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紫華の付与師は今日もお留守番。ダンジョンで無双する最強支援職  作者: さくさくの森
第四章 明確な敵

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第31話 ――潮底遺跡――

明け方の港は、白く薄い霧に包まれていた。

決行の一杯が、まだ身体の芯に残っている気がする。


封鎖線の外側、借り受けた中型船の甲板に、私たちは全員集まっていた。結界石を収めた木箱、測定器具、【連環の匣】の粒を分けた小瓶。そのどれもが、今から向かう場所の危うさを物語っている。


「潮底湾の中心部までは、昨日と同じ航路で向かいます」

エルドが手元の地図を畳み、顔を上げた。

「到着後、結界石を展開。観測結果が“想定の範囲外”に振れた場合は、即時撤退を優先しましょう。攻勢は二の次です」


「了解」

皆の返事が重なる。


私はポーチの口を確かめる。

自分用の連環の匣の粒は十個。

リディアに渡した分と合わせれば、今日一日分の無理は利くはずだ。


「……顔、固いよ」

隣でラナが笑った。

「大丈夫。いつもどおり、クー子が全体を見ててくれれば何とかなるって」


「それ、責任が重いんだけど」

そう返しつつも、少しだけ肩の力が抜けた。


トゥリオが静かに舵のほうへ向かう。

船は港の灯から離れ、ゆっくりと霧の中へ滑り出した。



しばらく進むうちに、海の色が変わっていく。

王都近くの港で見るような青ではない。

昨日も見た、あの灰がかった群青――魔力を吸い込むような色だ。



「……ここから先が、濃度境界だね」

私は杖の先で海面を軽く叩き、魔力を落とした。

光がじわりと広がって、すぐに沈む。

やっぱり、通りが悪い。


ヴァルクが結界石の箱を開ける。

「予定どおり、この船を中心に六点構成で行く。氷雨、外周の幻視は任せる」


「了解」

氷雨が頷き、船縁に指先を滑らせる。

淡い霧が結界石の位置をなぞるように伸びていく。


エルドが短く号令をかけた。

「――展開開始。各自、持ち場へ」


オーリスは中央で祈りと詠唱を重ね、

ヴァルクはその周囲に測定器具と呪具を配置する。

ラナは甲板の外周をゆっくり歩きながら、いつでも踏み込める距離を計り、トゥリオは舵と船体の動きを監視している。

リディアは船尾側に陣取り、いつでも火力を叩き込める位置を確保していた。


私は――結界全体を俯瞰する位置、中央と船首のあいだで杖を構える。


海の上に結界を張るのは、本当に厄介だ。

足元は常に揺れ、魔力の支点は潮と風に振り回される。

それでも、結界石から立ち上がる線を、私は一つひとつ繋いでいく。


「……第一層、安定。伝導率、許容範囲内」

ヴァルクの報告が飛ぶ。


「外周、像が見えてきた」

氷雨の声に合わせて、海面の上に薄い光の線が浮かんだ。

結界石を結ぶ六角形、その内側にさらに細かい格子が描かれていく。


私は呼吸を整え、魔力の流れの歪みを探る。

潮の向き、瘴気の偏り、底から上がってくる“重さ”。

すべてを一度、自分の中に通してから、整え直す感覚。


「……湾底、観測開始」

オーリスの詠唱が一区切りついた。


安定した結界の内側に“像”が立ち上がる。

光で描かれた、海底の地形の投影だ。


ざらついた岩の稜線。窪地。

そして――その真ん中に、明らかに自然のものではない形。


「……何、あれ」

思わず声が漏れた。


階段のような段差が、輪を描くように重なっている。

その中心に、柱か塔のようなものが一本、立っていた。

高さは湾の深さの三分の一ほど。

その先端から、細い線が四方へ伸びている。


「遺跡……?」


「少なくとも、自然地形ではないな」

ヴァルクが測定器具を操作しながら続ける。

「魔力の反応は……柱の内部。一定の周期で脈動している」


――脈動。

昨日、港で感じた“呼吸のような揺らぎ”と同じ言葉だ。


「鐘の音の源も、そこだな」

エルドが結界像を見つめる。

「深度は……想定より深いか」


私は触媒の粒を一つ指に挟み、砕いた。

指先に熱が走る。


「杖に“風”と“光”を付与。」


(……風だけでは揺らぎの向きが読めない。光で外層を可視化し、その上で風を流して均す)


「任せる」

ヴァルクがこちらの行動の意図を察し、結界の制御の一部を私に預けた。


風で潮の揺れを均し、光で瘴気の濃淡を際立たせる。

柱の輪郭が、少しだけ鮮明になった。


その瞬間だった。


海の底から、低い音が響いた。

昨日よりもずっと近く、濃い音。

胸骨の裏側を直接叩かれるような響き。


「……来るか」

エルドの声が、甲板の空気を引き締める。


柱の先端がわずかに揺れ、内部から黒い線が一本、走り出した。

それはまっすぐに、結界の上面へ伸び、

そのまま、海面を突き破って――



海を ”裂いた”。




船のすぐ横に、巨大な水柱が立ち上がる。

音より先に、圧力の変化が肌を打った。


「全員、伏せろ!」


エルドの指示と同時に、船体が横から叩かれる。

甲板がきしみ、結界石の一つが海へ弾き飛ばされた。


「第一支点、喪失!」

ヴァルクが叫ぶ。

「結界が歪む、補正を――」


歪んだ。


六角形だった結界が、一気に片方へ引き寄せられる。

潮の流れが一方向へ固定され、そのまま結界全体を引き摺る。


海の中から、何かが“生えた”。


黒い柱。結界を通して見ていたものよりもはるかに太く、長い。水と瘴気をまとったそれが、船底すれすれで止まり、次の瞬間、鐘が割れるような音とともに、横へ弾けた。


「……っ!」


衝撃で、私の身体は甲板から浮く。

視界が一瞬、白くなった。

耳が鳴って、誰の声も聞こえない。


(駄目、このままだと――船ごと持っていかれる)


