第69話 ――レイグレンの本懐――
後半戦です。
本日の18時に完結となります。
――転移の光が途切れた瞬間、周囲を確認して私は口に出す。
「ラナがいない!」
そう叫ぶと、他の仲間も即座に周囲を見渡しラナを探す。
けれど返ってくる気配はどこにもない。
成果と言えば、ラナを探す過程で、否が応にも目に入ってきた転移先の地理情報くらいだ。
広すぎる。ダンジョンの最奥としては不自然なほどの空間が、闇に沈んでい た。古い聖堂のような造り。柱は割れ、天井はどこまでも高く、光源は無いのに視界だけが妙に冴えている。
その中央に――
アラブラハム・レイグレンがいた。
白い外套。灰色の髪。片目のモノクル。
本体だ、と直感で分かった。
「ようこそ。転移漏れは一点だけ。気付いたでしょう?」
愉快そうに肩を竦めながら、レイグレンは私たちを見回した。
「ラナは『最強の剣士』のもとへ。……ええ、残した言葉の通りですよお。勝った方がこちらへ来る。実に分かりやすい条件でしょう?」
「ラナを、どこへ飛ばした!?」
言葉を無視して私が問うと、レイグレンは嬉々として続けた。
「二度言わせないでください。『神器を待つ最強の剣士』のもとですとも。お仲間なら、彼女を信頼して差し上げては? 負けるとお思いですか?」
煽るような声音。けれど、胸の奥で嫌な寒気が走った。
私たち七人は、足を止める。
レイグレンが軽く手を上げた。
「よく来ましたねえ……光焼く翼。
ここまで辿り着くとは、いやあ素晴らしい」
エルドが一歩前に出る。
横顔は静かで、だが視線は鋼のように真っ直ぐだった。
「……お前が、ここにいると宣言した理由を聞かせてもらおう」
レイグレンは尚も愉快そうに嗤う。
「そんなの、決まってるじゃあ、ありませんかあ。ここは定員八名――つまり、あなた方全員を呼ぶための舞台です。世界中の分身と魔物の軍勢が暴れているこの状況で、サンライズ王国だけ妙に静かでしょう? 全部、私が呼び込んだんですよお。あなた方をね」
呼び込んだ。あまりに露骨過ぎて予想通りではあったが、その言葉の意味に、私たちは無言で息を呑む。
エルドが確認するように返す。
「……呼ぶ理由が分からない。なぜ私たちを」
レイグレンは指先で空をなぞった。
「月影国の工房ダンジョン。あそこで質問をしたのは誰でしたっけ? 光焼く翼、あなた方でしたよねえ。他にも二名いましたが、まあ主役はこちらと判断しました。なら続きを話す相手として、あなた方ほど相応しい者はいないでしょう」
待っていた、と言い切る声音だった。
気味が悪いほど自然で、何もかも想定内とばかりの態度。
ヴァルクが静かに前へ出る。
「……ラナは今、お前の駒と戦っているのだろう。それがお前の本命なのか?」
レイグレンは首を傾げた。
「どっちが勝っても良いんですよお。あちらの勝敗は今後の占いのようなもの。それだけの話でしてねえ。どうせここに来ますから――それまでは、あなた方と話でも」
レイグレンが回答した、その時だった。
――ドォンッ。
大聖堂が、根元から揺れた。壁の装飾の一部が剥がれ、天井の結晶灯が震え、粉塵がぱらぱらと降り落ちる。空気が波打ち、床が低く唸って揺れる。このダンジョンそのものが危機を訴えているような、それほどの圧。
ラナの戦いの余波……にしては大きすぎる。
遠いはずなのに、まるですぐ横で爆発が起きたような衝撃。
「……っ、今のは」
氷雨がわずかに眉を寄せる。
「戦闘の圧……それにしては質が違う」
オーリスの声が震える。
レイグレンだけが――愉しそうに目を細めていた。
「ああ、良いですねぇ……。
そろそろ決着が近いですかねえ」
声の端に、隠しきれない喜悦が滲んだ。それはまるで、誰かの死と、誰かの覚醒を待ち望む者の声だった。
◇
断続的に続く震動に意を解さず、エルドが口を挟む。
「対話を望むようだが、お前は前にも言っていたな――真の理を取り戻すと」
ラナの方が気になるが、私も息を整えて口を開く。
「……星の揺らぎを消して、何を望むんですか。その先に、あなたは何を目指している?」
レイグレンの目が大きく見開く。
「私が目指すのは神秘の無い世界。魔力が暴れず、瘴気が湧かず、ダンジョンも現れない。人が人として生きられる、真っ当な世界ですよ」
その言い方は、まるで普通の正義のようですらあった。
けれど――。
「それに……この星の寿命をご存知ですかあ? 均衡は既に崩壊しつつある。このまま揺らぎが継続すれば、この星はいずれ死にますよお?」
完全な初耳である。少なくとも工房の分身は言わなかったし、言う素振りも無かった。知らなかったのか言わなかったのか、それともこの発言自体が嘘なのか? こちらの返答を待たずにレイグレンはそのまま続ける。
「千年先の星の話です。今を生きる人にとっては、実感の無い話でしょうねぇ。でも私はねえ? そういう遠い話こそ、誰かが引き受けねばならないと思っているのですよお」
「……信じられん」
「そんな星の寿命など、聞いたことも無いぞえ」
「根拠は……あるのかな」
エルド、リディア、氷雨達の反応を受けとめ、レイグレンはにっこりと笑う。
「根拠はあ……言っても信じませんよお?
