第43話 ――二つの満月――
魔導リニアの車体が静かに揺れた。
魔力と浮上石を組み合わせた長距離移動用の軌道は、都市間を横断し、王国の南端から国境沿いをなぞるようにも走っている。風を切り裂きながら、周囲の景色が後ろへ遠ざかった。
車内ではラナとの雑談に興じることとしたのだが、どうやら何年も前から「カイル」という名前の男と定期的に剣を合わせているようだ。その人はラナが駆け出し時代からのライバルとのこと。他にも逸話があった気がしたが、どうにも記憶が朧気だ……。
雑談も落ち着き、小さく息を吐く。国境を越えるのは久しぶりだ。観光でも任務でもなく、今回は確認のため――レイグレンが残した痕跡を辿るため。
「……ここから先は、月影国だ」
隣のエルドが小声で告げる。
彼の指は資料の地図をなぞり、都市名の一つを押さえていた。
「この街に、レイグレンの工房跡が残っている。月影側の満月にも連絡済みだ。合流して状況を共有する」
「満月……紫位相当ですよね」
「ああ。彼らが今動ける唯一の最上位パーティだそうだ。推定されるダンジョンの難度を考えるとそもそも該当するのが片手で足りるからな」
リニアが速度を落とし、乗り継ぎ駅に滑り込む。国境を跨ぐ路線はここで乗り換えになるらしい。私たちは案内に従って移動し、再び発車した車両に乗り込んだ。月影国の空は濃い青で、雲に切れ目が多く、光の反射が少ないせいかどこか乾いた雰囲気があった。
◆◆◆
目的の街へ近づくほど、風景は荒れ果てていった。
瓦礫が積もり、建物は半ば崩れ、道には封鎖網の名残が錆びついている。生活の気配はない。避難が完了してから数年が経ち、ほとんど手がつけられていないのだろう。
(……まるで街ごと切り取られたみたい)
車両を降りた瞬間、ひやりとした空気が肌を撫でた。
魔力の層が薄く揺れている。これが工房跡――今はダンジョンと呼ぶべき場所の影響なのだろう。
「迎えが来ているようだ」
エルドが顎で示す。
崩れた街路の先に、二人の人物が立っていた。揃いの深紺の外套に月影国の紋章。そして各々が身に着けている徽章は、どちらも満月をモチーフにしたものだ。
「ようこそ。あなた方が『光焼く翼』ですね」
低くよく通る声とともに、一人が一歩前へ出る。
「月環のロシャ。環境制御術師だ。圧力や重力の偏りを整えるのが役目となる。……手荒な歓迎にならなければいいが」
続いて、もう一人が軽く会釈する。
「月算のファルマです。魔術式や回路の挙動を読み解くのが専門です。戦闘能力は……期待しないでください」
「ご謙遜を」エルドが穏やかに言う。
「満月に選ばれる時点で、基礎戦闘力が足りないということはありえません。役割が前衛でないだけで、実力を疑う者はいないでしょう」
ファルマは小さく肩をすくめた。
「……評価が先に独り歩きするのは苦手でして。ですが、必要な時はきちんと動きます」
その言葉を胸に受け止めながらも、私は二人の姿を改めて観察した。
ロシャは三十代前半ほどだろうか。
長身で細身、しかしどこか重心が揺れない。
深紺の外套の下に着込んだ術衣は簡素だが、袖口に刻まれた環状の紋が環境制御術師の証だ。
黒に近い青髪をひとまとめに結い、横顔にはよく鍛えた探索者特有の静かな緊張が宿っている。
口調とは裏腹に、視線だけは常に周囲の環境を測っているようだった。
ファルマは対照的に二十代半ばほどで、やや小柄な女性。
色素の薄い灰茶色の髪を無造作に束ね、丸眼鏡の奥の瞳は常にどこか計算しているように鋭い。
研究者然とした雰囲気だが、体幹は安定しているように思える。
細い手指は魔術式を扱う者らしく節度ある動きをしていて、戦闘職とは違う静かな精度があった。
二人とも、実力のほどは外見では測れない。
しかし――満月と呼ばれるに足る何かを確かに纏っていた。
観察から意識を戻す間に、こちらの自己紹介も進んでいた。
「エルド・フェルナーです。こちらはトゥリオとクーデリア。紫位を任されております」
エルドが簡潔に告げ、互いに一礼を交わす。
「そしてこちらがリディア、ヴァルク、ラナ、氷雨、オーリス。彼らは金位ですが、その実力は私が保証します」
互いの紹介が済み、本題へと入る。
「月影国の状況を伺えますか?」
私が尋ねると、ロシャが静かに答えた。
「工房跡はもう何年も前からダンジョン化している。純粋に難度が高いのと政治的なしがらみもあり、当時の戦力では踏破ができなかった。住民は避難させ、今は封鎖区域として扱われている」
「……その放置が、今も続いていると」
エルドが低く呟く。
「そうだ。他の有力なパーティは海沿いの封鎖へ回っていて、動けるのは我々だけだ……自国の問題に巻き込んでしまい申し訳ない」
ロシャは深く頭を下げる。誠実な人だと感じた。
「では、先に現地を見てもらいましょう」
ファルマが地図を広げ、中央の一点へ指を滑らせる。
「気をつけてください。入口周辺は座標が不安定です。重力と圧が一点に偏る傾向があって……まあ、見れば分かります」
◆◆◆
崩れた建物の合間を歩き、視界の先にそれが現れた。
工房跡だった場所は、もはや原形を留めていない。大地のひび割れは深く、建物の影は角度によって歪み、上空には薄い膜のような魔力層が波打っている。
「入口はここだ」
ロシャが一歩前へ出て足元へ手を触れる。
途端、周囲の重力がわずかに整い、揺らぎが引いていく。
入口の気配が、ようやく『通路』として輪郭を持った。
「一時的に安定させただけだ。長くはもたない。急ごう」
ファルマは入口の縁に目を細め、指先で空中へ簡単な式を描いた。
「自然発生したにしては……誰かが手を加えたような……いえ、断定はできません」
「……推測はほどほどにしよう。今は中を確かめる方が先だ」
エルドが場の緊張を切る。
「そうですね。行きましょう」
私は深く息を吸い、揺らぐ入口へ一歩踏み込んだ。
(……ここで、何が起きていたのか)
その答えは、奥にある。




