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紫華の付与師は今日もお留守番。ダンジョンで無双する最強支援職  作者: さくさくの森
第六章 表で輝く紫華・裏で淀む世界

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第55話 ――聖遺物に届いた付与師――

そのままでも特に矛盾は無いのですが、エルドの紫位昇格時期に影響するので剣神祭の開催を4年に1回、選定は3年前に変更(時期は元に戻しました) ※黎明の翼ラナ

 研究室を出た瞬間、私は駆け出した。


(今なら届く……気がする。あの呼吸と私の魔力を噛み合わせれば……)


 あの時、理素結晶は確かに脈を返してきた。

 まるで、こちらに応じるかのように。


 その意味を、私は知っている。

 (ことわり)に近い構造が返事をしてくれるときは、理論が正しいときだ。


(レイグレンの分身……彼の理論が正しいとすれば)


 胸の奥が熱くなる。怖さではなく、震えるような理解だ。


 自室へ飛び込み、棚から布包みを取り出す。

 解いた先に現れた【連環の匣】を抱え、私は研究棟へ戻った。



「持ってきました。……これで、試したいことがあります」


 エルドの視線が、匣と私の顔を交互に行き来する。


「そんなに急いで……何をするつもりだ?」


「匣の補充機構を、理素結晶の揺らぎと合わせます。

 ……理層に近い働きが、匣の内部を整えるはずです」


 【連環の匣】の中身の触媒の最大値は二百粒。十日で一割の速度でゆっくりと補充される。現在の残存数は98粒。単純計算で75日後に最大まで補充が完了する。仮に残り一粒まで消費してしまうと556日もの時間が必要だ。


 主任がわずかに目を見開いた。


(分かってる……危険なのは。でも――)


 私は理素結晶を見る。


 その中心にある、あの静かな呼吸。

 揺らぎは穏やかだが、それが理層へ連なっているのが分かる。


(これは……世界の呼吸だ)


 レイグレンの言葉が脳裏をよぎる。


『理層とは魔力、法則、循環のすべてが流れる層。

 理の糸が束となり、魔力を通し、世界に意味を与えている』


(……本当に、その通りなんだ)


 今さらながら、あの狂気じみた男の唱える理論の正しさに寒気がした。

 あれは狂気ではなく、理解だったのだと。



 私は結晶と匣をそっと接続させる。

 過剰な魔力は使わない。

 流すのは整った道筋だけ――付与師の本質に近い動き。


 次の瞬間。


 理素結晶の揺らぎが匣へ流れ込んだ瞬間――

 薄光が、聖遺物の表層でほんのわずかに乱れた。


 主任が息を呑む一方で、

 観測を続ける研究員が声を荒げる。


「……な、なんだ……?

 聖遺物側の内部回路が、一瞬変質したぞ……あり得ん……!」


(……やっぱり。これは理素結晶を通した理層の呼吸なんだ)


 理層の呼吸と、匣の巡り(魔力循環)が噛み合い、

 本来閉じた構造である聖遺物の外殻がわずかに揺らぐ。


 この揺れは、付与では届かない領域。

 ――理素結晶の働きそのものだ。


(レイグレン……あなたの描いた理論、全部……全部正しい……)


 私は確かな手ごたえを感じると同時に、背筋が震えた。


 観測している研究員が震える声で続ける。


「聖遺物は外部干渉を拒むはずだ……

 それを……付与で上書き可能な状態に近づけた…?」


 そう呟いた直後、別の研究員が計測窓を覗き込み、目を見開いた。


「主任……匣の補充速度……これは!」


「どうした!?」


「速度が明らかに上がっています!

 これは……ええ……約、十倍です!!」


 その場にいた全員の視線が、一斉に私へ向く。


(……ちょっとやりすぎた?)





 沈黙を破ったのは、もっとも冷静なはずのヴァルクだった。


「……クーデリア。

 今のは……俺でも意味が分かるレベルで異常だぞ」

 眉間に手を当て、低く唸る。

「聖遺物への干渉は不可能。……それが大前提だ」


「えっと……私も、そう思ってたんだけど……」


「だが今、お前はその大前提に穴を開けた。

 ……普通にやばい」


 やばい、とヴァルクが言ったのは初めてだ。


 その隣で、ラナがぽかんと口を開けていた。


「え、ちょ、ちょっと待ってクー子……

 聖遺物って、神器のちょい下くらいの……

 あれに手ぇ入れたの……?」


「……触れてみただけなんだけど……?」


「いやいやいやいや! 触れただけで何が起きてんの!?」

 ラナは半歩引き、震える指で匣と結晶を交互に指した。

「これもう……クー子の付与って……職業の範囲超えてない……?」


 大げさではなく、本気で引いている。


 さらに追い打ちをかけるように、リディアが静かに呟いた。


「……儂、長生きしておるつもりじゃが……

 聖遺物に人の手が加えられるのを見たのは初めてよの」


 それだけ言うと、彼女は顎に手を当て、しみじみとした口調で続けた。


「これ、後世の歴史書に載ってもおかしくない出来事ぞ。

 ……最早お主は、どこへ行くつもりなのか」


 完全に『天才の暴走を見て()()()と感じた人の距離』だ。

 視線を集められ、私は思わず両手を突き出して弁明する。


「ち、違うの! 私が凄いんじゃなくて……

 結晶と……その……聖遺物側の巡りが主役で……」


 主任が言葉を飲み込むようにしてうなずいた。


「いや……君の遠慮は理解するが、付与師が聖遺物に干渉できた事実は、歴史的だ。君がどう否定しようと、これはとんでもない成果だよ」


「成果って言われても……」


(やっちゃった……って感じが……すごいんだけど……)


