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彼岸花の香り

作者: 唐傘

このお話はフィクションです。実在する人物、地名などとは関係ありません。

また登場人物が自傷行為を行ったり、希死念慮を口にするシーンが有りますが、そういった行為を美化、助長する意図はございません。予めご了承ください。

また本作はブロマンス作品として執筆したものです。

2人の恋人でもない、友人でもない関係をお楽しみ頂けましたら幸いです。

携帯の充電ケーブルを枕元のコンセントから引き抜き、頭が通るほどの輪っかを作って結んだ。そうしたものをドアノブに括り付ける。輪っかに首を通し、ドアに背を付けて少しずつ床に腰を下ろしていく。低身長な自分では完全に座り込むことは出来ない。充電ケーブルが首元に食い込む痛みを感じながら足を通じて地面にかけていた体重を少しずつ首のほうに移動させていく。同時に首にかかる鈍い痛みも増す。窓とカーテンを閉め切った薄暗い8畳の自室に帰宅途中の小学生達によるノイズが響く。少しずつ息苦しさを感じ始めた。口や鼻で吸った息が喉を通らない。顔がぼぉっと熱くなり、ノイズも少しずつ遠くなる。頭が酸欠でふわふわし始め、床についた足がびくびくと痙攣し、力が入らなくなった。

もういいか。


俺は思うように言うことを聞かなくなった両手をじわじわと動かし、充電ケーブルと首の間に指をかませた。そして鉛のように重い腰を持ち上げる。ゆっくりと深呼吸をした後、首を輪から外してそのまま地面に倒れこむ。ひたすらに静かだった世界に自分の呼吸音が響き出し、次第に外界のノイズも少しずつ音量を上げながら追加された。

「はぁっ、はぁ、っ」

浅い呼吸を繰り返しながらじんじんと痛む首元に触れた。

自分に言い聞かせるように静かに呟く。

「死ねる、俺は死ねるっ。いつだって、にげられるっ、」

そして安心したように首に残る痛みと息苦しさを嚙み締めた。


三雲啓太郎。16歳の引きこもり。なんで高校に行けなくなったのか、引きこもりになったかなんて自分でも分からない。登校をやめたのは一年の二月だった。別にいじめを受けていた訳でもないし何かショックなことがあった訳でもない。ただ、朝学校に行こうと目覚めると身体がとてつもなく重くて吐き気が止まらなくなった。いつしか夜は眠れなくなって食欲も無くなった。人前に出ると動悸が止まらなくなって涙が出るようになった。普通に生活しているように見えて心の中では俺のことを「カス」だとか「死ねばいい存在」だとか思っているのではないか。そう思うと、周りとの関わりが怖くなって用事がある時以外家を出なくなった。症状の悪化が止まらないまま高校二年生になった。今まで一度も登校なんてできていない。母に連れられて精神科へ行ったが医者を目の前にして言葉なんて出なかった。人との関わりが怖いだなんて伝えたら異常者だと軽蔑されたらどうしよう。そう思うと本心なんて言えなかったのだ。とりあえず処方された抗不安薬を飲んでみても副作用でただ頭痛が増しただけだった。




先ほどの自傷行為から十分ほど経った後だろうか。部屋のカレンダーに目をやった。

「病院…行かな」

今日は精神科の予約日だった。薬物療法で不安や抑うつの症状が和らいでいるなんて思わない。だが睡眠薬だけは効果があったように思う。今から寝ようとしてからの眠れない数時間、俺は止まらない不安と恐怖で気が狂いそうだった。身体はこんなに疲れているというのに、どうしても寝付くことができない上に止まらない脳の回転に疲弊しきっていた。初めて睡眠薬を飲んで眠れた時、やっと自分から解放されたような気がした。今日病院に行かないと睡眠薬が切れる。それは良くない。重い身体を動かしながら支度を始めた。支度といっても着替える元気なんて出なかった。鞄に財布、携帯、保険証、診察券、交通ICカードを入れてボサボサの頭にパジャマで家を出た。最寄り駅まで歩いている途中、ネガティブな思考が止まらなかった。



両親からはなんで学校に行かへんのかと聞かれた。答えられへんかった。

担任からはこのままでは進級が危ういけどどうするつもりなんやと聞かれた。これも答えられへんかった。

どうしようもない様子の俺を見て、母はひたすら泣いて、父は我慢が足らんと言って怒っていた。

先日、留年が決定したと担任から電話があったと母が食卓で言った。

「そうか、まぁ…しゃーないか」

一言呟いた。父と母は激高した。

「しゃーないって何よ!努力すらしぃひんかった癖して偉そうに!!!」

「誰がお前の学費稼いどるおもとんねん!!!迷惑かけられる側の気持ちなってみろや!!!」

ただひたすらに向けられた自分への怒り、憎悪に涙が出るばかりで言葉は出てこなかった。

「ごめんなさい…ごめんなさい」

ただそう言い残して自分の部屋に籠って泣いた。リビングからはさっきまで俺に向けられていた感情をお互いにぶつけ合う両親の喧嘩する声が聞こえた。


「…なんで俺がこんな目に遭わなあかんのやろな。」

いや…皆に酷い目見せてんのは俺か。俺がおらんかったらみんなもっと幸せやったんかな、俺が消えたら今まで通りにみんな笑ってくれるんかな。

自分という存在に心底嫌気が差した。周りに迷惑ばかりかけて不幸を振りまく自分の存在価値なんてどこにあるのだろうか。怖い。逃げたい。辛い。

『消えたい』と『逃げたい』が噛み合って、いつか『死にたい』になっていた。


その日、初めて充電ケーブルを充電以外の方法で使った。ケーブルを括れるような柱なんて部屋にはなかったから今と同様にドアノブに括って腰を下ろした。生きるつもりなんてなかった。本当に死ぬつもりだった。でも、死に切る前に首を輪っかから外した。

「ははっ、ほんまに、ほんまに死ねるやんっ、かんたんやんっ、」

酸欠でぼーっとする頭を力の入らない両手で掻き毟った。泣いてるのか笑ってるのかわからなかった。でもその時初めて安心できた。

「大丈夫や、いつでも死ねる!逃げられる!」


いつの間にかあの痛さが、苦しさがなければひどい不安感に襲われるようになった。あの行為は淡々と流れていく時間の中でひたすら後退している自分への罰であって救いやった。罰が無ければ、屑みたいな自分は生きていてはいけない存在なんやと思った。

