第18話 ――還る理――
1話~4話までをブラッシュアップしました。
設定変更等はありませんが表現やテンポ、心理描写等を改善しております。
理喰らいの影が、空間の中心で蠢いた。
形の定まらない闇が息を吸うたび、世界の輪郭が削がれていく。
音が消え、温度が消え、存在の意味すら曖昧に変わっていった。
ヴァルクによる縛りすらも例外とはいかないようだ。
釘影が揺らぎ、縛りの光が滲んで消える。
理喰らいは抵抗するでもなく、ただ意味を吸い取っていった。
氷雨が手を翳す。
「――《幻影展開・千層》」
幾重にも折り重なる幻が理喰らいを包み込む――はずだった。
だが、映し出された像が触れた瞬間、輪郭ごと溶ける。
光も影も、どちらも存在として認識されない。
「……幻も拒むのね」
氷雨が小さく息を吐く。
続いて、リディアが杖を掲げる。
「なら、焼き払うまでよ。――《焔撃衝波》!」
紅蓮の焔が奔り、空間を薙いだ。
しかし、炎は届く前に色を失い、灰のように散った。
「魔法抵抗……というより、理が通じぬか」
縛りも魔法も幻も効果が薄い…付与した装備で攻撃してもきっと同じことだろう。私は杖を握り直し、息を整える。
「何も効かないなら、やり方を変えるしかない」
ラナが短剣を回しながら振り向く。
「変えるって、どうやるのさ?」
「与えるんじゃなくて、ぶつける。
理を上書きできないなら、こちらの理を叩きつける」
「衝突させるってこと?」
「そう。理喰らいはあらゆる理を喰らっている。なら、喰われる前にこちらの理で殴る。付与の本質は世界の理を少しだけ滑らかにして、魔力が自然に流れるように整えること。だから、理そのものへの干渉だって不可能じゃない!」
私の声が自然と強くなった。
「試す価値はある! まだ、何かが届くうちに!」
「ならば私が結界を維持します」
オーリスが両手を掲げ、指輪を光らせる。
【聖輪マルムレクス】――祈りと結界を同時に展開する聖輪。
発動の際の魔力の消耗が激しい、奥の手の一つだ。
光が空気を震わせ、歪んだ波を均す。
この結界内であればダメージも少しは通しやすいだろう。
ヴァルクも呪具を展開し、地に淡い紋を描く。
「術式層を分ける。空間の咀嚼を遅らせる」
低く響く声が、崩れかけた理を一瞬だけ支えた。
「この場が理を保てるのは十数秒。
それを超えたら――」
「全員、消える」ヴァルクが宣言する。
「上等」ラナが笑った。
「その十秒で終わらせよう」
「……っ、来る!」氷雨の声。
理喰らいが前へ出た。
黒い腕が枝分かれし、刃にも鎖にも口にも見える。
そのたびに空気がひしゃげ、視界が揺らぐ。
「幻は通らない。でも、影の輪郭はある!」
氷雨の言葉の直後、足元に淡い光が走る。
「――《幻糸展環》」
薄青の糸が空気中に張り巡らされ、微かな音を響かせる。それは光ではなく音で編まれた幻。糸が震えるたびに、周囲の空間が波紋のように揺らぎ、理喰らいの輪郭が詳細に浮かび上がった。
「《煌王矢》」
エルドが眩く光る矢を放ち、伸ばされた黒い腕、その多くが的確に貫かれて弾け飛んでいく。
「通さん!」
トゥリオが盾を構えて突進する。
重盾が闇を弾き、鈍い衝撃音が響いた。
理喰らいの腕が崩れ、すぐ再生する。
「いきます!」
私は杖を掲げ、光を集中させた。
「――理干渉、開始!」
世界が、反転した。
音も重力もない空間。
意識だけが、理喰らいの中へ沈み込む。
光と闇の境界で、無数の記憶が流れた。講義室の声。災害現場での祈り。仲間たちの笑顔。それらが私を形づくる、ひとつの理。
(……これが、わたしの理)
(これを、喰われる前に――ぶつける)
光が、闇に触れた。
――その瞬間、闇が痛みを発した。理喰らいの中で、何かが揺らぐ。黒の奥から、声にならない声が流れ込む。
《……なぜ、抗う……》
(あなたが喰うから)
《喰う……? われは……護っていた……名も形も、すべてが消えていく。だから、取り戻そうと……》
その瞬間、光と闇の境界が溶け、無数の映像が脳裏を流れ込んだ。崩壊する街、消えていく文字、名を失った大地。理がほどけ、記録も意味も溶け落ちていく世界の記憶――それが、理喰らいの内側だった。
(……これは、あなたが見てきたもの?)
