第15話 ――白礫の洞――
第二章完結まで執筆済みです。
そこまで是非楽しんでいって頂ければと思います。
(第二章完結時点で少し間を開けます)
第三層の入口は、驚くほどに静かだった。
乾いた空気。粉塵の匂いは薄い。けれど、足裏に落ち着かない感触が残る。踏むたび、床が半拍遅れてついてくる――嫌な遅延。
呼吸の合わない相手と剣を交える前の、わずかなズレに似ていた。
「……何か、変だね」
ラナが前を歩きながら、刀の鍔を指で弾いた。軽い金属音が短く転がって消える。
「魔力の反応が鈍い。上の層と流れが逆向きになっているかも」
氷雨の声は静かだが、音の端に緊張が乗っている。彼女の足元を薄い幻が流れ、床の起伏やひび割れを淡く縁取っていく。地図を紙に描くのではなく、空気に直接なぞる要領だ。
「崩落の兆候あり。支えが足りない音がする」
トゥリオが重盾を持ち直し、壁を拳で軽く叩いた。返ってくる音は鈍い。内部の空洞の位置と大きさを、彼はそれで測っている。
私は判断を固め、杖先を床へ。
「“土”を付与。通路の骨格を補強する」
光が走り、床下に小さな支柱が編まれていく。靴底に返る反発が、さっきより素直になった。まずは一息。
「崩れる前提で歩くのは、気が楽だな」
トゥリオの淡々とした声に、肩の力がわずかに抜ける。こういうときの彼の落ち着きは、私の背骨の代わりになる。
「……崩れたら受け止めてね」
「了解した」
即答。私は口元で笑い、前へ出る。手順はいつも通り――のはずだが、今日は床下の“遅れ”が粘る。下へ行くほど、動きの節が硬くなる感触。嫌な手応えだ。
第三層の奥で、壁の模様が変わり始めた。白の岩肌に灰色の帯が混じり、その間に黒い結晶が点々と埋まる。流れてくる魔力はそこで滞り、鈍く脈打っては押し戻される。止まりきらず、流れきらず、溜まっては散る――その往復が、この通路に“偽の静けさ”を被せている。
「これは…瘴気の“溜まり”だ」
口に出すと、喉の奥の乾きがはっきりした。空気が薄いのではない。体の内側で火花が散る感じ。長居はしたくない類いの場所だ。
「ここで魔物が出ないのは、力が巣に吸われてるから」
氷雨がうなずく。
「吸って、溜めて、どこかで一気に吐き出す。嫌な構造です」
「どっちにしても、やることは同じ」
“斬”を付与した二振りの短刀と、付与が効かない【神剣ラグナ】
彼女の背筋はまっすぐ。前しか見ていない。その単純さが、時々羨ましい。
第三層の階層主…と言っていいのかも怪しいそれを
苦戦らしい苦戦もなく下す。
経験上、こういう時には確実に何かがある。
先の探索者達から第二層攻略の時点で引き継げたのは僥倖だったのかもしれない。
「第四層への降下口は中央の柱の裏。……氷雨、経路の目印を」
「短時間なら。乱流が強いから五十歩ごとに更新する」
「十分。トゥリオ、足場の補強を」
「了解」
重盾が地を叩き、“土”が床の繊維に入り込む。ひびの縁が静かに縫い合わされ、通路全体が一瞬“音を止めた”。さっきの気味の悪い無音ではない。体が前に出たくなる、仕事の区切りの沈黙だ。
私たちは柱裏の降下口から階段へ入り、第四層へ降りる。
第四層は、縦穴そのものだった。光は届かず、湿った金属の匂いが重い。声を出すと、壁の奥でかすかに“響き返す”。こちらの呼吸に合わせ、遠くで誰かが息を合わせてくるような、嫌な反響。
「……この層、声が返ってくる」
ラナが囁く。
「魔物じゃないの?」
「生き物の反応じゃない」
氷雨が剣を斜めに構え、空隙の向こうへ細い霧線を伸ばす。
「瘴気の共鳴層。真下の…恐らく第五層が核で、ここはその外壁」
――また階層主が階層そのものになったりするのだろうか?