何度も首を縛る度、首元に残る赤や紫色の内出血が身体に残った。てっきりすぐにバレて怒られると思ってた。でもそんな事は無かった。いつも通り下を向いて生活していれば誰も気づかなかった。いや、多分、気づいている人間は何人か居ったんやと思う。でも誰も指摘なんてしてこなかった。俺に生きる意味を説く事なんかに意義を見つける人間なんて居らんかったんやろな。


駅の前の大きな交差点に着いた。勢いよく前を通り過ぎていく車達を眺める。自動車のエンジン音、自転車に乗る親子の話し声、談笑しながら歩く学生たちの笑い声、ビュービューと音を立てて耳元を響く秋風の音。分厚い雲が流れ、ひたすらに眩しいオレンジ色の夕日が俺を照らす。騒がしく、忙しく流れている世間を見て自分が惨めになった。周りより劣っている欠陥品の自分に立ち止まっている時間なんて許されていいんやろうか。

さっきまで騒がしいと感じていた世界から音が徐々に消えていく。自分の世界に潜り込んで逃げ出せへんくなっていく。何か『罰』が欲しい、死にたい、消えたい。


「誰か…何かの間違いで突っ込んできてくれへんかな、」


独り言だった。その時。

「いや、あかんやろ」

静寂だった俺の世界に今まで感じていなかった人の気配、音、温度が俺の中に飛び込んできた。若い男の声だった。

「えっ?」

突然左後ろから声がして後ろを振り返って驚いた。その弾みに右足が前に出て、バランスを崩す。咄嗟に俺に声をかけた男は俺の左手をぐっと引っ張り、右肩を自分に寄せた。運動不足で筋力のない俺はその程よく筋肉を帯びたその肉体にされるがままやった。

「あっ…あの、」

男は俺を顔が合うように向かせると、俺の両肩を思い切り掴んで大声で話し出した。


「お前何しとんねん!!!飛び込んで死ぬ気か!?」

健康的な雰囲気を醸し出す短髪の、同じくらいの年齢の青年だった。特徴的なべっこう飴のような色のキラキラの瞳。学校帰りやろうか、しわしわのワイシャツに汚れた黒い長ズボンと運動靴、でっかいリュックサック。彼の茶色い真剣そうな瞳には俺がいっぱいに映っているのが見えた。


「いや…そっ、それは…いきなり声、かけられて…驚いて…」

初対面の人にいきなり掴まれ、怒鳴られ、緊張しきっていたにしては言葉が出た方だった。

「…」

俺のその言葉に彼の吊り上がった眉は下がり、目は細められた。


「なぁんや、良かったわ。心配したでほんまぁ~。ってか、それボクのせいやんかぁ、ほんまゴメンやで~」

いきなり笑顔で調子良さそうにペラペラ話し出した。『ゴメンやで~』なんて言っている割には申し訳なさそうな感じも悪びれる様子もない、まぁ所謂陽キャというやつなんだとなんとなく理解した。


彼の元気さに、俺は逃げ出したくなった。別にコイツは悪いやつではないことなんて分かっとった。だからこそ性格が悪い自分への劣等感で押しつぶされそうやった。コイツは俺とは違う世界に生きている。こんな俺が一緒にいたら俺のインキ臭さが移る。これ以上俺に死にたいなんて思わせんといて。早く、現実から逃げさせて。


そう思っていると後ろの横断歩道から視覚障害者向けのスピーカーから軽い音が流れ始めた。ナイスタイミング。そう思いながら陽キャ野郎に一言。

「で、では…俺はもう…」

振り返って歩き出した。トロトロと歩く俺を学生の自転車集団が勢いよく追い抜かしていく。俺と肩が掠りそうなくらいギリギリを、全く気になんてしてないみたいな様子で。やっぱり陽キャ様の、いや世間様の目には俺なんか映ってないんやろうな。普段やったらこんなことだけでも十分に落ち込んでいたと思う。でもそんなことそんなこと気にならん位、さっきの奴のことが頭から離れんかった。

独り言にも気を付けなあかんな。鋭いやつっているもんやわ、こんな俺なんかに気づくなんて。陽キャは陽キャらしく身内でワイワイしといてくれたらええのに。陽キャのくせに一人で、俺なんかに構って来やがって。構ってくんなよ、ほっといてくれよ、気色悪い。

…そうやったら、こんな惨めな思いせんでよかったのに。


「あっ!待って!!!」

後ろからさっきの子供のようなやかましい声が飛んできた。

「えっ?」

何事かと振り向くと、さっきのクソ陽キャが後ろから走って追いかけてきて俺の左手首を引っ張った。

「痛っ!」

いきなり馬鹿力でグイっと引っ張りやがるもんだから、左手首に鈍い痛みが走った。

だが何故か奴は全く俺を掴む力を緩める様子はない。それどころかさっきみたいな調子で叫びだしやがった。

「あかん、忘れとったわ、そういえばキミ、『誰か突っ込んできてくれ』とか言っとったんやったな!」

相変わらず頭の中がキーンとするようなデカい声だが『デカい声でそんなことここで言うなよ!』なんて言えるほどの度胸とコミュ力は生憎持ち合わせていなかった。てか手、痛い言うてんねんから離せやタコ。当の陽キャは最初と同じ真剣な顔で俺をじっと見つめてやがる。なんか嫌な予感が…

「あ、そっ、それは…ですねぇ、」

たじろぐ俺を見た後、周りをちらちらと見渡して、さっき少し落ち着いたような声で語りかけてきた。

「…ここやったら危ないし、渡り切ろか。」

「えっ、あっ…」


そう言われ左を見ると右折車のドライバーが迷惑そうな顔でこちらを見ていた。せやった、ここ、横断歩道のど真ん中やった。早く渡らんと…。頭では分かっていたはずやった。でも、ドライバーから発せられた俺への『負』の感情に身体が硬直した。

俺の事を心底うっとおしいと思っていそうな表情が怖かった。さっきまでありがたいと思っていた視覚障害者向けの軽い音がどんどん遅く感じてくる。足が動かない。地面を蹴れない。足の裏が地面から離れない。いつしか頭をすり抜けていた軽い音が重りのように自分にしがみついて離れない。

