第74話 ――神話の勝者――
白銀が奔るたび、世界が震える。ラナの斬線は、世界の余白を刈り取る。だがレイグレンもまた五つの模倣神器と複数の呪具を展開し、空間の裏側と同時に星の核層にも干渉。その反応で空を捻じ曲げ続けていた。
「――ッらァ!」
神器の刃は、空間の歪みすら斬り裂く。
だがレイグレンは嗤い、軽く指を弾く。黒い呪詛層が波紋になり、幾重もの虚の盾が彼の前に重なった。
「やりますねえ、ラナァ!!
それでこそ世界意志。伊達ではありません!」
「黙ってろ!」
白銀の閃きが盾を、周囲の空間ごとまとめて断つ。
しかし斬り裂いたはずの空間がふっと白く弾け――ラナの視界が反転した。
風が途切れた。
雲も星も消えた。
白一色の、奥行きのない空間。
「……は?」
ほんの瞬きの間に、すべてが塗り替えられていた。ラナが振り返ると、レイグレンはその中心で黒い水を零していた。水面は音もなく広がり、白の世界をじわじわと侵食していく。
「ここ……どこ?」
レイグレンはゆっくりと首を傾けた。
「星の上空だった場所から、少し内へ入っただけですよお。
――星の核層の中です。
そして、ここに来られるのは……私と、世界に選ばれた貴方だけ」
「核層……?」
「ええ。お互い、位置だの距離だの、そういう次元は既に超越していましてねえ。私は『そこにいてそこにいない』。逆に言えば『どこにでもいれる』」
黒い水面がぱしゃり、と揺れた。
世界を塗り替えるための素材が、とめどなく溢れ続けている。
「さあ……ここからは、世界ごと私の理論で再構築しましょう。恒久的とは言いませんが、一時的になら、貴方にとって不利で、私にとって最も合理的な環境に――」
嗤いを浮かべたレイグレンが、指を持ち上げる。
その刹那。
「……レイグレン」
ラナが呼んだ。
その声で、レイグレンの動きが止まった。
黒い水の広がりさえ、その速度を失う。
「ねえ、レイグレン」
神器の刃を構えたまま、ラナが問う。
「なんで……もっと周りに相談しなかったの?」
――国の上層への公表はした。
「私はさ。自分を頭が良いなんて思ったこと、一度もないよ」
――ただ誰からも、正しい理解を得られなかった。
「でもね。私じゃ理解できないことでも、クー子ならきっと理解できた。あなたの理論だって、深く、深くまで。共有できたよ……絶対に」
白銀の翼が煌めく。
その輝きが、レイグレンの作った黒い水面に反射して滲んだ。
「あなたが一人で抱え込んで、捻じれ続けた人生なんて、もっと違う形にできたんだよ」
「…………」
「星の寿命だって、平和的に伸ばせた。
神秘を否定して壊す必要なんて、どこにもなかった!
クー子は凄いんだ! 理を喰う化け物だって抑えてみせた!
