第57話 ――いつもの日常と知らない影――
あれからまた十日程が過ぎた。
理素結晶持ち出しまわりの調整はひとまず落ち着き、研究棟でのやりとりも減った。久しぶりに、自分の魔力と身体だけに向き合う時間が取れた気がする。
いつものように体捌きの稽古を一通り終え、呼吸を整える。
足裏で床の感触を確かめながら、簡単な付与の反復にも手を伸ばしたところで――外から、妙に落ち着かないざわめきが聞こえてきた。
(……随分、騒がしい)
窓を開けると、通りに人が溢れていた。
近くの角で、新聞売りが声を張り上げている。
ただの事件ではない、もっと大きな何かが起きたときの空気だ。
階段を降り、外へ出る。
号外を受け取る手が、自然と丁寧になる。
『大商会複数、幹部拘束』
『闇取引と非人道的行為の疑い』
『工房・倉庫を一斉捜査 王国治安部隊が主導』
『闇オークション拠点、壊滅』
紙面の一番上には、そう並んでいた。
目を滑らせる。
記載されている商会の名は、どれも聞いたことがあるところばかりだ。
規模の大きさに見合うように、前から暗い噂の絶えなかった連中でもある。
(……それでも一斉摘発って凄いな)
「ずいぶん派手ですね」
隣で号外を覗き込んでいた露店の主に声を掛ける。
「派手どころじゃないさ。王国がここまで大きく動いたなんて話、そうそう聞かないよ。倉庫も工房も夜のうちに押さえられて、関係者がずらっと連れていかれたらしい」
「夜のうちに、ですか」
「おかげで、こっちは朝からこの騒ぎさ。
……まぁ、やると決めたら早いもんだね」
露店の主は感心したように肩をすくめる。
その後ろを、治安部隊の一団が通り過ぎていった。
鎧のきしむ音も、靴音も揃っている。現場から戻ってきたのか、それともまだ残り火を踏みに行く途中なのか。装備に付いたわずかな汚れが、彼らがただの見回りではなかったことを物語っていた。
(……エルドにも、何か話が来ていてもおかしくないんだけど)
ふとそんなことを考えて、すぐに打ち消す。この数日、私への呼び出しはひとつもなかった。理素結晶の件で研究棟と往復する以外は、殆ど自分の時間だ。ただ、一つだけ心当たりがあった。
数日前、街中ですれ違ったエルドの顔を思い出す。血の気が引いたようでもあり、どこか焦りを押し殺したようでもあった。声を掛ける間もなく通り過ぎていった背中が、妙に印象に残っている。
(……あれも、この一連の話に絡んでいたんだろうか)
そう考えてみても、答えが出るはずもない。
何も告げられていない以上、私が首を突っ込む話ではない。
号外を折り畳み、袋に仕舞う。
(火のないところに煙は立たない、か……人の噂も、案外ばかにはならない)
他人事のような感想だ、と自分でも思う。
けれど実際、今のところは他人事だ。
王国が大きく動いた朝、私はただ、いつも通りに日課を続ける。
決められた仕事が降ってこないのなら、私のやるべきことは変わらない。
軽く肩を回して、踵を返した。
街のざわめきは背中の向こう側へ流れていく。
部屋へ戻れば、待っているのは魔力と身体の調整だ。
(……エルド、今頃どこで何をしているんだろう)
そう思いながらも、足は自宅へ向き直るだけ。
答えを確かめに行くこともなく、私は再び、自分の訓練の場へ戻っていった。
◆
その頃――王城の一角では、まったく別の会話が交わされていた。
簡素な会議室。
机の上には、封印印の押された書類が幾つも積まれている。そこに治安部隊の隊長と副官、それにエルドとヴァルク、トゥリオが向かい合っていた。
「……以上で、主要拠点の捜査は完了しました」
報告する治安部隊長の声は平坦ではある。しかしその口調の裏に、現場を見てきた者だけが持つやり切れなさが滲んでいた。
「工房二か所、倉庫三か所、地下会場一か所。
いずれも押収済みです。問題の造形物および関連設備は、すべて封鎖しました」
「外観データは」
エルドの問いに、隊長は迷いなく答えた。
「複製を含めて削除済みです。