…うまく、息が吸えない。

声をかけられてから1.2秒。下を向いて動かない俺を不審に思ったのか、俺の顔を覗き込んだ後、何故かハッとしたような顔をした。そして陽キャ野郎は掴んでいた手首を強引に引っ張って対岸へ走り出した。

走っている途中、奴は荒い息を繰り返しながら足をズリズリと引きずるようにされるがまま走る俺をじっと見ていた。

やっと向こう岸の木陰に到着した後、『どう弁解しようか』と戸惑う様子の俺を見てソイツは何か決意したような顔をした。なんやら俺の予感は当たりそうだ。いきなり背負っていたリュックサックを下ろし、中をゴソゴソしだした。

「えっ、あ、あの…」

俺の様子になど目もくれずに右手の動きを止めない。

ソイツのリュックサックの中はくちゃくちゃに詰め込まれた服でいっぱいだった。

制服着とる癖に学校帰りちゃうんか?そんな疑問が頭の中に浮かんだが、聞いてしまうとややこしいことに首突っこんっでしまう気がして飲み込んだ。


「あの…なんですか?」

「やっぱ心配やで、ほっとけんわ。電車でどこ行くん?俺もついていったるわ」

突然の申し出に頭の中は混乱していた。初対面の人と一緒に行くなんて嫌に決まっているが『嫌ですけど』となんて言える訳ない。

「えっ、いえ、お構いなく…」

「アホ!死なれたらこっちも気分悪いしええねん!」

すると鞄から携帯電話を取り出し、こっちを向いた。

「ほら、キミも携帯出して、連絡先教えてぇや。」

彼の勢いに圧倒されながら俺も鞄をゴソゴソ漁った。別に連絡先を交換したいわけでは断じてない。ただ彼の気迫と真剣な目にされるがままだった。

「こ…これです。」

「おう、なんかあったら連絡してぇや。話くらい聞いたるわ。」

交換した連絡先のユーザーネームは「エイジ」と表示されていた。

「三雲クンか、今いくつなん?」

彼も俺のユーザーネームで名前を確認したらしい。

「今年で十七です。まだ十六やけど…」

するとうれしそうな大きい声で返事が返ってきた。

「なんや!ボクらタメやったんやな!俺ももうすぐ十七の高校二年生やで!!!なぁ、敬語やめてぇや、俺も三雲クンって呼ぶわ!!!」

コロコロ表情が変わる、大型犬みたいなやつやなと思った。無いはずの尻尾がぶんぶんと揺れているのを感じた。

「…じゃあ、エイジ…君。俺この後病院やから…」

「おん!俺も一緒に行くわ!道教えてな?」

「あ…うん」

これが俺とエイジ君の出会いだった。


駅のホームで電車を待つ。下のほうをじっと見つめて無口な自分とは対照的にエイジ君はよく話が尽きないなと思うほどずっとなんやら機嫌の良さそうに喋っていた。

「…あのエイジ君、」

話を切り出すタイミングをずっと待っていたが一向に話し終わる気配がなかった。途中で話を遮ってしまったが気分を悪くしないだろうか。ちらっとエイジ君の顔を見た。

当のエイジ君は全く気になんてしていなかったようで逆にさっきよりも機嫌が良さそうに笑っていた。


「あー、あの、ほんまにええの?交通費とか…病院ちょっと遠いし、」

「病院どこなんやっけ?」

「牡丹ヤマ駅。だいぶ北の方…ほぼ終点やけど。」

するとエイジ君は丁度良かった!と言わんばかりの顔をした。

「おう、全然大丈夫やわ!むしろグッドポジションやで!グッポジ!」

両手の親指を立てて俺に見せてきた。

あそこがグッポジ?正直言うと交通アクセスもそんなに良くないのに

「…あそこらへんに住んどるん?」

「いや、住んどるんはアサギ橋の辺やからめちゃくちゃ遠いで」

ケロッとした顔で淡白にそう答えた。

「えっ、ほんま、めっちゃ遠いやん…ええの?帰りだけでも二時間くらいかかるんちゃうの?」

今は午後四時過ぎ。往復だけでも家着いたらもう八時やん。


エイジ君は考え込む俺の背中をポンと叩いてカラっと笑った。

「ええねん、ええねん。どうせどっかで時間潰すつもりやってんから。…今日はオヤジかえって来よるしな!」

…ん?『オヤジかえって来よる』その言葉に違和感を感じた。

「オヤジさんと仲悪いん?」という言葉が喉元まで上がってきたがこの言葉をわざと飲み込んだ。

こんなバカみたいに明るいやつでもいろいろあるんやな。わざと笑顔で言ってみた辺り、『なんとなく言ってみただけ』なんやろうか。…やったら何か返事を返す必要もないか。

汚い身なり、リュックの中身、オヤジさん。エイジくんて、何やら家庭環境に問題があるタイプなんか?こんな明るい感じしといて?

「そうか、ならよかったわ。」

「おう、気にせんとってな!」

エイジ君はさっきと同じ笑顔でまた笑って見せた。

…どっちのことやねん。家庭環境のこと?病院の場所のこと?


そんなことを頭の中で考えているとホームにアナウンスが響いた。

「まもなく一番線に急行アカ辻行きの電車がまいります。危険ですから黄色い線の内側でお待ちください。」

「これ乗るん?」

「そう、三十分くらいかな」

「え~、ボク、三十分も黙って座ってられへんで?」

エイジ君は明らかに不満そうに、でも明るく文句を言い始めた。

「…多分座れへんよ、この時間やもん。」

「なおさら嫌や!」

「ほんまなんでついてきたんや。」


左奥の方から電車が徐々に見えてきた。急行が止まるとは言え、ただの住宅地しかないこの駅には安全ゲートなんて気の利いたもんなんかない。俺はおとなしく黄色の線の内側でぼーっと電車が停止するのを待っていた。

するとなんやら右手の袖にもぞもぞとキモイ感覚が。ちらっと右手に視線をやると、エイジ君の左手が俺のパジャマの袖をきゅっと握っていた

「…そんな心配せんでもいいよ。」

独り言のように呟き、エイジ君の顔を見る。

「うん」

そういいながらなんだか不安そうに手を離していくエイジ君の顔を見つめていた。

…電車を見て死にたさを感じなかったのは久しぶりやった。『こんな奴にも色々あるんやな』たったそれだけやったけど。ずっと止まらへんかった俺の希死念慮を忘れさせてくれたのはエイジ君が初めてやった。