あなた方、研究者でもないですし」
私たちは顔を見合わせた。
唐突で、荒唐無稽で、しかしあのレイグレンが言うならば。
半信半疑――その言葉がここまで似合う場面も珍しい。
ヴァルクが短く息を吐く。
彼の身体からは起動した呪具の気配が漂っていた。
「本当かどうか、確かめたい。
……お前ほどの呪具師なら、嘘の方が簡単かもしれんがな」
レイグレンは楽しげに笑う。
「私に嘘検知呪具なんて通用しませんよ?
でもね、嘘は一つもついてませんとも。
まったくもって、全部ほんとう。
私はね、世界を救おうとしているんですよお?」
ヴァルクは微かに眉を寄せた。
――彼の呪具は反応していない。
きっと、本当に、嘘をついていないということだ。
(つまり星の寿命については、工房のダンジョン化後に知ったこと? いや焦るな……仮に前から知っていたとしても、あの分身は嘘は言って無い)
「他の方法は……無いのか」
ヴァルクの声は低く落ちる。
「あるかもしれない。でもねえ、恒久的となると、選択肢は絞られるのです。私はその中から、最も確実な方法を選んだだけ。止めたいなら止めればいい。あなた方に出来るなら、ね」
あからさまな挑発。
けれど、その裏に願望は一切匂わない。
ただ純粋に、私たちを試している。
「一応聞くけど、その情報、いつ頃知った?」
私が踏み込むと、レイグレンは肩を揺らして嗤った。
「さて、いつでしょうねえ……?」
わざとらしく視線を泳がせ、返答をもてあそぶ仕草。
「少なくとも、工房をダンジョン化するより前には把握していましたよお。でもあの時の分身には──必要な部分だけを話させたのです。全てを語るには、不確定要素が多すぎましたからねえ」
必要な情報だけを残し、意図的に削った。
その言葉を裏付けるように、レイグレンは口元に指を当てる。
「知識というものは、渡す相手と渡す順序で意味が変わる……そう思いませんかあ?」
――その時だった。
風が断ち割られる音が響いた。
ラナが、聖堂の入口に立っていた。
肩で息をして、血に濡れた刃を下げ、
その瞳は、レイグレンを見た瞬間に――爆ぜた。
憎悪に満ちた幽鬼のような気配。
それでもなお、凪いだような研ぎ澄まされた集中。彼女の背に、瞬時に白銀の光翼が生成され、暴虐的なエネルギーが周囲に吹き荒れる。
その光景を目にし、私は息を呑む。
(最早まともに観測するのが馬鹿らしくなるほどの埒外な力。まるで、世界そのものが背にあるような……ラナ、あなたは、まさかこれ程の)
覚醒した【神剣ラグナ】の力が、大気を震わせている。
圧力の差で、床が微かに沈んで見えるほど。
そして――その怒りが、底の見えない深さで渦巻いているのを感じた。
レイグレンはその変化を見て、口角をゆっくりと吊り上げた。
「……なるほど。カイルが敗れ、神器は覚醒した、というわけですか。いやあ、なんとも美しい。では――呼びましょうか」
レイグレンが片手を上げる。
その瞬間、大聖堂の空気が沈んだ。
重い。
まるで空間そのものに、何か膨大な質量がのしかかったような圧。
それに合わせて、床下から突然大量の瘴気が噴出する。王国周辺からは殆ど検知されず、当然この座標でも確認されていなかったものである。
(今、集めた? それとも隠して検知から外していた?)