《奪うしか知らなかった。けれど奪っても、何も還らない。痛みだけが残る……》
理解が一気に染み込む。彼は喰う者ではない。失われた理が、形を求め、無意識のまま漂った結果――喰うという行為しか残らなかった存在。
(あなたは奪うために生まれたわけじゃない。
ただ、失われた理が、形を求めて彷徨っただけ)
《……彷徨った……?》
(ええ。理は在るべき場所へ還るもの。
あなたが喰っていたのは他者じゃない。
忘れられた理の欠片たち)
《欠片……光る……あたたかい……》
(それが、あなたの還る場所。思い出したなら――もう喰わなくていい)
《……還る……》
光が弾け、意識が現実へ戻った。
理喰らいの身体に淡い輝きが走る。その実体を構成する外装がぼろぼろと剥がれていき、中心に核が現れた。
それはかつて、この地を形づくった理の核――
喰われ、歪められていた魂そのもの。
「今!今なら効く!」
私の声に、リディアが反応する。
胸元の紅玉が強く脈打った。
【焔環の紅玉】が光を帯び、紅蓮の環が生じる。
「……わしはこの距離でも灼けんからの――」
古風な声音に、どこか愉快そうな笑みが混じる。
「良い。一緒に燃えようではないか。」
「《焔天崩星・破界葬》」
紅の奔流が柱となり、空間を焼き上げた。
制御限界を超えた焔が、術者自身をも包み込みながら、
理喰らいとその周囲の歪みを同時に貫いていく。
しかし、まだ完全ではない。
トゥリオとラナが一瞬、視線を交わした。
それだけで、次に何をすべきかが伝わる。
トゥリオが一歩踏み込み、盾を構えた足で地を蹴る。
その瞬間、ラナがその盾に乗るように跳躍した。
「任せた!」
「了解――!」
重盾の縁を踏み台に、ラナの身体が弾かれる。【太足袋ヘルメス】が生み出す爆発的な推進が、衝撃を逃がすことなく彼女を前方へと射出した。
空気はまだ高温に揺らいでいた。
リディアの炎が収まった後も、残滓は空間を歪ませている。
皮膚に刺さる熱が痛みとしてではなく、重さとして全身を押し潰す。
だが、ラナは迷わない。
解放された【神剣ラグナ】の刃が、熱の帳を裂く。
理喰らいの灼けた核が露出し、鼓動のように脈打った。
「――これで、終わり!」
一閃、理喰らいの核を真一文字に裂いた。
衝撃波が広間を駆け抜け、光が爆ぜる。
その直後、ラナの身体が後方へ吹き飛んだ。
床を滑り、壁に叩きつけられる。
全身の皮膚が焼きただれ、呼吸が掠れる。
「ラナ!」
私は駆け寄り、膝をつく。
手を伸ばすと、彼女の右腕の装飾が淡く光った。
【紅環の腕輪】――
致命傷を受けた瞬間に自動発動。
傷を塞ぎ、致命出血と痛覚を一時的に封じる装備。
光が身体を包み、呼吸がみるみると整っていく。
…どうやら致命出血だけでなく、重度の火傷に対しても効果があったようだ。
「……なんて無茶を」
思わず口をついて出た。
ラナは焦げた髪を払い、微笑んだ。
「……でも、決まった…でしょ?」
その笑みは、どこか誇らしげだった。
私は息を呑み、言葉を失う。
痛覚が遮断され、致命傷は塞がるとはいえ、完全に回復する訳ではない。
極度の疲労と誇りを混ぜた彼女の笑みが、少し胸を刺した。
そんな私をよそに、トゥリオが黙ってラナの腕を支える。
その手は大きく、ぶれない。
【紅環の腕輪】の淡い光が、二人の間を照らしていた。
「……ギリギリで発動か。助かったな」
低い声に、ラナが苦笑を返す。
「トゥリオが蹴ってくれなかったら、届かなかったよ」
「俺が放らねば、誰が届く」
短いやり取り。だが、その間に言葉はいらなかった。
互いを信じて動いた者同士の間にしか生まれない沈黙が、そこにあった。
やがて、広間を包んでいた焔がゆるやかに鎮まっていく。
空気の熱が引き、漂っていた灰が光の粒へと変わっていった。
その光はまるで、焼け残った理が形を取り戻していくようだった。
漂う光粒が、ひとつの人影を形づくる。
淡い輪郭の人影が、穏やかに微笑んでいた。