残す必要のある記録については、文面のみに変換して保管します。
原データの再利用は不可能です」
ヴァルクが静かに頷く。
「こちらでも確認しました。呪具的な処理は既に施しましたので、仮に残滓があったとしても、実用には届きません」
トゥリオの視線が一度だけ机の上をかすめる。
そこには、押収品目の一覧が挟まっていた。
等身大造形物。
表皮素材。
外装用髪繊維。
異様に細かい寸法データの断片。
文字だけでも、どのような品だったのかは想像がつく。
隊長が言葉を継いだ。
「完成品と試作品については、証拠保全が終わり次第、こちらで処理します。
どのような用途であれ、これ以上、形を残す価値のあるものではありません」
用途という言い回しの中身を、誰も口に出そうとはしない。
だが、全員が理解していた。
エルドはしばし黙し、その後で短く告げる。
「……頼みます」
それきり、余計な言葉は挟まない。
隊長は深く頷き、次の書類を開いた。
「関係者についてですが、表向きは商会不正と闇取引の摘発として処理します。今回の件の性質上、どの外観が利用されたかという部分は公表されません。王家からも、その方針で承認が下りています」
「それでいい」
エルドの声音には、感情らしい起伏はほとんどない。
それでも、同席している者には分かった。
怒鳴り散らすよりよほど冷たく、重い怒りがその奥に沈んでいることが。
ヴァルクが、エルドに確認を入れる。
「光焼く翼側への説明は、どうする」
それはつまり――この場に居ない女性陣に、どこまで伝えるか、という話だ。
エルドは間を置かずに答えた。
「伝えません。
知る必要はない」
言い切る声に、ためらいはなかった。
「外観が利用されたかもしれない。
それだけで十分に不愉快な話です。
まして、その具体的な形まで知る必要はない。
汚れを見たところで、得るものはありません」
トゥリオが目を閉じる。
反対する理由はどこにもなかった。
隊長もまた、小さく息を吐いて頷く。
「承知しました。
本件の詳細は、王国治安部隊とごく一部の関係者のみに留めます。
表向きには、あくまで闇市場と結託した商会の不正として処理します」
「お願いします」
エルドはそれ以上、何も求めなかった。
会議が終わり、人が引く。
残った書類の束だけが積まれている。
部屋を出たところで、ヴァルクが一言だけ問いを投げた。
「……本当に、何も話さなくていいのか?」
「いい」
エルドは短く答える。
「今回の件で傷を負うべきは、仕掛けた側と見逃していた側だけだ。
利用されたかもしれない者たちに、その汚れを背負わせる理由はない」
個人名は出さない。
出さなくても、誰のことを言っているかは分かっていた。
廊下の窓から、朝の光が差し込んでいる。
遠くのほうで、まだ号外を配る声が聞こえた。
「……行こう」
ヴァルクの言葉に、トゥリオが頷く。
三人はそれぞれの持ち場へ歩き出した。
――事の発端は、ヴァルクが闇市場の定期調査で拾った噂だった。
精密すぎる女性体モデルがごく一部に流れている――その寸法と特徴を突き合わせ、光焼く翼の女性陣の外観が参照されていると分かった時点で、彼はすぐにエルドへ報告した。
エルドは短期間で証拠を揃え、治安部隊と王城側の協力を取りつけるべく官僚ルートを押さえ込み、一気に王の承認まで引き上げて一斉摘発の体制を整えた。
その間、トゥリオは工房や倉庫の構造と警備を把握し、踏み込みの安全確保と押収品搬出の導線を固めていった。
そうして下準備がすべて揃ったところで、摘発は一気に執行された――つまり、クーデリアが号外で見た頃には、もう全てが終わっていたのだ。
◇
その頃、修練場の一室では。
クーデリアがいつものように杖を構え、黙々と付与の練習を続けている。
ここ数日の裏で何が起きていたのかを、彼女が知ることはない。
その実りある人生を全うする、その日まで。
結果的に王国の暗部が清浄化しました。
重いので次話外伝で色々と中和させます。




