第46話 ――工房ダンジョン第三層――
明日から暫く11:20固定投稿です。
第三層へ降りる昇降台が静止した瞬間、空気が変わった。第二層までの規則性が全て剥がれ落ち、異様なくらいに無秩序な構造だけが残っている。壁も天井も床も、方向の概念が崩れていた。まるで壊れた工場の内部に、さらに別の機械をむりやり押し込んだような形。
レーンが空中を走り、途中で曲がり、いきなり消える。巨大な枠組みがゆっくり往復し、どこの工程なのか皆目見当がつかない。温度も湿度も安定していない。息を吸うたびに、空気の層がひとつ違う音を返してくる。それがもう不気味で、不安を煽る。
(……工房の中心部って、こういうものなの?)
少なくとも、私の知る工房とは似ても似つかなかった。
周囲を観察していると、トゥリオが前方に影を見た。
「……動いている」
影は、最初、ただの黒い金属の塊に見えた。だが次の瞬間には四本の肢を生やし、周囲のフレームを使って立ち上がる。その動きには迷いというものがなく、どこか作業台の上で部材を扱う時の工程の正確さに近いものを感じた。
「第二層のアームより速いよ……これ」
ラナが剣を構えながら言う。
増える。視界の端からも、奥からも、天井からも。溶接具、切断具、圧縮台、固定具――どの影も元は工具だったものに似た線を持っている。しかし、丁寧に形を再現する気などさらさらないらしく、部品だけ寄せ集めて形にしたような歪さだった。
氷雨の声が後ろから届く。
「僕の幻影、あんまり通らないかも。動きが単調じゃないし……工場の癖を真似てるから読みにくい」
「全部止めようとするな。前へ抜ける」
エルドの声が短く響く。
そうしなければ、本当に飲まれる気がした。
◆
押し寄せる影は、ただの雑兵ではなかった。そのどれもが、工程の一部を真似ている動き。固定、切断、押圧、搬送。それぞれが別の目的で動いているように見えるのに、結果的には侵入者を処理する方向へ集約してしまう。
ファルマが走りながら、立体式を撫でるように指を動かす。
「第三層……自己拡張型です。工程を真似て影が増える仕組みになっています。これは止めるという発想ではなく、工程そのものを避けながら進む方が合理的です」
(言い換えれば――制圧は不可能ってことね)
私は心の中でため息をついた。
「右側のレーン、動きが三拍遅れ。そこを通れます」
ファルマの声だけが、なぜかはっきり届く。
正直、私は会ったばかりの彼女を信用しているとは言い難い。けれど、脳が理解するより先に身体が動いてしまうほど、その指示は妙に合っている。解析の精度が異様に高く、何より早い。聞くところによると彼女は、解析をした先の『魔術式の崩し』とやらで、魔法を不発にしてしまうことすら出来るようだ。対魔法戦では無類の強さを発揮するであろう。
(……正直、助かってる。他国の紫位相当との共闘なんて初めてだ)
そんなことを思いながら、私は風を送り、煙と粉塵を散らす。
「クー子、風ありがと。視界助かる」
ラナが叫び、その一瞬で影を三つ斬り捨てた。
しかし、斬っても斬っても増える。後ろを見たら終わる。実際、昇降台の縁は影で覆われ始めていた。もう戻る道自体が消えている。
「前へ。止まるな」
トゥリオが影の突進を受け止めながら言う。
「ここは立ち止まったら潰される」
「儂も前を開けるぞ!」
リディアの火線が視界を焼き、影の束が横へ弾け飛ぶ。
しかし、焼けた分はすぐ補われる。どこかで新しい影が生成されている。いや、生成というより工程の複製。レーンの先で、何かがひっそり影を吐き出しているのが見えた。
(あれが何なのかは……もういい。どうせ近づく余裕なんてない)
この層で大事なのは、機構の意味を解読することではなく、飲み込まれず前進し続けることだった。
◆
レーンが突如動き、床の傾斜が変わり、足場が不規則に入れ替わる。
「ロシャ!」
エルドが呼ぶ。
「分かっている。圧、調整する」
ロシャの手が空気を払った瞬間、猛烈な横方向の引きずりがわずかに緩む。それだけで、前へ一歩踏み込める。オーリスの結界が衝撃を吸収し、ヴァルクの術式が周囲の機構の暴走を抑える。氷雨が一部の敵の注意を逸らし、リディアが瞬間火力で穴を開け、ラナが走路を切り開き、トゥリオが全員の前で影の突進を受け止める。
私は風と土の付与で足場を確保し、必要な場所へ魔力を流す。
――十人が全力で前進する以外に、この層を生き延びる道はなかった。
◆
前方が少し開けた場所に出た。大きな加工場のようなスペースで、無数のレーンが交差し、影の生成源らしきものがあちこちで揺れていた。
(……ここ、多分、動線的には出口手前なんだろうな)
だが、ここで戦闘する余裕などない。影があふれ続ける場所で戦うというのは、沈む船の中で水を掻き出すようなものだ。
そのとき、ファルマが叫んだ。
「第四層への連結路、開きました! あと少し前へ押し切れば届きます!」
それは制圧したという意味ではなく、工房側の工程が次へ送ろうとしているだけなのだろう。しかし、行けるなら行くしかない。
「全員、突っ切るぞ!」
エルドが声を上げる。
トゥリオの盾が影の束を弾き、ラナが横を切り払い、ロシャの圧が足場を安定させる。
私は風で前方を押し流し、リディアが火で瞬間的に乱れを作る。
影の塊が迫る。背後からも来る。上からも来る。視界は騒がしく、足元は常に動いている。少しでも躊躇えば、圧殺されるか挽肉になるか…どんな形であれ処理されてしまうだろう。
(あと少し……!)