《ありがとう》
その声は風に溶け、消えていく。
理喰らいの核が砕け、光の粒が漂った。
それはただの残滓ではなく、微かに理の響きを残していた。
音にもならぬ声が、空気を震わせる。
「……これは、喰われずに残った理か」
ヴァルクが低く呟き、手の甲の呪具が躍動する。
彼の周囲に展開した円陣が、静かに光を吸い込んだ。
「異常波、安定している。呪縛層で隔離できる」
「持ち帰れるの?」氷雨が尋ねる。
「完全な保存は無理だが……解析はできる」
ヴァルクの声には疲労が滲んでいた。
「理の欠片――理素結晶、仮称でいいだろう」
オーリスが静かに祈りを捧げる。
「罪ではなく、還るための欠片……。ならば、この地に残すよりはましですね」
「ええ。残れば、また何かを喰うかもしれない」
私は頷き、ヴァルクの手元を見守る。
呪具の紋が微かに収束し、光の粒が一つの結晶に変わった。
掌ほどの透明な石。内部で、理の流れがゆっくりと回っている。
「……確保完了。解析班に回す」
ヴァルクが懐へ仕舞いながら言う。
「これで、ただの踏破では終わらん」
「十分な成果じゃの」リディアが微笑む。
「燃やした甲斐があったというものよ」
「燃やし過ぎです」
トゥリオが介抱しているラナを横目に私が小さく返すと、
彼女は肩をすくめた。
その直後、天井が軋み、光の筋が走った。
融合していた層が、ゆっくりと分離を始めていた。
異常空間が塔本来の構造へ戻ろうとしている。
「……空間再構成。融合領域が剥離してる」
ヴァルクが冷静に告げる。
足元に浮かぶ呪具陣が、座標を一時的に固定していた。
「このままじゃ層ごと切り離される。滞在座標が持たない」
「経路を繋ぎます!」
オーリスが聖杖を掲げ光を放ち、ヴァルクの陣に干渉を加える。
二つの術式が重なり、崩れかけた空間の端に一本の細い軌道が生まれた。
「退避ルート、確保!」
「全員、ここを走れ!」
エルドの号令と同時に、リディアが振り返った。
迫りくる瓦礫を確認し、杖を一閃。
炎ではなく、衝撃波のような風圧で進路を払う。
「遅れるでないぞ!」
トゥリオがラナを担ぎこみ、私たちは走り出した。
足場が軋み、光の橋が波打つ。
塔の内部構造が、元の形へ戻るために組み替わっているのだ。
…この経路は長くは持たない。
オーリスとヴァルクが全魔力を注ぎ、安定化の継続を試みる。
「……接続先は?」
「下層への避難座標。地上へは直通できんが――外気層までは届く!」
ヴァルクの声が震える。
「十分だ、行け!」
最後の瞬間、八人の影が同時にその光の道を駆け抜けた。
視界が反転し、音が遠のく。
世界が再び繋ぎ替わる。
次に瞼を開けたとき、そこは地上の草地だった。
崩落ではなく――空間が吐き出したような転送。
塔の境界が、外まで私たちを押し戻したのだ。
*
地上。冷たい空気と星明かり。
全員が倒れ込むように外へ出ていた。
「……生きてる……奇跡かな?」
トゥリオに担がれたラナが笑い、合わせてトゥリオが頷く。
「奇跡ではない。必然だ」
「ま…どっちでも良かろう、いや酷い探索じゃった」
ヴァルクの応答に、リディアがやれやれという風情を出す。
「その理素結晶?て、もとは理喰らいだよね…本当に、大丈夫なのかな?」
息を整え終えた氷雨が疑問…というよりも不安をぶつけてくる。
隔離しているヴァルクではなく私に聞くあたり、
理喰らいそのものの意志を確認したいのだろう。
「多分。大丈夫。理喰らいは、還る場所を見つけただけだから」
私は空を見上げる。
夜空の星が、どこか温かく見えた。
「……帰りましょう。報告と、次の準備を」
「了解」
八人の声が重なり、夜風に溶けていった。
*
「失礼…撤回します。クーデリア班は全員、
報告前に私の話を聞きなさい」
「「「「えっ」」」」
エルドの声は穏やかだった。
だが、そこに潜む静かな怒気を、全員がはっきりと感じ取った。
――心当たりを、探すように。




