第65話 ――世界の裏側――
レイグレンは、薄闇に沈む観測室で、ひとつの水晶板を指先でなぞった。
六層の通路に踏み込んだばかりの八つの影が、像となって揺れる。
「ふふ……今は六層、ですか。
おやおや、時間がかかると思いきや、思ったより早いですねえ」
灰色の瞳が細くなる。
その視線の先には、金位の剣士──ラナがいた。
そして、彼女の背には、あの剣。
「【神剣ラグナ】も……うん、無事ですねえ。
良かった良かった。主が欠けていたら、プランが全部台無しになるところでしたよお?」
レイグレンは満足げに鼻を鳴らすと、静かに振り返った。
闇の中に、ひとりの青年が佇んでいた。
カイル・アークレイン。
レイグレンが目を付けた『プランA』の要。
レイグレンは軽く手を広げた。
「さて、カイル。計画は覚えてますよねえ? プランAとプランB、両方とも」
「もちろんだ。あんたの計画は全部把握してる。
ラナとの勝負、その後に訪れる展開もな」
「ええ、ええ。優秀ですねえ」
レイグレンが楽しげに指を鳴らす。
観測室の壁面に映像がいくつも浮かび上がった。
どの映像も、地獄だった。魔物の海。溶けた大地。瘴気で霞む空。そして、分身たちが率いる異形の軍勢が各国を押し潰し続けている。
「……見ての通り、世界中の瘴気を外に発散させています。
これもまた、必要な事ですからねえ」
レイグレンは狂気じみた光を帯びた瞳で、壁面を眺めた。
「この星を満たす悪性物質は、いずれ限界に達する。そこを、私が──いえ、我々が救うのです」
「我々、ね」
カイルが鼻で笑う。
だがその目は迷っていない。
レイグレンは、どこか慈愛めいた仕草で肩に触れた。
「カイル。この星を救えるのは、他でもない……我々ですよお。君と、私と、そして──【起源種】を殺せる選ばれた者だけ」
カイルは短く息を吐き、口元を吊り上げた。
「だからラナをぶつけるんだろ?
それが最短。綺麗に片がつくって寸法だ」
「そうですとも」
レイグレンが愉快そうに笑う。
「さあ、行ってください。
お友達……いや、君のライバルとの決着をつけてきなさい。
勝っても負けても、私は困りませんのでねえ?」
「よく言う。負けた方が嬉しい癖に」
カイルは振り返りもせず、鋭く言い返す。
「ただ……負けるつもりはないさ」
己の役割を承知の上で、それでも敗北だけは絶対に選ばないという静かな覚悟が、彼の横顔には宿っていた。
そのまま闇の通路へ歩み去る。
光が揺れ、彼の姿はすぐ影へと溶けた。
レイグレンはその背を見送り、再び映像群へ視線を戻す。
瘴気にまみれた戦場で、国々は必死に持ちこたえていた。精鋭たちが踏みとどまり、死線を押し返し、分身の攻撃をかろうじて弾き、食い止めている。
「……ふむ。良い感じに、発散できていますねえ」
満足げに頷いた後で、レイグレンはあっさりと肩をすくめた。
「まあ、これは別にメインではありませんから。外の地獄は……どうでも良いのです。大事なのは内側。ここで起きることだけ」
水晶板の光がふっと消える。
レイグレンは背を向け、薄闇の中へ歩み出した。
「さて……私の出番も、そろそろですねえ」
足元の影が波打ち、レイグレンの姿は、闇に溶けるように消えた。