私はほとんど反射でもう一粒を消費し、風と土を同時に付与。船体を無理やり安定させ、周囲を固める。今は一秒が惜しい。触媒の消耗を気にしている場合ではない。


「生存最優先! 観測は捨てます!」


喉が裂けそうな声で叫ぶと、エルドが素早く合わせる。

「全員、離脱行動! トゥリオ、船体の保護を!」


トゥリオが船側に盾を構え、その前でオーリスが結界を重ねる。

ラナは外周で押し寄せる水柱を斬り払い、

氷雨の幻影が迫る黒い線の軌道をずらしていく。


だが、海そのものが敵になっているような状況で、地上の感覚は通用しない。


二本目の水柱が船尾を叩き、

三本目が船首側をすくい上げる。



船体が、真ん中から折れた。



甲板が跳ね、私は足場を失う。空か水か分からない空間で、身体が一瞬宙に浮き、次の瞬間、冷たいものが全身を包んだ。


「……っ、くそ……!」


海だ。


目を開けると、上も下も分からない暗がりの中で光が渦を巻いていた。結界の残光、連環の匣の粒から伸びた魔力、リディアの炎が水中でねじ曲がりながら燃えている。


遠くで、ラナの姿が一瞬見えた気がした。

氷雨の幻影と重なって、すぐに見失う。


(掴めない……間に合わない)


肺が焼けるように痛い。

それでも、杖だけは離すまいと握り締めたところ、腕を引かれる感触がした。振り向くと、ヴァルクがこちらを掴んでいる。


彼はもう片方の手で、黒い呪具を握りしめ、周囲に膜のような魔力を広げていた。


その外側で、炎が暴れる。


……リディアだ。

彼女の杖先から迸る火と雷が、渦を成して襲い来る水流を弾き飛ばしている。海中とは思えないほど、鮮烈な光。


(クーデリア、息を止めておれ)


声は無いが、その意思が水越しに届く。

言葉の形だけが、はっきり聞こえた。


ヴァルクの呪具が、ぱん、と何かを弾く音を立てる。

その直後、私たち三人の周囲に、硬い膜のような感触が生まれた。


水の重さが、一瞬で軽くなる。

頭上と足元の感覚が戻ってくる。


「……空間を切り離した」

ヴァルクが絞り出すように息を吐いた。

「長くは保たん。だがその間の呼吸を保証する」


「上へは行けぬぞ」

リディアが炎を収めながら言う。

「潮の向きが下へ固定されておる。上へ逆らえば、結界ごと潰されるわ」


つまり――。


「このまま、落ちるしかないってこと?」


誰も否定しなかった。


「せめて、潰れずに着地したい。どこに落ちるか分からないけど」


「ならば、儂が前を照らそう」

リディアが杖を掲げる。

炎と雷が細く伸び、進行方向をかすかに照らした。


呪具の膜ごと、私たちは海底へと引きずられていく。

回転は抑えられているが、速度は落ちない。

耳の奥で、また鐘の音が鳴った。


高く、鋭く、今度はほとんど悲鳴のような音。


視界の端で、黒い柱が遠ざかっていく。

その根元に、輪を描くように広がる影。


階段。


壁。


アーチ。


――街だ。


海底に沈んだ街並みが、一瞬だけ光に浮かび上がった。


そこで、急に落下が止まる。


膝に鈍い衝撃が走った。

足元に、硬い感触。


私はその場に片膝をつき、荒い息を吐いた。

膜の表面が軋み、ぱきん、と音を立てて砕ける。


冷たい水が一瞬流れ込んで、すぐにどこかへ逃げた。

見れば、周囲は完全な水中ではない。

崩れた天井から水が滝のように落ち込み、その下だけが空洞になっている。


「……内部空間、か」

ヴァルクが周囲を見回す。

「上のどこかで結界石が引っ掛かったな。海水が全部は入り込めん構造だ」


足元には、石畳。

壁には、見たことのない装飾。

海藻に覆われながらも、確かに人の手が入ったと分かる整った造り。


「海底の……遺跡」


口に出した瞬間、背筋が冷えた。


エルドたちの姿は、どこにもない。

運よく残っていた通信結晶を耳に当てても、雑音すら聞こえなかった。


「……皆は?」


自分で問うておいて、答えを聞くのが怖かった。


ヴァルクは軽く目を伏せて宣告する。

「生死までは分からん。だが、少なくともここににいるのは、我々三人だけだ」


リディアが周囲を見渡しながらも、やれやれと断ずる。

「どの道、此処を出ぬ事にはどうにもならぬ。上へ戻るのは無理であるからな。先へ進むしかあるまい」


潮の音が、遠くから響いてくる。

海上都市リューグーは、はるか上だ。

ここは、そのずっと下――潮底の廃都。


私は杖を握り直した。


「……分かった。まずは、この遺跡の構造を把握しよう。

 生きている限り、どうにか出来るはず」


ヴァルクとリディアが、無言で頷く。


こうして私たち三人は、海底の遺跡に取り残された。

他の仲間たちの気配が届かないまま、潮の底で、最初の一歩を踏み出した。

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