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紫華の付与師は今日もお留守番。ダンジョンで無双する最強支援職  作者: さくさくの森
第二章 新しい理

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第14話 ――墨濛の塔――

※本話はエルド一人称

黒灰の霧が、ゆっくりと薄れていく。

喉を焼いていた空気が、少しずつ落ち着きを取り戻していた。

階層主を倒した直後の静けさ。

塔の脈動が沈み、壁面の光脈がゆるやかに明滅を止める。


「第一層、完全制圧を確認」

オーリスの声が響く。

ヴァルクが呪釘を収め、リディアが静かに杖を下ろした。

それぞれが呼吸を整え、残る瘴気の揺らぎを確かめる。

空気が動く。

この瞬間だけ、塔が呼吸を止めたように感じた。


私は地図を広げた。

薄れた瘴気の中で、ようやく文字が読める。

それでも、墨の滲みは消えない。

この場所では、紙一枚すら長くは保たない。


ここが〈墨濛の塔〉――かつて“底なしの塔”とも呼ばれた、金位相当の危険区域だ。

塔という名の通り縦構造だが、実際には“螺旋に沈む地底”に近い。

構造は塔でありながら、空気は地下。

上へ進むほど瘴気が濃く、光が弱くなる。

理の流れが逆転しているのだ。


「……瘴気の層、まだ動いてるな」

ヴァルクが呻くように呟き、肩の外套を軽く払う。

黒い粉が舞い、すぐに壁へ吸い付く。

それが瘴気の“性質”――空気より重く、吸着し、魔力を溶かす。


瘴気は魔力を濁らせ、流れを歪める。

通常の術理では制御が乱れ、発動も安定しない。

この塔では、理より筋力と装備の質がものを言う。


白礫の洞を進むクーデリアたちとは、まるで正反対の環境だ。

あちらは光に包まれ、こちらは闇に沈む。

その対比は、まるで意図されたようだった。


(まあ…うちにはオーリスとヴァルクという対瘴気の専門家がいる分、

そのセオリーは通じないがな)