真相はレイグレンが世界中から掻き集め、隠し、封じ込めていた瘴気。その莫大な量の一部が、どこかに吸われるように一気に集積していく。集積された瘴気が体積を持つかのように膨張し、何かへと変換されていく。
それが、呼び水になった。天井が歪み、空間そのものが裏返るように、光も影も無い穴が開く。
そこから――原初の咆哮が降りてきた。
私の全身が冷える。今のラナの力とは異なる質のものが、ラナに匹敵する程に巨大な規模で渦巻いている。
レイグレンはひどく優雅に振り返った。
「【起源種】。私も直接は初めて見ましたねえ……。
さあ、始めましょう、ラナ・シエル。殺さないと、死にますよ?」
◆
落ちてきたというには、あまりにも遅く――
降りてきたというには、あまりにも重かった。
天井の亀裂から漏れた光が、
巨大な影の輪郭をゆっくりと削っていく。
まず質量が降りてきた。視界の半分が黒く塗り潰され、それからようやく形らしきものが見えてきた。高さは十メートルを軽く超えている。だが、ただ大きいだけではない。
存在そのものが揺れている。
歪み。波紋。断層。反転。
それらが縦横に走り、
巨躯の輪郭は一秒と同じ姿を保てない。
そのたびに床石が悲鳴を上げ、
聖堂全体が短く震えた。
空気が押し潰されるような重圧。
呼吸をするたび、胸の奥がざらつく。
まるで肺に存在してはいけない何かが入ってくるような感覚があった。
魔力でも、瘴気でもない。
圧倒的に異質なもの。
触れればただ壊れる。
壊れたらそのまま戻らない。
そんな直感だけが――全員の脳に直接刻まれた。
巨躯がひとつ動くたび、天井の瓦礫が雨のように降り、石柱がひび割れた。言語化できる性質がひとつもない。ただ、災害だった。
そんな怪物の前でも、ラナだけが剣を握る。激しい怒りと連動するかのように、地鳴りのような魔力を纏い、白銀の光翼が大きく広がる。視線はただレイグレンへ。
それに対し、レイグレンはただ嗤った。
「おやおや、ラナ・シエル……そんな顔をして。カイルの仇でも討つおつもりでえ?」
ラナの指が、柄を強く握る音が聞こえる。
「……あんたが、全部仕組んだんでしょう」
「仕組んだあ? あっははは。殺したのは貴方ですよお? カイルはねえ……あなたの限界に届いてしまったから死んだんです。最強に至る資質を持つあなたが、最後に押し切った。それ以上でも以下でもありませんとも」
ラナの呼吸が乱れる。
「違う……! 違う……!」
レイグレンはさらに一歩踏み込んだ。
「あなたが飛び、あなたが斬り、あなたが彼を越えてしまったから。カイルはただ、あなたの成長を見届けて死んだだけ。ねえ――自分のせいだとは、思わないのですかあ?」
言葉が刃となって、ラナの胸を裂く。
光翼が激しく揺れた。
天井の破片が落ちるほど、力が溢れている。
「黙れ!!」
レイグレンが手を広げた。
「黙りませんとも。
だって――ほら、そこにお誂え向きの相手がいますからねえ」
レイグレンが巨躯を指す。
「どれほど大きくても、どれほど異質でも、怒りに任せて斬れば死ぬ。それが今のあなたでしょう?」
ラナが剣を構えた瞬間――
起源種の巨体が、初めてこちらを向いた。
顔は無い。目も無い。ただ、巨大な渦の中心に穴のような虚が開いた。理解不能な視線だけが、ラナを貫いた。聖堂全体の温度が一瞬で下がり、石床に霜が浮かび、次の瞬間には逆に熱が走って蒸気が立ち上る。存在そのものが、環境を書き換えている。
「さぁ、ラナ・シエル。世界意志の代弁者。駒に見せた、理不尽な強さを、私にも見せてくださいよぉ」
レイグレンが嗤った瞬間。
ラナの光翼が爆ぜ、聖堂全体を揺らす衝撃が走った。
起源種が動き、ラナが飛び、戦いの幕が落ちた。




