第71話 ――プランA⇒プランB――
心の底から困惑したレイグレンは、しばらく口を動かせずにいた。
ほんの数秒。
だが、この男が沈黙するなど、それだけで異常と言えた。
やがて、唇がわずかに動く。
「……なるほど。ええ、はい。分かりましたとも。
取り乱しませんよ? 私は冷静ですとも」
声だけは平静を装っている。
だが、モノクルの奥の瞳は変わらず揺れていた。
「まずは……講評から始めましょうか。ええ、講評です」
そのまま、無理に落ち着こうとするように両手を一度打ち合わせた。
「まず一点。紫華殿が行った封印は驚くべき成果ですよお?
まさか本当に、起源種をその結晶の中へ収めるとは。
これは歴史を通しても前例が無い。
お見事。心から称賛しましょう」
「……褒めても何も出ませんが」
「もちろんですよお。ですがね?
ここからが重要なんです」
レイグレンは人差し指を立てた。
「封印したところで、星の揺らぎは止まりません。
星内部への瘴気の流入も変わらない。
つまり、この星の寿命は一秒も延びていない」
彼はそのまま淡々と、断言する。
「故に紫華殿のした事は、治療の妨害行為です。原因は取り除かれていない。封じただけでは、星の死を遅らせる事も出来ない。むしろ、余計に面倒ですらある」
仄かな苛立ちが声に混じっていた。
私は深く息を吸う。
「でも、あなたの言い分に従って世界を巻き込む方が、よほど迷惑でしょう。世界中に分身を撒き散らして、魔物の軍勢を暴れさせて……治療どころか破壊行為じゃないですか」
レイグレンの目が一つ瞬く。
感情の翳りがひとつ落ちた。
「……道理ではありますねえ。それは認めましょう」
珍しく、素直な言葉だった。
「ではこうしましょう。プランAは失敗。
ラナが止まり、起源種は死なずに封じられた。
はい。完全な失敗です」
言い切る口調は意外にも軽い。
「ならばプランBに移行するしかありません。私が今後十年、二十年、百年をかけて研究し……起源種を殺す方法を完成させる。世界の“真の理”を取り戻すためには、どうしても必要な手順ですからねえ」
さらりと言ったが、その言葉だけは芯が通っていた。
「その為には、世界意志だと誤認させる装置が必要になりますねえ。
殺す資格が無いなら、資格を作ればいいだけの話です」
「百年って……あなた、何歳なのさ」
氷雨が呆れた声を漏らす。
レイグレンは愉快そうに肩を揺らした。
「実年齢は四十に届きませんよお。しかし問題ありません。記憶継承と肉体生成のメソッドは既に確立しております。老いの概念は最早障害になり得ません。実験の過程で、精神の方は七百歳を超えてしまいましたがねえ…」
その瞬間、リディアが微かに反応した。
【焔の書】を継ぐ一族独特の、底の深い気配が揺れる。
「……七百とな。そなた、それで正気を保っておるのかえ」
「保ってませんよお? だいぶ歪んでおりますとも。
でも目的のためには効率的でしょう?」
エルドが一歩前に出た。
「つまり……今度はお前が星を治療する、と」
「ええ。私がやります。あなた方では荷が重い。
外層から流入する瘴気の流路調整も必要ですし。
ああ、忙しくなりますねえ」
その言い方は、まるで家事の予定を話すかのようだった。
「では――起源種を封印した理素結晶を渡してください。
それが無いと、今後の研究が進みませんから。
あなたでは扱いきれませんよお?」
理素結晶へ視線が集まる。
胸元で、結晶が脈を刻む。
レイグレンは一歩踏み出し、手を差し出した。
「さあ、紫華殿。
世界を救うためです。渡してくださいな」
広い聖堂に、静寂が落ちた。
◇
レイグレンが手を差し出したまま、再度告げる。
「理素結晶を渡してください。星を救うために、必要なのです」
私は胸元へそっと手を添えた。
脈動が、さっきよりも強くなっている。まるで、こちらの決意を確かめるように呼吸している。
「……渡せません」
自分でも驚くほど、声は揺れなかった。
レイグレンの目が僅かに険しくなる。
「理由をお聞きしても?
私の話を聞いて、あなたも星の寿命を憂えていたでしょう?」
「理解はしています。千年先の未来を考えるなら、あなたの言っていることが正しいのかもしれない。もしそうなら……悪は、私の方なのかもしれない」
皆が少しだけ息を呑む気配がした。
「でも、それでも渡せない。
だってあなたは、今まさに世界中を地獄に変えている。
人も街も国も……全部を巻き込んで、苦しませて。
そんなやり方をしている人に、この結晶は絶対に預けられない」
言葉にして初めて、胸の奥で決意が固まった気がした。
「たとえ私が間違っていたとしても……その道だけは選べない」
短い沈黙が落ちる。
レイグレンは息を吐き、作り物めいた笑みを浅く崩した。
「……そう来ますか。
では、強引にでも――」
重心が動いた、その一瞬。
白銀の光が横で弾けた。
「クー子は、私が守る」
ラナだった。
白銀の光翼を展開し、私の前へと滑り込むように立つ。
翼がひらりと揺れ、私の影を覆った。
「渡さないって言うなら、私はその選択に全力で乗る。
クー子に触れたら……許さない」
背中越しに、その言葉の熱が伝わってきた。
「ラナ……」
思わず名前を呼ぶと、彼女は短く頷く。
誰も言葉を交わしていないのに、陣形が自然に形づくられていく。
私を中心に、七人が動いた。
レイグレンはそれを見て――ただ少し嗤ったように見えた。