元気に残党を蹴散らしているリディアを横目に自嘲する。


今回の依頼の主目的である、聖遺物級装備の確保――こちらが“本命”であることは間違いない。

国の上層もそう見ている。

封鎖指定が出た当初から、調査は難航していたが、

内部には高純度の魔鉱と聖遺物級の反応が観測されている。

白礫の洞が“保険”なら、墨濛の塔は“要”。

危険ではあるが、それだけに価値がある。

だからこそ、選ばれたのだ――〈光焼く翼〉が。


クーデリアを探索に出す機会は、

聖遺物級装備が増えるに連れて減っていった。

付与が効かないというのも理由の一つだが、

本来彼女は探索者ではなく、付与師ギルドの人間だった。

私が声をかけなければ、今も教導課で学生を教えていただろう。


あの日、彼女をスカウトした。

救助任務の補強要員として参加した彼女が、地盤を一瞬で安定させたのを見たとき、

“理を整える者”という言葉が脳裏に浮かんだ。

戦いの最前線に立たせたいというより、その力を“戦場でも使いたい”と思った。

それが彼女を探索者に引き入れた始まりだ。


だが、それは同時に彼女の道を変えることでもあった。

ギルド内では“模範講師”と呼ばれていた。

その肩書きを、私が奪った。

――責任は常に頭のどこかにあった。


だから、彼女がいなくても現場が回る間は、出撃を頼まなかった。



廃区画地下ダンジョンの第七層攻略の編成を決める前夜だった。

任務帰りに立ち寄った酒場で、

同席したヴァルクが杯を煽りながら低く言った。

「……そういえばクー子が探索したがっていたぞ。

 どうにもまだ気持ちを押し込んでいるようだったが」


「…そうですか」


「暇だからとギルドの仕事を手伝っているようだ。」


「ええ、彼女は元々ギルド職員ですからね。

 今でも籍は置いているようなので、

 探索外での仕事を縛るつもりはありません。」


「そうか…一応忠告しておくが、

 あれはいつ爆発するか分らんぞ」


ヴァルクがたまにクー子と飲んでいることは知っていたが、

どうやら私以上に彼女を見てくれているらしい。


しかしギルドでの仕事もあるならと言い訳をして、

翌日、私はその日の編成でも、結局クーデリアを外した。

――そこが限界であり、転機だった。


その日の探索では、まさに付与を前提とした構造の扉が立ち塞がった。

雷を流し、魔力の属性を満たし、機構を動かす。

物理でも魔法でもどうにもならない領域――まさに、彼女の出番だ。


あの瞬間、胸の奥でほっとした。

ようやく、呼ぶ理由ができた。

いや、もしかすると、ずっとその“理由”を探していたのかもしれない。


彼女がいなければ開かない扉。

彼女がいなければ前へ進めない階層。

それがあることが、妙に嬉しかった。


――助かった。

安堵と、薄い自己欺瞞。きっと、どこかで理由を探していたのだ。

彼女をまた現場に呼ぶための、都合のいい言い訳を。



それでも、今は違う。

一回目の探索報告。

白礫の洞の指揮は、問題なく機能している。

氷雨の補助とラナの支援を受けつつ、全員が彼女の指示のもとで動いていたらしい。

文章からも分かる。クーデリアらしい、緻密で余白のない報告書だった。

いつもの癖――観測値の横に、短い感想を添えている。

『敵性体の脅威は想定を下回る。付与による地質安定も良好。』

『想定より容易。引き続き慎重に進行。』

彼女らしい。

簡単な任務ほど、最も慎重に臨む。


正直、安堵した。

初指揮で無理をしていない。それだけで十分だ。

あの冷静さがあれば、白礫の洞は問題ない。


「エルドや、上層の風、流れが変わっておるぞ」

リディアの声に意識を戻す。

上を見上げると、瘴気の霧が渦を巻き、微かに逆流していた。

塔の天井に穿たれた穴から、瘴気がゆっくりと溢れ出している。

通常とは逆。

上層ほど密度が高いという報告はあったが、想像以上だ。


「酸素が減ってる。オーリス、呼吸補助を全員に」

「了解。展開三十秒」

淡い光の膜が現れ、喉の痛みが薄れる。

だが、すぐに膜がじりじりと侵食されていく。


瘴気が魔力を“食う”のだ。

どの属性でも、滞留すれば分解される。

――ここでは、息をすることすら敵対行為になる。


床面は黒い粘液で覆われ、踏むたびに微かな音を立てた。

瘴気のざらついた反響が、まるで声のように塔の壁を這う。

音を返しているのではない。塔そのものが、聞こえた音を“真似て”鳴いているのだ。

つまり、こちらの会話が敵の定位になる。

この環境下で、仲間との連携を維持するのは容易ではない。


「第二層は、ハンドサインを中心に使う。声は封じる」

指を交わし、全員が静かに頷く。

この階層では、音そのものが敵になる。

僅かな響きが全体に伝わり、位置を晒す危険があるのだ。


だから、身振りと視線だけで意思を交わす。

呼吸の速さ、肩の角度、指先の動き――そのわずかな変化で充分通じる。

何度も共に潜ってきた仲間たちなら、言葉などいらない。


……クー子がいれば、瘴気ごと魔力の流れを整えられたかもしれない。

そんな考えが一瞬だけ頭をかすめる。

だが、彼女をここに連れてくるつもりはない。

この塔の空気は、付与師を殺す空気だ。

彼女の繊細な魔力の流れは、この環境では壊されてしまう。


私は再び視線を上げた。

壁面の脈動が速くなっている。

第二層の門が、瘴気を溢れさせながら開いていた。

そこから先は、瘴気濃度が倍近くに跳ね上がる。


仮に白礫の洞が赤位相当なら、こちらは間違いなく金位相当以上。

同じ任務とは思えない差だ。


「……負けるわけにはいかないな」

思わず呟く。

ヴァルクが目を細めた。

「クー子と張り合う気か?」

「張り合う、というより――並ぶだけだ」

「この環境で?」

「ハンデがあっても、結果は同じでいい」

「……無茶を言う」

「無茶は、いつものことだ」


言葉は短く、それで十分だった。

塔の奥から、低い鳴動が聞こえる。

瘴気が波のように押し寄せ、壁を叩く。

空気が揺れ、靄が流れ、視界が闇に沈む。

私はその中心を見据えた。


――ならば、覆してみせよう。

この塔の瘴気ごと、“理”を。

クーデリアが整えるなら、私は突破する。

それぞれの形で、光焼く翼を前へ進めるために。



「第二層、突入」

その一言で全員が動いた。

瘴気が爆ぜ、光が散る。

闇の塔を貫くように、〈光焼く翼〉が進み始めた。


――闇の底でも、進む先は同じだ。

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