「…せっかくなら、かわいい女の子が良かったわ」

「…?なんの話?」

「分からんでええわ。」

「なんか三雲クンキモ~」


目の前を電車の前の方の車両が速度を落としながら通過していった。涼しい風が一気に俺たちに押し寄せてくる。そして五号車二番ドアが俺たちの前で静止してプシューと開く。ぎゅーぎゅーの車内の中から大勢の降車客達が蛇口を捻った水道のようにじゃあじゃあと流れ出てきた。水流が止まった後、俺たちは電車に乗車した。

「なぁ、暇やから俺と一緒にお喋りしててくれる?」

「他の乗客も居るから嫌や、ほら、足元、落ちんようにな。」

「分かっとるわい!」

「うるさ…」

気持ち悪い世界の中でエイジ君だけが俺と同じに見えたのは何かの間違いだろうか。




「ほんまに座れへんやん、それにボク、暇で死にそうやで」

「まだ十分も乗っ取らんやん…」

「何分であろうと暇なもんは暇やで」

さっきうるさいと言われたのを少し気にしているのだろうか。今までより声のボリュームを下げていたが相変わらずやかましかった。

「…あと二つくらい乗ったらみんな降りていくから座れるんちゃう?」

「おう、ほんまか!それまでなら頑張るわ!」

「好きにして…あとうるさいわ」

悪態をついているというのにちっとも嫌な気持ちにならなかった。久しぶりの友達?との会話がなんだか嬉しかった。…俺キモイな。


『まもなくコウバイ寺前、コウバイ寺前です。右側のドアが開きます。扉に手を触れないよう、ご注意ください』

アナウンスがあった後、減速していた電車が静止し、扉が開いた。そこで俺たちの前に座っていた女性が一人、降りて行った。

「ほら、座れんで、はよ座りぃや」

俺がエイジ君に声をかけた。だがなぜかエイジ君は座ろうとしない。

「何?座りたかったんちゃうの?」

さっきまであんなにうるさかったくせに何故かいきなり黙り出した。なんやコイツ。

「…三雲クン病院行くって言ってたやんな?どっか悪いんやろ?座りぃや。」

「…」

なんやさっきまで全然気にしてなかったくせに。

「別にどこも悪ないよ。俺は後ででいい。とりあえず座りぃや」

「座るべきなんは三雲クンや。」

さっきまでアホなこと抜かしてた癖になんでこういう時だけいきなり頑固になんねん。そっちこそでっかいリュックサック前抱きしとるんやから気にせんで座ればええのに。文句を言わせる気のない真っ直ぐな目。

…こっちが折れたるしかないか。


「じゃあお言葉に甘えて。ほら、リュック持ったるから寄越せ。」

俺は静かにシートに座り込んだ。

「口悪~、じゃあこちらこそお言葉に甘えて。」

そう言ってリュックを降ろすと俺の膝にどしんと乗せてきた。


うわ重っ、…てか臭っ!なんやねんこのリュック、黒やから気づかんかったけどめちゃくちゃ泥で汚れとる。汚ねっ。てかこの汗と香水混ぜて10年位熟成させたみたいな匂い何?そりゃこんなリュック前抱きしてたら死にそうなるわ。


…まぁええわ、今はリュックがクソなことよりコイツが謎にクソ頑固やったことがなんか引っかかる。あとやっぱりこのリュックは上の荷物台に置いて貰おう。

「アホそうに見えて頑固やんな。いや、アホやからか?」

「…」

俺の前でつり革を掴んでいるエイジ君はいきなり嬉しそうにぐっと顔を近づけてきた。

「…何」

「いや、やーっとボクとお喋りする気になったんかと思て。」

「ちゃうわ、ひとりごとや。でっかいひとりごと。」

「へ~?」

「うるさ…てかこの鞄臭すぎるやろ、鼻曲がるわ。」

「持ってくれる言うたん三雲クンやんか~!」

「電車に凶器の持ち込みはNGやわ、上の荷物台に置いて…香水の匂い嫌いやねん。」

「凶器呼ばわり酷ない~!?」

「うるさいうるさい」

文句を言いながらクソデカ臭リュックを上に乗せた時にちらっと見えたエイジ君の脇腹を俺はちらっと見てしまった。


…少し後悔を感じた。




次の駅に到着して、俺の横に座っていた学生が降りて行った。すかさずエイジ君がどすんと座り込む。

「確かにあそこから二つくらいでみんな降りてったな、三雲クンこの電車、乗りなれてんの?」

乗客が減ったからかご機嫌に話しかけてきた。


明るそうな雰囲気に時々ちらっと見える闇、決して曲げない優しさ、正しさ。世の中の人間達と同じように見えて、コイツはなんだか違った。怖くなかった。こんなに信頼できる人に出会ったのは本当に初めてやった。

話す気なんて毛頭なかったが口が勝手に動いていた。


「…睡眠障害や」

「…ん?」

消え入りそうな声で呟く。

「今から行く病院は精神科で、薬もらいに行くねん。俺…薬無いと寝れんから。」

「…」

「初対面やのにごめんな、こんな話」

あー引かれた。こんなん出会ってすぐの相手に言うことちゃうやろ。何言ってんねん俺は。こんなこと言われたら誰でも引くわ。アホ、ホンマにアホ。

…せっかく出来たと思った友達やのに。


エイジ君の顔が見れなかった。顔が熱くて全身から汗が噴き出した。息が詰まる。恥ずかしい。逃げたい。

「睡眠薬だけ?」

「え?」

「ほんまに寝れへんだけか?食欲とか気分とかほかの症状は無いん?」

思っていなかった返答に言葉が詰まった。

「えっと…それは…」

「ゆっくりでええよ、ただ、なんかあるんなら教えてぇや。」

エイジ君はそう言って俺の背中を優しくさすってくれた。ゆっくりと顔を上げると緩やかに微笑む彼の顔があった。暖かい茶色の瞳に見つめられ、少しずつ言葉が出てきた。


「食欲があんまりなくて…そんな食べれへん」

「うん」

「気分は落ち込みが激しい時があって…あかん日は身体が重くて動けへん」

「うん」

「薬は副作用で頭がずっと痛いけど…先生に言いだせんくて薬変えてもらえてへん」

「今は?」

「今は大丈夫や。

…人にこんな話せたん初めてやわ。」


こんなに安心できたことが今までにあっただろうか。嬉しかった。ずっと独りやったから。ずっと孤独で死んでしまいそうやったから。

『まもなくツツジ町、ツツジ町です。左側の扉が開きます。扉に手を触れないよう、ご注意ください。』

女性の声のアナウンスが車両内に響く。平日夕方の急行と言えど田舎の私鉄の駅の端なんて言ってしまえば過疎地域である。ぱっと見で数えられるほどの乗客しか居ない。徐々に減速していく電車に揺られながら何人かが席を立ち始める。