 横で、エルドが腕を組んだまま静かに言った。


「クーデリア。

 今の現象を偶然だと思う者はいない。

 理素結晶との相性……いや呼吸が合った結果だろう」


「…………呼吸……」


(そうだ、あの呼吸……あれは確かに、私の魔力の流れと噛み合っていた)


 私は【連環の匣】を見下ろす。どうやらすっかり安定し、大幅に加速した補充速度も恒久的な()()として定着したようだ。その立役者の理素結晶の方は、ゆっくりとした呼吸を続けている。


「…………」


(――この力、いつか決定的な場面で、絶対に必要になる)


 胸がざわつく。

 怖さと、興奮と、責任と……そして、確信。


(レイグレン……あなたの理論は、癪だけど、参考になった)


 誰にも言えないけれど、胸の奥に小さく刻む。



 しばらくの沈黙のあと、私はそっと息を整えた。


(……言うなら、今しかない)


 理素結晶は静かな呼吸を続けている。

 それが、私の言葉を後押しするみたいだった。


「……エルド。主任。

 お願いがあります」


 二人の視線がこちらへ向く。


「言ってみたまえ」

「内容次第では、動ける」


 喉の奥がきゅっと震えたが、逸らさずに言う。


「理素結晶を、緊急時に限り現場へ持ち出せる特例を下さい」


 主任が固まった。

 エルドでさえ、わずかに眉を動かす。


「……理素結晶の持ち出しか」


「はい。

 ただし常時ではなく、本当に必要な時だけ。

 研究用の保持とは別に、現場で直接干渉できる手段として」


 主任がまず口を開いた。


「君は……その申請が、どれほどの重みか理解しているかね?」


「……してます」


「理素結晶は、この国だけの財産ではない。

 月影国との共同研究物であり、共同管理物だ。

 一国の判断で持ち出すことはできない。

 正式な許可には、双方の評議会、王宮、さらに……」


「……外交部門も噛むな」

 エルドが低く言葉を継いだ。


 私はうなずく。


「分かっています。

 でも……必要になる場面が必ず来る。

 さっきの反応は……そういう種類のものです」


 主任は苦々しく息を吐き、結晶を見やった。


「君は、理素結晶を現場用の術具にしようとしている。

 そう理解して間違いないな?」


「はい。

 付与と理層の反応を、実地で使うためです。

 このまま研究室だけで抱え続けるのは……危険だと思います」


 主任はうなずいた。


「ああ……そうだな、だからこそ研究試料扱いにしたのだ。本来なら文化資産か危険物が妥当な代物だが……その二つに分類された瞬間、持ち出しという選択肢自体が完全に閉ざされる」


(そう。あれはエルドの尽力なしには成り立たなかった)


 主任は苦笑混じりに続けた。


「紫煌殿が、王国側と月影国側の両方へ根回ししてくれた。

 我々研究班も同意した上で、なんとか研究試料という形に落ち着けた。

 本来、こういった外交的合意は数ヶ月では済まない。

 ……君も分かっているだろう?」


(分かってる……持ち出しの可能性を残すためだけに、皆が動いてくれたんだ)


 エルドは腕を組み、私に視線を向ける。


「……だが、研究試料に分類したとはいえ――

 実際に持ち出すとなると、お前一人ではどうにもなるまい」


 私は息を飲んだ。


「……エルド?」


「必要なら、俺が動く。

 王国側の評議会へ緊急持ち出し暫定許可の予備稟議を上げる。

 そのために研究試料扱いにしたのだからな」


 主任が目を見開く。


「紫煌殿……!

 あの分類は道を塞がないための政治的合意だったはずだ。

 まさか、本当にその道を使うとは……」


「使う必要があると判断した」

 エルドは揺らがない目で言い切った。

「月影国側にも、ロシャとファルマを通して俺が説明する」


(……エルド……そこまで……)


 主任は額を押さえ、深い息を吐いた。


「……まったく。

 紫煌殿が動けば、行政のほうも本気で動かざるを得なくなる……

 これで本当に、理素結晶を現場で使う未来が視野に入ってきたな」


 それでも最後には、研究者らしい笑みを見せた。


「分かったよ。

 こちらも月影国宛ての説明案と管理案をまとめよう。

 ただし――」

 主任は結晶へ視線を落とす。

「……本当に必要な時だけだ。

 これは我々の研究の象徴であり、国家間の信頼そのものだ」


「もちろんです。

 ……軽々しく使うつもりはありません」


(でも、必要なんだ……絶対に)


 理素結晶が、静かに脈を返す。


(――この呼吸を、現場で使えるようにしなきゃいけない。

 レイグレンが世界そのものに影響を及ぼすなら、

 それに届くだけの力が絶対に必要になる。だからこそ……動くしかない)


 胸の奥で、決意がはっきりと形になった。

ついに一つの壁を越えた主人公。

理素結晶ありきではありますが、いずれは無くても同じ領域に届き得ます。

そこまでいくと人間卒業です。

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