第21話 ――連環の匣――
祝杯をあげた日から、更に数日が過ぎた。
エルドたちは、前回と同じ四名で《墨濛の塔》の再探索に出ている。瘴気の流れを抑えていた《白礫の洞》は完全に閉鎖され、その周辺は封鎖区域として結界が張られた。
私は留守番組として、ギルドの解析班から送られた報告書と向き合っていた。
あの廃区画の地下で発見された聖遺物の一つが、正式に返却されたのだ。
箱の表面には、今の付与体系にも通じる、古代期の“束ね文字”――
複数の術式を一つの流れに統合するための、失われた記号である。
【連環の匣】
解析班からはそう名付けられていた。
魔法にも付与にも使える多属性触媒。
しかも、触媒を通すことで複数属性を同時に扱える。
本来なら一瞬で衝突して消えるはずの流れを、整えて繋げてしまうという。
ただし、意志ある魔力には相変わらず無力。
そこだけは、どうやっても上書きできない――解析班の報告書にもそうあった。
それでも、これは大きな一歩だ。
もし魔法発動時に使えば、単なる威力強化だけでなく、
異なる属性を混ぜ合わせることすら可能になる。
革命、と呼んでもいいかもしれない。
……リディアが居ないのは少し残念だ。
彼女なら、どんな反応を見せただろう。
「どうじゃ明るくなったろう」とでも言いながら、迷いなく火を点け…いや流石にそれはないか。
中身は時間経過でゆっくり補充される仕組みらしい。
けれど本当に“ゆっくり”で、解析班もある程度損耗させてしまっている。
残量は…6割と言ったところか、こういった消費型にしては返却時点での損耗が多いあたり、解析班も“補充型”と知って調子に乗ったな?と舞台裏を邪推しつつも今後の運用を真剣に考える。
気軽には切れない札ではある。
しかしだからといって出し惜しみをすべきものでも無い。最悪時間さえあれば補充されるのだから、必要でさえあればガンガン使ってこそだろう。
……一旦、私の相棒で試してみようか。
机の上に【供応の背嚢】を置き、そっと匣を持ち上げる。
背嚢の口を開くと、中の空気が小さく震えた。
「ねえ、これ、入る?」
試しに匣を入れてみる。
――次の瞬間、匣はまるで弾かれたように飛び出した。
中身が嫌がるように、背嚢の表面でぴょんと跳ね返る。
「……そこまで拒まなくてもいいでしょうに」
私は小さくため息をつく。
どうやら、背嚢側も“自分に合わない魔力”を本能で弾いたらしい。
完璧な組み合わせを夢見たが、現実はどうにもままならない。
けれど、こういう失敗は嫌いじゃない。
理屈の外で起きる反応こそ、付与師にとって一番の刺激だ。
「ま、いいわ。試すことも減ったし」
理想は『背嚢の中にありながらも匣の中身だけが的確に飛び出す』というものだが、そもそも背嚢に入らないのでは線無き事だ。
私は机上に匣を戻し、中身の触媒を検める。
*
匣の中の触媒は、取り出してからも一日程度なら効力が持つとのことだ。小瓶を手に取り、貴重な触媒をそっと掬う。ただの粒のように見えるが、実際は凝縮された魔力の粒。一粒だけ――慎重に封じる。
自室を出て、修練場へ降りる。
自宅の地下一階丸ごとを魔導遮断で囲った個人用の訓練空間。壁面には測定陣と防炎結界が二重三重に組まれ、床の中央には術式刻印済みの試験台が据えられている。紫位の給金と報奨を正しく運用した結果がこれだと、自嘲気味に思う。
もっとも、日頃の訓練や研究に使う以上、贅沢というよりは必要経費だ。
試験台の上に、何の変哲もない鉄片を置く。
小瓶の栓を外し、匣の触媒を粒から更に削って針先ほど落とす。
すぐに薄い燐光が立ちのぼり、鉄片の周囲で空気が揺れる。
――行くわよ。
最初に流すのは"斬"。
刃の概念を付与し、輪郭に鋭さを与える。
次に、干渉を乱さないよう強度を落とした"雷"を重ねる。
電性の走行を刃の縁へ誘導し、流路の衝突を触媒側の束ねで受け止める。
脈拍を落とし、息を止め、指先だけで魔力の位相を微調整する。
――噛み合った。
鉄片の縁が微かに震え、紫電の細い毛糸が輪郭に沿って走る。
試験用の無機材をそっと押し当てると、刃が滑り込み、同時に極小の放電が切断面を焼き締めた。断面は紙のように薄く、しかも熱による歪みがほとんどない。斬の貫通と雷の焼結が、触媒の統合で綺麗に同居した証だ。
「やった!!」
声が思ったより高く跳ねて、我ながら少し照れる。
でも、嬉しいものは嬉しい。
手のひらの上で鉄片を傾け、切り離した薄片がぺらりと落ちる様を眺める。
落ちた瞬間、縁の火花がふっと消え、焼け跡すら残らない。
「これは…凄いわ。魔法の二重発動ともまた違う」
誰もいないのに、つい独り言がこぼれる。
指先で小さくガッツポーズを作ってしまい、慌てて咳払いで誤魔化した。
《記録石》を起動し、結果を口述で残す。
「試験一。対象、鉄片。触媒、連環の匣由来微量。付与一段《斬》。付与二段《雷》。束ね安定。切断面、熱歪み極小。触媒消費、針先以下」
言いながら鉄片をもう一度見て、口元が緩む。
うん、これは実用になる。
既に解析で割れていたことではあれど、実際に運用してみせるのは話が別だ。
二属性の同居は理屈の上では可能でも、現場で綺麗に重ねるのは難しい。
今の私は、たぶん少しだけ上手にできた。
「ふふ」
頬が勝手に緩む。嬉しい時は、嬉しい顔をしてもいい。
紫位だって、人間なのだから。
触媒の瓶を布で包み、丁寧に箱へ戻す。
修練場の結界を順番に落とし、最後に灯りを消す。
闇がすうっと降りて、胸の中には小さな灯りが残ったままだった。
「これはもう祭りね。探索から帰ってきたらリディア誘って飲み明かそう!」
そう呟いて階段を上がる。
足取りは、少しだけ弾んでいた。
【連環の匣】
古代期の“束ね文字”によって構成された多属性触媒が入った匣。
内部には複数の術式が封じられており、流した魔力を自動で整え、異なる属性を一つの流れに統合する。
その特性から、魔法にも付与にも使用可能で、正しく扱えば複合属性の同時発動を可能とする。
ただし、意志を持つ魔力には干渉できず、完全な上書きは不可能。
消費後は時間経過でゆっくりと補充されるが、その速度は極めて遅く、実戦では切り札扱いとなる。
扱いを誤れば暴発する危険もあり、現存する同系統の遺物はほとんど確認されていない。