しかし、だ。俺は初めて人に打ち明けられてホカホカしているというのに、エイジ君の顔からは少し険しさが感じられた。

「どしたん?」


周りの乗客に聞こえないように、俺の右耳に向かって静かに言葉を放った。

「…首のそれの話は聞いてもええんか?」

「…」

右手でそっと首の内出血の痕に触れた。

ぷしゅーという間抜けなドアの開く音と共に車両内の全ての乗客が降りて行った。開いたドアから眩しい西日が差しこんでくる。その光に照らされて、エイジ君のまっすぐな瞳がまたべっこう飴のような色に染まる。

「…気づいてたん?」

「さっき三雲クンが座る前にな。もしかしたら思たけど…やっぱそういうことか?」

やから頑なに俺を座らせようとしたんか。ほんまに体調悪いの疑ってたんじゃなくて俺の反応を見てたんか。

『ドアが閉まります。ご注意ください』

誰一人として乗ってこない過疎鉄のドアが次はピコン、ピコンとこれまた間抜けな音を立てながら閉まる。エイジ君の目がまた明るい茶色に戻った。

「…意外と策士やな。」

「こう見えてもな。驚きやろ?」

イタズラっぽく笑う彼に俺も気が抜けた。

「うん、ほんまに驚きですわ。…エイジ君が思っとることで合っとるよ。そうゆうことや。これがないと安心できんねん。」

なんでか知らんけど、後ろめたい気持ちなんて微塵もなかった。逆にすごく清々しい気持ち。

「病院の先生は知っとるん?」

エイジ君は少し心配そうに尋ねた。心配そうな顔をしてもらえて少しうれしかったんはここだけの話。

「さぁ。気づいてんのかもやけど指摘されたことないなぁ。君が初めて。」

ガタンゴトンと電車の緩やかな振動が心地よかった。


『まもなくボタン山、ボタン山です。右側の扉が開きます。扉に手を触れないよう、ご注意ください。』

車内アナウンスが響く。

「…次で降りるで。くっさいリュック忘れんといてや。」

「忘れへんわ!」

「暇や暇や言うて騒ぐアホはチキンや。」

ぷりぷりと怒りながら立ち上がって荷物台からクソデカ臭リュックを下ろしたエイジ君を、今度は見ないようにした。

「…三雲クンさぁ、」

また顔をぐっと近づけて覗き込んできた。

「何?」

二っと笑って続ける。

「俺にはうるさいとかアホとか好き勝手言うけど病院の先生前にしたら思うように話せへんって…キミも十分チキンやね」

思わず笑みがこぼれた。ドアがプシューと音を立てて開いた。

「…チキンからすれば狂ってんのはこの世界の方やわ」

ゆっくりと立ち上がりながらわざと聞こえるように呟いた。その言葉をエイジ君はわざと無視した。


「足元、落ちんように気つけや」

「知っとるわ!」

「どうせ三歩歩いたら忘れるやろ」

「それはお前もやろがい」

チキン同士でアホな会話を交わしながら歩き出した。


「じゃあ俺、今から診察行ってくるから」

精神科の入ったビルの前で伝えた。

「おん、何時くらいになりそう?」

「分からんけど、いっつも一時間くらい待たされると思うから今日も多分遅なるで。」

「そうか、適当にぶらぶらしとるから終わったら連絡して」

帰ってもいいのに。喉元まで出てきたその言葉をまた飲み込んだ。なんで家帰りたくないのか詳細は知らないが、察するにおそらくこれは俺の守備範囲外。


「電車で十分も立ってられん奴が一時間も待てるんか?」

「それとこれとは別やし。待つんは苦手やけど時間つぶすんは得意やねん。」

エイジ君は病院を通り過ぎて、商店街の方に歩き出した。

「…一緒に診察来るか?」

少し大きめな声で尋ねてみた。普段から人と話さんから喉が上手く開かん。その言葉にエイジ君の足が止まる。

「なんで?ボク、その方が待ってられんと思うけど。」

俺に背中を向けたまま言った。恐らく彼が言いたいのは一緒に行く気は無いということだろう。

「…せやな、行ってくる。また連絡する。」

エイジ君はまた歩き出した。

さっき出会ったばかりだというのに彼の存在は俺にとってすごく安心できるものになっていた。彼と一緒なら自分の心の内を包み隠さず言えると思った。

「甘えてたらあかんな。」

自分に言い聞かせ、ビルの階段を上った。


『診察終わった。薬局で薬もらって終わりやわ。』

交換した連絡先にメッセージを送ると、すぐに既読がついて返信が返ってきた。

『待ちくたびれたわ〜!!!どこの薬局!?!?』

さっき会話を交わした時の空とは違い、もう外は真っ暗だった。雲ひとつない澄み渡った空。

『文面までやかましいな。病院のすぐ隣。』

『今からダッシュで行く!待ってろよ!!!』

『薬局の中で待ってるからゆっくり歩いて来い。』


コイツ一時間半以上一人で何してたんやろ。金持ってんのかな?カフェでダラダラしてたとか?…いや、アイツが静かな場所で待ってられるとは思えんな。


そんな他愛もないことを考えていると、息を切らしたエイジ君が薬局に駆け込んできた。

「うわ、ほんまに走ってきたん?」

「はぁっ、はぁっ、まに、あったぁ?」

荒い呼吸の間で尋ねてきた。俺はぎょっとしながらも俺よりさらにぎょっとしている周りの視線に気づき、とりあえず椅子にエイジ君を座らせた。

「間に合うも何もまだ薬もらってへんけど。」

すると満面の笑みで喜び始めた。

「そりゃぁよかったわ、走った甲斐あったわ~!」

「うるさ…」

「いやぁ、薬の説明俺も聞こう思てな?それで走ってきたんや!」

「あぁ、別にええけど。」


その時丁度、カウンターの女性薬剤師の声が薬局内に響いた。

「三雲啓太郎さーん」

「はい」

返事をしてカウンターに向かう。だが何故だろう、エイジ君は付いて来なかった。

「…?」

エイジ君は驚いたような顔をして固まっていた。

「何?エイジ君も説明聞くんやろ?」

「あ、うん」

狐につままれたような顔をする彼になんとなくの不信感を感じながら二人でカウンターで話を聞き始めた。


「こちらのお薬は以前とは変わらないですね。寝る少し前に服用していただくとしっかり寝付けるかなと思います。ですが少し依存性のあるお薬となっていますので用法、用量きちんと守って服薬していただくようお願いします。」

