第63話 ――レイグレンダンジョン――
暗い下り坂を抜けた先で、私は思わず足を止めた。
巨大な縦穴だった。
息を呑むほど深く、底は闇に沈んで見えない。
その手前に、場違いなくらい小綺麗な看板がご丁寧にも立っていた。
(……いや、こんなの見なくても分かる)
縦穴の入り口を覆う魔力の層が、異常なほど堅牢だった。魔力の流れが複層構造になっていて、ダンジョンの入口というより、王城の最奥みたいな閉ざし方をしている。
ラナが肩をすくめる。
「……絶対ここだよね」
「どう見ても本丸ですね」
オーリスが真顔でうなずく。
ヴァルクが看板に近づいた。
指先で空気をなぞると、淡い影みたいなものが揺れた。
「……呪いが掛かっている。読むだけなら問題ないが、質問に答えなければ侵入はできない仕組みだ」
私は苦笑した。
「どこまで露骨なのよ、ほんと」
氷雨が看板を横から覗き込む。
「内容は……」
『あなた方は八名か?』
『あなた方は光焼く翼か?』
読んですぐに、思わず目を疑う。
(……名指しにも程がある!)
エルドが前に出て、静かに答えた。
「肯定する。私たちは八名の光焼く翼だ」
その瞬間、縦穴を覆っていた魔力の層が、解れるように崩れ落ちた。触れたら跳ね返されるくらい強固だったはずなのに、あまりにあっさりと。
ラナが頭を抱えた。
「もう……誘導しすぎでしょ、あの人」
「逆に呆れる段階ですね」
と、オーリス。
私は息をついた。
(……ここまで来ると、むしろ「来てくれないと困る」って態度に見えてくる)
エルドが周囲を見回す。
「罠でも、ここを通るしかない。全員、行くぞ」
「了解」
少し軽口を叩こうとして、喉で止めた。こういう時に言う冗談は、大抵ロクなことにならない。それでも、縦穴の縁から覗く暗闇に向かって、私は小さく呟く。
「……お望み通り、光焼く翼がお邪魔するわ」
◆
中へ降りた瞬間、魔物の気配が一斉に押し寄せた。
「来るよ」
氷雨の声と同時に、通路の影から群れが飛び出す。
けれど――
「下位種ばかりですね」
オーリスの声は落ち着いていた。
確かに見たことのある魔物ばかり。
今まで踏破してきたダンジョンで何度も狩った連中だ。
「……こんなので止まると思ってるわけじゃ、ないよね」
ラナが眉を上げる。
「言うなれば、軽く身体を温めていけということだろう」
トゥリオが盾を構えた。
(やっぱりそういうことなんだろう)
疲弊させる気すらない。
ただ、こちらのコンディションを整えるためだけの歓迎。
レイグレンらしいと言えば、あまりにらしい。
短い戦闘を片付けて、通路の奥へ進む。
一層、二層、三層……
肩の力を抜きつつ、整えつつ、それでも足取りは自然と速まる。
闇は深まり、魔力の流れは少しずつ変異の色を帯びていく。
(もっとだ、座標的にはもっと深い)
ダンジョンは異空間であり、地上の座標はあてにはならない。
それでも感覚的に、ここに限っては座標通りな気がする。
私はただ黙々と、仲間たちの背中を追った。
◆ ◆ ◆
三層を抜け、四層に入った瞬間、空気が変わった。
通路の壁に、淡い光の板が埋め込まれていた。
一枚だけじゃない。そこかしこに散りばめられている。
氷雨が立ち止まり、ひとつを見つめた。
「……これ、中継だね」
映っていたのは、他国の戦場だった。
見覚えのある塔。崩れた街路。瘴気の渦。
けれど、その戦況は国ごとにまるで違う。
エルドが目を細める。
「サウスベルクは善戦しているな。盾兵がよく保っている」
「逆にノイエは……苦しいな」
ヴァルクが底冷えた声で呟く。
板には、圧し潰されるように押し込まれていく前線が映っていた。
魔物の数が異常だ。瘴気の濃度も桁が違う。
そして、画面の端――
私は息を呑んだ。
(……あれ、レイグレンの分身)
灰髪、片眼鏡、捻じれた笑み。
どの国にも、一体ずつぽつりと立っていた。
攻撃魔法が撃ち込まれる。剣が振り下ろされる。矢や砲弾が弾幕のように飛びかう。それらが、ことごとく届かない。
(ここにいて、ここにいない)
あの、厄介すぎる状態のまま。
その様子を見て、ラナが唇を噛む。
「……クー子達、こんなのを相手したんだね」
「本体を止めない限り終わりませんね」
オーリスが静かに言った。
さらに別の板を見て、思わず声が漏れる。
「……ロシャさんとファルマさん」
それは月影国の前線だった。ロシャが空気層を捻じ曲げ、重力を偏らせ、ファルマが見えない回路を書き換えるように魔術式を叩き込む。
そして、二人が同時に攻撃を重ね――
分身の一体が、霧散した。
「……倒した!」
目を見開いて口に出すラナ。私も胸の奥が熱くなる。
……けれど、息を飲んだのはその直後だ。
霧散した分身があった位置に、新しい影が滲むように立ち上がった。
また分身。さっきと同じ笑み。
そして、どこからともなく現れる上位種の魔物。翼のあるもの、骨が露出したもの、瘴気に溶けたものまで。ダンジョン深層でしか見ないような個体が、前線に平然と混ざっていく。
氷雨が呟く。
「……補充されてる。終わりがない」
ファルマとロシャが応戦するが、押し返され始めていた。
周囲の守備線も、どんどん崩れていくのが見える。
(……まずい。このままだと)
私が唇を噛んだところで、エルドが画面から視線を離し、短く言った。
「急ぐぞ」
トゥリオも頷く。
「本体を討つ以外に収まらん」
ヴァルクが歩き出しながら言う。
「時間は、あまり無い」
私は杖をぎゅっと強く握る。
「分かった。行こう!」
板に映る各国の今が、背中を押すように揺れていた。
間に合わないなんて、絶対に許されない。
だから――
(走るしかない)
私たちはダンジョンの奥地へと向かうその足を速めていく。




