第58話 ――静かすぎる国――
第53話で告知してましたが、明日13日に9話連続投稿。14日はお休み。
そして15日に最後の8話を連続投稿して一気に完結となります。
終章は前後編構成なので是非まとめて読んで頂きたいですね。※詳細は活動報告参照
朝の空気が、妙に軽かった。
階段を降りながら外気に触れた瞬間、胸の奥で違和感が跳ねる。
魔力の底圧が、いつもより薄い。呼吸がやけに通る。
(……軽すぎる)
嫌な感じではない。でも、自然ではない。
外へ出ると、街の空気まで澄んでいた。
瘴気の濁りが消えたみたいに、視界が遠くまで通る。
「ダンジョン、弱くなってるらしいぜ」
「近郊の魔物、全然出なくなったってさ」
「平和だなぁ。いい傾向じゃねえか」
「嫌な噂があった商会も消えたし最高だな!」
そんな声があちこちから聞こえる。
私は耳を傾けるだけにして、通りを抜けた。
背嚢を背負ったまま、いつも通りに魔力の巡りを確かめる。
(……伸ばしやすい。けど、これは良い伸びじゃない)
底が削られて軽くなっている。
そんな印象に近かった。
◇
国の観測室を訪れると、研究員たちが小声で言い争っていた。
「だから数値が薄すぎるんだって。これ、半分以下だぞ?」
「いや、濃い場所もあるんだよ。他国側で急激に跳ねてる」
「薄いのに濃いって、どういう……」
「説明できない。こっちは落ち着きすぎてるくらいだし」
思わず足を止めた。
「……薄いのは確かなんですね?」
声をかけると、観測室の主任が振り返った。
この人とは探索者になる前からの顔なじみだ。
「クーデリア君。君の感覚でもそうと?」
「ええ。底圧がどうにも軽くて……削られてるみたいで」
「削られてる、か……それが一番近いかもしれん」
主任は眉をひそめ、机上の魔導計測器を示す。
「王国周辺の瘴気量が、目に見えて減っている。
だが、他国周辺だけ妙に濃度が上がっている。
局所的にだが、振り切れるほどの異常値だ」
(まるで瘴気の再分配…)
どうやって、と考えた瞬間、背嚢がかすかに震えた。
触れていないのに、呼吸みたいな弱い鼓動を返してくる。
(誰かが……吸ってる?)
考えが言葉になる前に、室内の空気が揺れた。
「光焼く翼の皆さんが来てるぞー!」
外からそんな声が聞こえ、私は観測室を出た。
◇
「クー子、こっちだ」
エルドが地図を広げ、周囲には皆が集まっていた。
「報告を聞いた。近郊のダンジョンは軒並み弱体化している」
「平和になってるだけなんじゃ?」とラナが首をひねる。
「いや……妙に軽いんだよね。世界そのものが」と氷雨。
「圧が偏っている。普通の薄まり方ではない」とヴァルク。
全員の違和感が同じ方向を向いていた。
「他国は凄いことになってるらしいの」
リディアが腕を組みながらやれやれと続ける。
「ダンジョン外の魔物が増加しておるようじゃ。
瘴気が濃くなり過ぎて、街道が封鎖された……とも聞いた」
「薄いのは王国だけ、ですか?」
エルドが首肯する。
「報告では、ほぼそうだ。
……王国を中心に、世界の瘴気が引いているようにも見える」
(引いている……やっぱり)
誰かが世界の瘴気を集め、そして再分配している。
そういう波形だ。理由は何ひとつ分かっていないのに、
背に密着する背嚢の反応がそれを肯定してくる。
胸の奥がざわついた。
「他国の暴走が続けば、王国にも影響が来るでしょう」とオーリス。
「ですが今のところ、ここは――静かすぎるほど静かです」
「静かすぎる、ねえ……」
「なんか、嫌な予感しかしないよ」
合わせてラナが息を吐いたところで、エルドは地図を閉じた。
「今は情報が足りない。だが、これは自然ではない。
それだけは確かだ。各自、行動には注意してくれ」
(薄くて、軽くて、呼吸が合わない。
……世界がどこかへ寄っていってるみたい)
人々は安堵し、街は静まり返っている。
その静けさだけが、逆に怖かった。
◇◆◆
『……ふふ。驚くほど素直に集まってくれますねえ』
どこか遠くで、嗤うような声がした。
『押して、引いて……世界の底を撫でてやれば、
瘴気なんてあっという間に静脈みたいに動くのですよ』
楽しげな声色で、しかし妙に冷たい。
『本来なら数十年はかかる作業なんですが、
いやあ……手を加えると早い早い。
機構が整っていく音が聞こえるほどです』
空か、地か、どこからともなく響く。
『さて……そろそろ本番が近い。
抑えておきたい場所もありますしねえ』
空気に触れるような軽さで、しかし言葉は重かった。
『ああ、いけない。彼にも声を掛けておかないと。
準備は整った、と……伝えてやらねば』
ふっと、声が遠のく。
『さあ――踊ってもらいましょうか』
世界の底が、僅かに息を吐いたように揺れた気がした。