「はい。」

「今回から変わったのはこちらの二つですね。こっちの方は前のものより抑うつ、不安にしっかりめに効くお薬かなと思います。今回が初回ですので少し少なめの量とさせていただいています。えーっとそれで、もう一つのこっちの方は安定した土台を作るお薬ですね。こちらも初回ですので少し少なめとなっています。何か強い副作用が出るようであれば病院かこちらの方にお電話くださいね。」

「はい」

「何かご不明点ございますか?」

「いえ、大丈夫です。」

「ではこちらでお会計が___」



会計を済ませた後、二人で薬局を後にした。

「ごめん、待たせたな。」

「いや、ボクが好きで待ってたんやから気にせんとって。それより薬!変えてもらえてよかったやん!」

俺より嬉しそうにしてくれる彼を見て照れくさいような気持ちになった。

「うん、今までよりかはうまく喋れたわ。…帰ろか。」

駅に向かって歩き出そうと、左足を一歩前に出した。

「あ!待って!」

急に大きい声を出すもんだから驚いた。右足を思わず踏み外し、またもやバランスを崩した。そんな俺をエイジ君は何事もなかったかのようにキャッチ。なんや腹立つなこいつ。


「…何?なんかあった?」

「いやいや、さっき時間つぶしてた時にええもん見つけてな!向こうの道からもちょっと遠回りやけど駅まで帰れるし…その、一緒に行かへん???」

エイジ君の言う向こうの道というのは商店街の方だろう。駅とは真逆の方向だ。

…正直めんどいけどこんなに待たせたんやからちょっとくらいええか。

「何ええもんって…まぁええけど」

「よっしゃいくで!!!」

「やかまし…」

そう言って二人で歩き始めた。


「そーいえば三雲クンってさ」

静寂な商店街を歩きながら、エイジ君が話を切り出した。夜の秋風は既に少し冬の気配を帯びていた。

「何?」

「ボク、三雲って下の名前なんやと思とったのに違うらしいな。」

「あー、よく聞かれるねんそれ。俺は名乗るときはいっつも三雲って言っとるけどな。」

「親御さんにはどう呼ばれとるん?名前、ケイタローやったっけ?」

二人で真っ暗な商店街をひたすら歩く。

「ご名答。『神の啓示』とかの啓に普通の太郎で啓太郎。啓の字に『教え導く』とかの意味があるらしくて気に入っとるらしいわ。」

「三雲クンは気に入っとらんの?」

こういうところだけ何でこんなに鋭いのだろう。

「全然気に入っとらんよ。だって俺に似合わんやん、そんな大層な意味が籠った名前なんて。導くどころか人の足引っ張ってばっかやし。最近は親も『アンタ』とか『お前』とか名前で呼んでくれんくなったけどな。」

右足で道に転がっていた小石を思い切り蹴った。


するとエイジ君は下を向いて歩く俺に何か言いたげに無理やり目を合わせてきた。

「…どしたん?」

何故かニヤニヤ笑っている。キモイな。

「いやぁな?そんなこと言うならボクの方かてだいぶ名前負けしとるし気にせんでええと思っただけや?」

なんや、自分の話聞いてほしいんか?

「エイジの漢字って何なん?」

「英語の英に司るで英司や。ほーんまクソみたいな由来やで。俺のオカンめちゃくちゃアホでなぁ。結婚してから早々に不倫して他所の男との間で妊娠しよったんや。」

別に聞いてないのに英司君は語り出した。ほんまは適当に聞き流してたらいいって思ってたけど、真剣に話を聞いてしまう自分がいた。

電車でちょっと見えた脇腹、くっさい服がいっぱい詰まったくっさいリュック、聞いていいのか分からなかった家庭事情の話。

「うん」

知りたかった。俺に興味を持ってくれた英司君に俺も興味があったから。

「そのこと当時の旦那には黙っとったらしいんやけどな、ほら、俺の目ってめっちゃ茶色いやん?これ、不倫相手からの遺伝やねん。…俺が生まれてから即バレて離婚したって聞いたわ。今は既婚者の女に手ぇ出したクソ男がオヤジや。」

「壮絶やん。」

いや、ほんまに想像してたより出生時点から荒れとるやん。

「せやでほんま〜。しかも『茶色い目が外人みたいやー』とかアホなこと抜かして「英語を司る」って英司やで。俺英語赤点やのに。オヤジもオカンもゴリゴリの日本人やのに外人なんか生まれるわけないやろが!!!って話やわ。」

「ぶっ、はははっ、ちょっとそれおもろい、ふふっ」

思わず吹き出した俺を見て英司は嬉しそうに笑った。

「やろ〜???困った時この話よぉすんねん。笑ってくれたん啓太郎クンが初めてやけどなぁ。やっぱ名前にでっかい願いなんて籠めるもんちゃうよなぁ?」

「うん、その通りやわ。勝手に期待なんかされても応えられるわけないしな。

…なぁ、英司君。」

「何?」


「言った通り、俺は両親と上手くいってへんくてな。…聞いていいんか知らんけど、英司君は親御さんとは、上手くいってるん?」

やっと聞けた。二人で顔を合わせる。俺のことを試すような顔。

「どう思う?分かりやすいと思うけど。」

「なんとなくうまくいっとらんのは察し付くよ。…でも、」

今まで当たり障りのないように生きてきた。まぁ結果その『当たり障り』その物になってしまった訳やけど。あの時、横断歩道の前、駅のホームで、英司君が俺の中に踏み込んでくれたから…多分今がある。


「…英司君から煙草の匂いせんのは心配やわ。」

てっきり驚いた顔をするものかと思ってた。でも当の本人は驚いたような顔も悲しそうな顔もしない。ただ、いつも通り。でも少し心当たりを見つけたのか、申し訳なさそうな顔をした。

「…あー、荷物台の時か。見えてしもた?」

「自分で脇腹に根性焼きしとるってことなら止める気ないよ。俺も人のこと言えんし、気持ちわかるし。…でもさ、それって…自分でやったんとちゃうんやろ?」

こんなこと聞いてもいいんかな、いや、戸惑ったらあかん。今…英司君の前に居るんは俺だけや。英司君の話聞いたげられんのも俺だけや!