口には出さずとも全員がその可能性に思い至り、
少しの緊張が走る。
第四層の階層主は最早戦う力を持たない程に弱っていたため、
半ば介錯する形で処理。私たちはそのまま第五層に到達した。
*
第五層到着から十数歩。霧の密度が薄れ、岩壁の間に開けた空間が現れた。
崩れかけた台座が並ぶ、少しくたびれた荘厳な広間。
形は歪だが、周囲の岩よりも硬質で、明らかに“造られたもの”だ。
「おお、なんか祭壇っぽいね」
ラナの軽口に合わせ、私も息を吐く。
「祭壇なら、誰かに祈って帰りたいところね」
祭壇の中央に近づくと、白い霧が漂っていた。触れると冷たいのに、肌は濡れない。
水でも煙でもない、もっと軽い――魔力が空中でほどけて気化している。
「ここだね……」
氷雨の幻影は霧に呑まれてすぐ消える。
「視覚遮断。通常の感知は散らされます」
「なら、勘じゃなく道具で行こう」
私は取り出した外套をラナの背に被せ、“風”を付与する。
「五秒だけ、前方の流れを切り開く風。――走って、斬って、止まらないで」
「任せて。斬り抜ける」
ラナが一歩前へ。短い助走。風が霧を裂き、狭い視界が開く。私たちも続く。
霧の壁の向こう――黒い殻を持つ巨大な影。
地面に張り付き、脈動する。吸って、溜める。巣核だ。
「……瘴気の巣核。ここが魔物が出ない理由だったのね」
背筋に汗が落ちる。ここまでの静けさは平穏ではなかった。すべては、ここへ寄せるための沈黙。
もしかすると上層の敵も、本来はもっと強力だったのかもしれない。
段取りを短く並べる。
「ラナ…巣核を割って」
「了解」
「氷雨、外周を幻で目印。揺れたらすぐ更新して」
「了解」
「トゥリオ、盾の内圧を上げて。衝撃が来る」
「指示を」
「五秒後に実行」
喉が乾く。杖を握る手の汗は冷たい。けれど足は止めない。
ここで躊躇すれば、巣核はもっと深く呼吸を始める。遅くなる前に終わらせる。
静寂。霧が息を呑むように止まり、影がうねる。殻の継ぎ目がわずかに開いた。
「今」
ラナが駆け、刃が閃く。斬撃が殻の目を縫い、黒が白い火花のようにほどけ――その瞬間、層全体が光に飲まれた。
視界が弾け、耳の奥で高い音が鳴る。私は反射で“土”の壁を瞬間的に張り、押し返しを受け止めた。膝に重さは落ちたが、崩れはしない。
「拍子抜けなダンジョンだったけど、こんな仕掛けがあったんだね」
氷雨が周囲を見渡し、霧の密度を確かめる。
「巣核の殻は割れた。けれど吐き出す先がない。ここで止めた分、どこかが膨らむ」
空気が落ち着く気配はない。むしろ、どこかで膨張している。
――最初に足裏で感じた“遅れ”と同じだ。遅れて響く波、遅れて返る音。
今の静けさは終わりではない。だから、先に“逃し口”を作る。
私は杖を握り直した。巣核を割って終わりではない。
私たちがやるのは、余波が広がる前に出口を作ること。あるいは、膨らむ先へ道をつなぐこと。
霧の奥に目を凝らす。白の向こうで、黒い筋が走った。裂け目。吐き出し口のなりかけだ。
「……行きましょう。ここで止まるわけにはいかない」
「了解」「了解」「了解」
三つの声が重なり、私たちは走り出す。
体の中心は冷えているのに、呼吸は乱れない。怖さはある。けれどそれは視界を狭めず、むしろ鋭くする側に働いている。崩れる前に支える。曲がる前に添える。崩れる前に、断つ。
白い霧が流れを変え、裂け目が口を開いた。奥から低い唸り――遠雷のような音。
ラナが一歩前に出て、彼女の愛剣の柄に手を添える。
「クー子」
「ええ」
私は短くうなずき、いつでも支援できる姿勢に入る。
「トゥリオ、背を開ける。押されても二歩まで下がって」
「了解」
「氷雨、私の左。視界の縁だけ押さえて」
「任された」
裂け目の向こうで、黒が膨らむ。さっき巣核から吐き出された力が、行き場を失って形を探している。形を持った瞬間、力になる。ならば、その刹那を刃で断てばいい。
ラナは静かに息を吸い、鞘から刃をわずかに浮かせた。空気が張り詰める。初めて見たときから、彼女の背には一本の刃が通っていた。
「――【神剣ラグナ】、解放!」
声に、剣が応じた。
白い霧が直線に裂け、黒の膨らみが一瞬で断ち割られる。
神器級のオーラの刃が、圧を孕んだ空気ごと、全てを引き裂いた。
空気が一度だけ軽くなり、すぐに重力が戻る。
床が沈み、裂け目は閉じかけ――そのまま踏みとどまった。
【神剣ラグナ】の斬撃は、あらゆる事象を引き裂くとされる。
まさしく神の御業の再現である。
「今の一撃、何を斬った?」
私は息を整えながら問う。
「やっぱ…これ…すっごい疲れるわ…。
溜めて詰まってたところ…。吐き出す筋を、一本だけ通したの」
ラナは解放の反動で息を上げながら、照れたように笑い、愛剣を肩に回した。
裂け目の先で空気の流れが変わる。圧が抜け、通路が伸びていく。未知へ続く道。
私は杖を握り直し、足元に“土”を薄く編んだ。足がもつれないように。走った後、戻ってこられるように。
「ちょっと休んだら…進むわよ。
トゥリオ先頭。私とラナは左右、氷雨は後ろで警戒」
胸の奥で、さっきまでの怖さの形を確かめる。
今はもう、手の中に収まる大きさだ。扱える。使える。迷いを断ち、深くへ――その先にあるものを見届けるために。
――この先で何が待つとしても。
覚悟を胸に、私たちはラナの斬りひらいた道へ踏み込んだ。
その瞬間、景色が歪み、視界は黒に塗りつぶされた。
明らかにヤバいとこに勢いで突入
リーダー説教ポイント+1




