り出した。
「補助用の計測呪具です。理層干渉の回路を簡略化したもの。
……ただし、扱いは難しい。呪具の挙動に慣れた者でなければ危険ですよお」
視線が、ヴァルクへ向く。
「手伝わせるといい。
彼なら、これの制御くらいは出来るでしょう。呪具師の本分ですしねえ」
ヴァルクは短く頷いた。
「……お前、まだ余裕あるのか」
「余裕ではありませんよ。終活みたいなものです。
私の野望は……ここで潰えた。だからもう、あなた方の好きにすればいいのです」
レイグレンは、そこで初めて力を抜いた。
身体から何かが抜ける音がした気がした。
魔力の糸が一本ずつほどけるような、静かで、逆らわない気配。
「……本体の私が、ここで消えれば、世界中の分身も消えるでしょう。
あとは、勝手に頑張りなさい。
星の揺らぎも、起源種も、神器も……
全部あなた方の手に残る」
「レイグレン……」
ラナが近寄ろうとした瞬間――
レイグレンの身体から黒い膜のようなものが浮き上がり、ゆっくりと粒子になって消え始めた。
「どうかこのままで。模倣神器と呪具を多用した上で負けたものですから、反動で私の存在が維持できなくなっただけです」
声は穏やかで、笑っているのか泣いているのか分からない。
「……ああ。もっと早く……そうですねえ。
十年早く……出会っていれば」
「……!」
「ふ、ふふ……冗談ですよ。好きに生きなさい、ラナ。それが……正しい」
その言葉を最後に、レイグレンは輪郭を失った。
黒い光が細い糸になって空へ昇り、やがて消えた。
「…………」
ラナは拳を握ったまま、何も言えなかった。
私も。
誰も。
ただその消滅を見ていることしかできなかった。
(レイグレン……)
憎しみも狂気も、全部抱えたまま。
けれど最後の最後で、確かに人としての声があった。
余韻だけが、胸に残った。




