第1話 ――紫華の付与師の憂鬱――
夕暮れの光が、酒場の窓から斜めに差し込む。
木の床を踏む足音が響き、壁に掛けられた灯が淡く揺れた。
ここはダンジョン攻略によって栄えた「探索都市」。
宿屋も鍛冶屋も、治療院もギルドも、この街の全てが探索者のために動いている。小さな子どもが木剣を振るう横で、中堅パーティが戦術を練り、熟練パーティの踏破報告が掲示板に貼られる。この街にいるだけで、探索者という職業の序列や誇り、日常に流れる緊張感が肌で分かる。
――だが、誰もが最前線に立てるわけではない。
ダンジョンの喧噪が遠ざかる……私は、今日もお留守番である。
……代わりに、酒場のグラスが相棒だ。
国家公認の最高位探索者、《紫華》の称号を冠する付与師。
つまり私――クーデリア・リーフィス。
クー子と愛称で呼んでくれても一向に構わない。
私は寛容な女なのだ。
街の片隅の小さな酒場。紫のブローチが目立つ青白色の髪を揺らしながら酒瓶を片手にグラスを煽る。滞在時間は優に二時間を超え、空の酒瓶が転がっている。
……はい、つまり察してほしい。
そういうことである。
*
そう! この私!!
クーデリアことクー子様こそが!!
周辺国家でも指折りの付与師様なのである!!
なのである! な・の・で・あ・る!!
大事なことなので二回でも三回でも言う。付与師って凄いんだぞ!!
なにせ、あらゆる属性を扱えるのだ。
物理属性、魔法属性、本当に何でも。
装備やアイテムに魔力を付与し、戦闘を補助するだけでなく、旅先での生活支援までこなす万能職。
少人数パーティでは一人は必須、誰が何と言おうと神ジョブである。
「おうおう、なんだその目は……」
心の中で悪態をつきつつ、私はグラスを握りしめた。
「こんな超絶有能美少女を前にして、冷めた目をしやがって……
最上級付与師様のお酌だぞ? 光栄に思うのが筋ってもんでしょ!」
テーブルを軽く叩き、私は酔いの混じった視線で、
目の前の男――呪具師のヴァルクを見上げた。
八回連続のお留守番。
最上位パーティの一員でありながら、
ここ最近の私の出番は、殆どなかった。
*
「だ〜か〜ら〜! ヴァルクは出番あるじゃんかー!」
酒の匂いを孕んだ吐息で、愚痴をぶつける。
「呪い外しでも罠解除でもさあ! 二回前も五回前も行ってたじゃん!
私なんて八回連続お休みなんですけどぉ?! ねぇー!」
酔っ払いのクダを真正面から浴びても、ヴァルクはただ一言。
「……落ち着け」
その低い声に、私は思わず目を上げた。
低い眉、鋭く澄んだ瞳、肩で揺れる黒髪。
鍛え上げられた体は細身ながら、確かな重みを持つ。
熟練の呪具師――彼は常に冷静で、眉ひとつ動かさない。
その静けさが逆に腹立たしくて、私は声を張り上げた。
「いい加減、私も出たいのよ! 戦いたいのに!」
酒の熱で頬が赤くなり、理屈よりも感情が先に立つ。
「……落ち着け」
もう一度、低く、同じ声で。
「落ち着けたって……」
悔しさを押し殺しきれず、テーブルに顔を寄せてむにゃむにゃと唸る。
「お前の出番はなくなったわけじゃない。
それにお前ほどの付与師なら――」
「いやー無いわー、ヴァル君、それは無いわー!」
私はグラスを握り直し、顔を真っ赤にして身をよじった。
「だってさ、付与師って本来武具や防具に属性を込めて戦闘を助ける職でしょ?
でも熟練パーティだと、魔道具とか補助アイテムで代用できちゃうんだもん!
そりゃ出番減るわ!」
(私はここで戦いたいの!)
という本来の叫びをぐっと押し込め、先に何故自分が呼ばれないかの言い訳を始めるあたり、実は相当弱っているのかもしれない……それを自覚してしまう。
愚痴を吐きながら、私は再びヴァルクに目を向ける。
酒場のほの暗い光、木の香り、ざわめく声――
その全てが苛立ちを包み、少しだけ和らげてくれる。
「でもね、分かってほしいの。
付与って、本当は属性を与えることじゃないんだよ」
私はグラスを軽く回しながら、言葉を選ぶ。
「炎を出すのではなく炎が出せるようにする。
雷を流すのではなく雷が通れるように整える。」
「つまり、力を押し付けるんじゃなくて、力が通る状態を作る。
この世界の理を少しだけ滑らかにして、魔力が自然に流れるように整えるの。
それが付与の本質――理屈の上では、ね」
私は苦笑して、グラスの縁を指でなぞった。
「……まあ、戦場じゃまともに整える暇もない。
だから私たちがやってる即席の付与ってのは、
本当は間に合わせの調整にすぎないのよ」
ヴァルクは少し口元を歪めつつも、実直に答える。
「……付与は専門外でな。まあ、覚えておこう」
「ふふ、そんなもんよ」
言いながら、私はとっくに空になったグラスをゆっくり傾ける。
「便利ではあるけど、どこか替えが利く気がしてね。いなくても回る。
けれど、居た方が確かに楽――そんな立ち位置」
軽く息を吐き、笑おうとしたけれど、口元がうまく動かなかった。
一拍置いて、少しだけ目を細める。
「私はこのパーティを離れたくない。
ここで一緒に戦った人たちと、同じ空気を吸って、
同じ危険に立ち向かって――その場に居続けたい!」
手元のグラスを揺らし、微かに震える手をテーブルに押さえつける。
ヴァルクは静かにグラスを置き、ほんの僅かに眉を動かした。
「……そうか」
「私は、ここに居続けたいの!」
声が少し上ずる。
「だから……どうか、私をこの場所に置いて。」
ヴァルクはしばし沈黙し、やがて短く答えた。
「……分かった。お前の気持ちは伝わった」
そして、少しだけ――目元が緩んだ気がした。
焦燥も苛立ちも、少しだけ安らぎに変わる。
言いたいことを言えて、聞きたい言葉も聞けた。
それだけで、酔いが眠気へと変わっていく。
「……俺に決定権は無いんだが、それ分かってるか?」
なんか言ってた気がするけど、多分寝てたから覚えてない。
眠いし、ふわふわするし、酔ってるし……
まあいいや……明日の私に任せよう。
――私の意識は微睡の中に落ちていった。
物理属性:斬突壊
魔法属性:火水風雷土闇光
作中では上記10属性を基本として考えています。