俺の勢いに負けたのか、英司君は少しずつ語り始めた。彼の綺麗な瞳が少し濁る。

「…小っちゃい頃…ボク、オヤジからぁ、その、性的虐待っていうの?、受けとってな、ほら、なんか写真撮られたり、触られたり、触らせられたり…」

英司君の言葉は途切れ途切れだった。

時間が止まったみたいやった。

「…え?」

ちょっと待ってくれ。そんなに壮絶な過去があったなんて思ってない。頭が真っ白になった。

怖くなった。聞いたんは自分やのに。でも…怖かった。

思わず歩みが止まった。

「啓太郎クン?」

あかん。歩かんと…。足を動かさんと...!怖がってるなんて英司君に悟らせたらあかん。一番怖い思いしてんのは…英司君の方やのに。

「…続き、聞かせてぇや。」

精一杯のなんともない振り。搾りだしたった。きっと英司君は強張った身体と声で俺が怖気づいたことに気づいたやろうな。関係ない。これは俺の気持ちの話や。


英司君は何かを察したようにその場で立ち止まって続きを話し出した。

「当時のことはよく思い出せへんねんけどさ。…ずっと、怖くて、誰にも言いだせんかった。…勇気出してオカンに助けてって言ったけどな。…オカンは俺よりオトンの方が大事やったんやろ。『我慢しろ』って言われて」

「なんで…」

どうしよう。聞きたいはずなのに聞きたくない。

「言うたやろ?オヤジはクソ野郎でオカンはめちゃくちゃアホやって。…でもどっかからバレたらしくてな。俺が9歳の時にオヤジが懲役7年の実刑食らってムショ入って…。シャバに出たのが今年の6月。」

「…」

顔が熱い、怒りで。なんで英司君がこんな目に遭わなあかんねん。おかしいやろ。なんせこんなにええ奴が。

「オカンは俺が物心つく前からずっと夜職でな。元々放置気味やってんけど、オヤジがムショ入ってから更にエスカレートして…オヤジ帰ってきてからも基本帰って来んわ。」


「…今は、オヤジさんと生活しとるん?」

「うん。毎日帰っては来おへんねんけどな。もう昔みたいなことはされてへんよ。…多分もう守備範囲と違うからやと思う。前パソコンの履歴見てもうた時…なんや、まぁ、色々見つけてもうてな。」

色々っていうのは児童ポルノの画像とか映像のことか。俺に気使ってわざと言葉濁してくれてるんかな。


...嫌や。気なんか使われたくない。教えてほしい!もっとお前のこと!!!


「じゃあ…その腹の傷は?」

英司君は服をチラっと捲って見せた。電車の中で見たあの傷。あの時は目を逸らしてしまったあの傷。痛々しいプクっと丸く腫れた痕。

「これは帰ってきてからやな。とんだDV野郎になってたわ。…あのおっさんもうあかんねん。7年もムショ入っとったのに全然足洗ってないし、最近なんか煙草以外のハッパ吸うてんのもよく見るし。」

そう言って捲っていた服をパッと手放して俺の方を見る。


…全部言わせたもうた。俺の『知りたい』なんてエゴで。知りたいなんて啖呵切って言わせたくせに。

後から押し寄せる後悔で潰れてしまいそうだった。さっきまで集まっていた血が顔から引いていく。

「…ごめん。そんな辛いことわざわざ言わせてしもて。」


「謝らんといてよ。謝るんはボクの方や。実はずっと話、聞いてほしかってん。」

さっきまでとはまた違う少し明るいトーンで優しい声だった。

「えっ?」

「今まで誰にも話せへんかったんや。初めて聞いてもらえて嬉しかった。」

英司君の顔はいつもにも増して爽やかだった。また輝きを取り戻した飴のような瞳が緩やかに細められる。


…よかった。俺、少しでも力になれたんや。

「こんな親不孝者でも誰かの役に立てるなんてな。」

もうすぐ冬だというのに体が、いや心がポカポカと暖かかった。


「…ボクは親近感湧くから『啓太郎』って名前結構好きやで。うん、今から啓太郎って呼ぶ。」

「俺も英司の名前好きや。由来も付けた奴もクソやけどな。お前が17年背負ってきた名前なんやったらそんなん関係ない。…二つともチキンにはもったいない名前やけどな。」

「せやせや、『君』なんかつけんのももったない。今からお互い呼び捨てな。」

「うん。」

二人でまた一歩ずつ、前に向かって歩き出す。

さっきよりも明らかに軽快な一歩だった。


こんな俺でも英司の支えになれたんかな。分からんけど、少なくとも今、俺の前に居る英司は今までより心なしか落ち着いて見えた。…これが英司の『素』なんかな。そうやったらええなぁ。