不変と言われた聖遺物だって変えてみせた!!」
その言葉に――レイグレンの嗤いが、途切れた。
彼は顔を伏せ、肩を震わせる。
「……はは、は……っは……!!」
狂気ではない。
そこに混じっているのは、どうしようもない悔しさ。
「ラナ……そういうことは――」
レイグレンが顔を上げる。
狂気と理性がねじれ合い、けれどどこか人間的な瞳。
「十年早く言いなさい!」
「そっちこそ、十年待てば良かったでしょうがッ!」
白銀と黒がぶつかり、核層が揺らぐ。
世界の境界が波を立てるように揺れ続ける。
◆
「……いいでしょう、ラナァ」
レイグレンは背の呪具をすべて展開した。
そしてその下、両腕・腰・背の核が同時に点滅する。
――五つの模倣神器構造体。
【起源種】を殺すために作り上げた殺しの道具。
「あなたの言葉は――耳に痛いが、嫌いではない。
だからこそ! ここで決着をつけましょう!!」
ラナは翼を広げ、光が迸る。
神器が核層を貫通し、刃そのものが因果の線となる。
「……いいよ。
あなたを止めるためじゃない。
私が信じる未来のために――勝つ!」
二人の力の高まりに呼応するように、大気が震えた。
レイグレンは呪具と模倣神器を一点に収束し、黒い陣を天頂へ向けて展開する。放つは、相手の存在そのものを原初から抹消させる、彼だけが辿り着いた究極の秘奥義。
ラナは神器を構えて一歩踏み込み、その一歩で世界が白銀に染められる。込めたるは、因果を含めた汎ゆる全てを世界から斬り出す、彼女を主とした星の意志の斬撃。
「原初層・逆理開示ッ!!」
「核層刃・極翼ッ!!」
最大規模の白銀と黒が――星の核層の中心で衝突した。
結果は、まだ誰にも見えない。
◇ ◆ ◇
白銀と黒のぶつかり合いが収束した直後、上空の雲が吸い込まれるように消え、代わりに――ひとつの影が、急速に落ちてきた。
「あれ……!」
影はそのまま地面に衝突し、粉塵を巻き上げ、地面に大きな痕を残す。
粉塵の向こう、倒れているのは――レイグレンだった。
白い外套は破れ、背の呪具もいくつかは砕けている。
模倣神器の核も一部がひび割れ、金属音を立てて地面に転がった。
(……勝った、の?)
誰も言葉を発せないまま、私は空を見上げた。
白銀の残光をまとった影が、ゆっくりと降りてくる。
ラナだった。
翼がほどけるように消えた瞬間、彼女は片膝をついた。
息は荒い。
けれど――眼だけは、まだ戦いの余熱を宿していた。
「ラナ!」
駆け寄ると、彼女は小さく笑った。
「……勝ったよ。ちゃんと、終わらせた」
その横で、レイグレンがかすかに身じろぎする。
「……んん……は……ぁ……」
弱々しくはあるが、まだ意識はあるようだ。
ラナはその音に反応し、ゆっくりと立ち上がる。
そして――レイグレンに歩み寄った。
彼の片目がうっすらと開く。
「……ラナ……ですかぁ……」
その声には、もはや敵意はなかった。
敗北を認め、ただ静かにこちらを見ているようだ。
ラナは一度だけ息を吐き、私たちのほうに振り返った。
「……みんな、少しだけ待って」
いったい何をと思ったが、すぐに思い至る。
――あれを、やるつもりだ。
(分身の時の質問……)
『えー……じゃあ、本体にツケで』
『……いや、それは無理だろう。
私は私であって、本体ではない』
『だって無いもん、質問。
……じゃあ、うん。放棄で!でも本体には後で請求するからね!』
『……好きにすればいい。
本体がどう反応するかは知らないが』
ラナはそのツケを、今ここで使う。
彼女はレイグレンの傍にしゃがみ込み、静かに問いかけた。
「ねえ、レイグレン。
ひとつ……ずっと聞きたかったことがあるんだ」
レイグレンの瞳が、かすかに揺れる。
「あなたの分身に、ツケにしてもらった最後の質問。
今、使うね」
ラナはゆっくりと言葉を紡いだ。
「――どうして、カイルを選んだの?」
その問いに、私は息を呑んだ。
この星を揺るがす大戦の最中に生まれた、最後の質問。
レイグレンの理論でも、思想でもなく。
もっと、人間の心の奥にある理由を求める質問だった。
レイグレンは、一度だけ苦しそうに笑った。
「……ああ。
それを、聞くのですかぁ……」
灰髪に血が滲む額を押さえながら、彼はラナを見上げた。
「……では、答えましょう。
ツケは……ちゃんと返す主義ですのでえ」
ラナは息を飲み、私たちも思わず近づいた。
レイグレンは、ひとつ呼吸をして――
静かに語り始めた。