「跳ぶぞ!!」
エルドの声と同時に、前方のレーンが沈下した。
そのレーンに、私たちは全員で飛び込む。
足場が途切れ、視界が暗転した。
第四層へ続く深い空洞が、私たちを下へ引きずり込む。
落下の風が頬を打ち、第三層の騒音が上へ遠ざかっていく。
◇◇◇
落下している、という実感はしばらくなかった。
風の層が何度も肌を叩き、視界の端で光と闇が入れ替わる。第三層の異常な騒音が遠ざかり、気付けば音そのものが消えていた。
(……どこまで落とす気?)
そんな愚痴すら自然にこぼれるほど、落下時間が長かった。
だが、突然、空気の密度が変わった。身体が下ではなく横へ押される感覚が走り、次の瞬間、靴が硬い床を踏む。
衝撃は思ったほど強くなかった。
多分、落下終端で空気をひと押しだけ整える仕組みがあるのだろう。第三層のあの乱雑さに比べたら、よほど優しい処理だ。
「……助かったな。あれで真下に叩きつけられていたら危なかった」
エルドが周囲を見渡しながら吐息を漏らす。
「落とすだけ落として、何も無し、というのも妙だからな」
ヴァルクの落ち着いた声が聞こえる。
私は杖を握り直し、足元と空気層を確かめた。
(第四層……だよね、ここ)
目の前に広がっていたのは、第三層とは全く違う光景だった。
◇
白い。
それ以外に言いようがない。
床も壁も天井も、縁すらなく白で塗りつぶされている。影のない部屋。照明の位置も分からないのに、空間全体が均一に光を放っていた。
「……工房っぽさが全部なくなったね」
氷雨が小さく呟く。
「ここまで来ると、工房というより施設に近いのでは?」
オーリスが壁へ手を当てる。
「魔力の流れがほとんど乱れません。第三層とは隔絶されています」
「だとすれば安全ってことじゃな」
リディアの声は穏やかだったが、表情は慎重そのものだ。
部屋の奥に、大きな扉がひとつあった。白い壁の中でそこだけが金属光沢を放ち、何かを厳重に隠している雰囲気がある。その周りに、少し目立つ輝度で光の文字が浮かんでいた。
(……注意書き?)
私は近づき、浮かんだ文を読み取った。
『この先 階層主域』
『三体同時出現』
『進入時は分隊を推奨』
『危険度:特級』
(うわ……随分とはっきり言ってくれる)
思わず視線を横へ向ける。
エルドも同じ注意書きを見て、ほんの一拍だけ黙った。
「三体同時、か。強制分断ではないようだが……流石にこれまでのダンジョンの性格からして推奨事項には従った方が良いだろう」
ヴァルクの分析は相変わらず速い。
「三体を一度に押さえるのは無理じゃな。力押しも一体目で瓦解する」
リディアが腕を組む。
エルドは静かに頷いた。
「……三、三、四で分けよう。必要があれば即座に人員を入れ替える。月影国の二人も、それで構わないか」
ロシャとファルマが短く視線を交わす。
「問題ない」
「こちらも異論はありません。合理的です」
その返答を受け、エルドは隊の面々へ向き直る。
「では相性で組む。敵が不明である分、こちらは互いの特性を活かし、最も『噛み合う編成』でいく。反対意見があれば言ってくれ」
誰も口を開かない。
この階層の難度を理解しているからだ。
「……では俺が案を出す」
エルドがそのまま淀みなく続けた。
◇
【編成案】
■第一分隊(3名):
ラナ・氷雨・ロシャ
・ラナの高速近接+氷雨の幻影誘導+ロシャの局所圧安定
→高機動・乱流戦向き
→幻影が効く、相手の動作パターン解析が不要なタイプに強い
■第二分隊(3名):
トゥリオ・オーリス・ヴァルク
・トゥリオの盾+オーリスの結界+ヴァルクの異常制御
→耐久と抑止に特化した守り重視の小隊
→重撃型や状態異常型の階層主に強い
■第三分隊(4名):
エルド・クーデリア・リディア・ファルマ
・エルドの指揮管制+クーデリアの全属性付与+リディアの火力+ファルマの解析支援
→補正と突破力を最大化した中核部隊
→最も複雑な行動を取る階層主を担当
「この編成なら、それぞれが得意領域で戦える。交代が必要になれば、こちらの判断で即時に切り替える」
エルドは全員の顔を順番に確認した。
「異論がある者は?」
誰もいない。
特段反対する理由がなかった。
ただ、扉の先に強敵が三体いるという事実だけが、静かに空気を冷やしていた。
(……三体同時、か)
正直、胸がざわつく。
これまでの階層主とは毛色が違う。負荷も違う。状況判断のミスが致命傷になる。
それでも――
ここまで来た以上、進まないという選択肢はなかった。
各々が互いに伝えきれていなかった装備や能力の情報共有を済ませたのを確認後、エルドが扉へ手をかける。
「覚悟を決めよう。第四層を突破するぞ」
扉が光を吸い、ゆっくりと開き始めた。