英司は俺の心のワダカマリを優しく溶かしてくれる。英司との会話ほど俺に安心を与えてくれるものは無かった。こんな存在ができるなんて、思ったこともなかった。



「ほら、これやで。」

商店街を抜けた先にある、街灯が明らかに足りていないような古い住宅街のような場所だった。自慢げな顔をしながら英司は『ええもん』を指差す。

「彼岸…花?」

そこにあったのは電柱の横に自生する一輪の真っ赤な彼岸花だった。数少ない電灯の真下に照らされるその紅はモノクロだった世界の中で唯一色を放っていた。


「そう!散歩中に見つけてな、啓太郎と見たいな~って思って場所覚えとってん!でも夕方に見た時よりこの電灯に照らされてる今の方が綺麗やな!!!」

英司はクソデカ臭リュックを地面に置いてどしんと座り込む。

「啓太郎と見れてよかった~」とか「真っ赤で綺麗や~」なんて言ってはしゃいでいた。確かに綺麗だった。文句の付けようのない完璧な紅だった。


…でも俺の目に映っていたのは彼岸花なんかじゃなくて、街灯に照らされてぴかぴかと光る英司の茶色い瞳だった。

「…啓太郎?どしたん?ボクの顔なんか変か?」

俺の視線に気づいた英司は満足そうに細めていた目をまん丸に開いた。

「いや、なんでもないよ。楽しそうやなーって思ってただけ。」


俺も英司の横に並んで座り込み、二人で彼岸花をじっと見つめた。

「ほんまに綺麗やな。人工物みたいに繊細で派手。実物見たん初めてやわ。」

「…なぁ、花ってだいたいええ匂いするよな?彼岸花もええ匂いするんやろか。」

「確かに匂いは知らんな。…調べてみよか?」

鞄の中をガサゴソと漁り、携帯を探した。

「あ!待って!」

俺が鞄の中に突っ込んだ右手を英司はグッと掴んで止めた。

「何?うるさ…」

「ここに実物あるんやから匂い嗅げばええんちゃうの?」

最悪のニタニタ顔である。

「アホ、イヌ小便かかってるかもしらん花なんかに顔近づけたら病気なるわ。」

電柱の横に生えてる花なんて小便の一滴や二滴かかってるやろ。

「アホは病気ならへんの〜!」

ニッと歯を見せながら紅に顔を近づけた。

「自分で言うタイプのアホ初めて見たわ…」

呆れる俺になんて目もくれず、スーッと匂いをいっぱいに吸い込むと、1度不思議そうな顔をしてからもう一度匂いを吸い込み出した。

ほんまコイツ頭おかしいんちゃうんか。


「おいほんま汚いて、そんな変な匂いするん?」

「…これは想定外やわ。」

「はぁ?」

なんやそれ。ちょっと気になること言うなや。

「で、どんな匂いなん?」

「啓太郎も自分で嗅いでみーや!せっかく実物あんのにもったない!」

「嫌やわ!ホンマ汚ったないやん!!!」

ガチの拒否反応である。

「さっきまで『綺麗や』言うてたやつの台詞やと思えんな〜」

「汚いのはイヌの小便や。」

「ダイジョーブ、ダイジョーブ。ぜぇんぜん小便クサ無かったし〜。」

適当こきやがって。腹立つな。でもコイツのことである。最終的には頭引っ掴んでまで匂い嗅がせそうな予感がするのは俺だけだろうか。

「…俺はアホなお前とは違ってデリケートなんや。病気なったらお前のせいやからな。」

「意外とノリ気やん。」

「ちゃうわ折れたってんねん!」

今の状況は最悪だがこれ以上の最悪は回避したいものである。『感想聞かせてや〜』とか抜かしてるアホを横目に、深呼吸をして心を決めた。

「ッフー。…やったるわ。」


そっと紅の華に顔を近づけ、まずは少し、スンっと匂いを嗅いでみた。確かにイヌの小便の匂いはしない。それは安心である。

その後、次は深く匂いを嗅いでみた。…微かに甘い匂いがしたように感じた。さっき確認したとはいえやっぱりイヌの小便がかかってる気がしてならない。出来るだけ早く顔を遠ざけた。そして英司の顔を見る。

「…なんや、想定外言うてた癖に普通やん。甘い匂いやろ?」

「いやぁ…やっぱそうやんなー、それがなんかおかしいんよなぁ…」

さっきまで調子よさそうにぺちゃぺちゃ話してた癖にいきなり小声になってモゾモゾ言い始めた。


「何が?お前もそうならそういうことなんちゃう?」

なんか隠してるな、コイツ。分かりやす。

「いや、これ言ったらお前怒りそうやしなぁ…」

なんやら都合の悪そうな顔をし始めた。

「怒らん、怒らん」

嘘である。

「…実はな、彼岸花って匂いせんはずなんよなー…」

「ん?なんで知ってんの?」

既に少し怒り気味である。

「いやいや怒らん言うたやん!…元々彼岸花好きでな、ちょっと知っとっただけや。」

は???

「じゃあなんで俺にわざわざ顔近づけさせて嗅がせたんや」

「あの…怒らんって言ってましたよね?」

「別に怒っとらんわボケカス。」

「いやめっちゃ怒っとるやん。ほんまごめんて〜」

絶対申し訳ないなんて思ってない言い方やん。

「…てかなんでじゃあ甘い匂いがするんや?」

「そうそうそこや。なんでなん?」

俺が知ってると思うか???

「知るか。てか、その情報源何処やねん。ネット?」

「いやぁ、小学生の頃近所に住んどった認知症のジーさんから聞いた話や。」

そんな奴の話真に受けんなアホ。

「んなよく分からん情報よぉ信じれるな、お前…」

回答が想像の斜め上すぎてそれしか返せなかった。


「ジーさんはええ奴やったで。周りの大人は近寄らん方がええって言っとったけどなぁ。ボク、友達居らんかったからいい話し相手やったでぇ。あーなつかし。」

コイツ、親ヤバい上にぼっちやったんか。とんでもない暗黒小学生時代やないか。…コイツの家アサギ橋って言ってたっけ?あの辺とんでもない田舎やし、家庭環境とか近所中で広まってたりすんのかなぁ。まぁガキが汚ったない服着て家に親居らんかったら都会の人間でも色々察するか。親がガキに『アノ子と関わんな』っていうみたいなやつ、やっぱ実際にもあるんかな。


「…ジーさんがええ奴で良かったな。危なっかしさはずっと変わらんようやけど。」

「え〜?ボク危なっかしいかな?」

「初対面の奴にここまで着いてきちゃうくらいには。」

「それは着いてこさせてる啓太郎クンもおんなじやな。」

確かに。

「…どうやら俺らは脳みそが足りんようやな。」

そう言って鞄をゴソゴソ漁り出した。

「何してるん?」

「脳みそ足りんチキンなりに考えてな、ネットで調べよう思て。結局どっちが正しいねん。」

取り出した携帯で『彼岸花 匂い』と検索した。

「つまらんやっちゃで〜、現代っ子はすーぐそのピコピコ使うんやからぁ〜」

なんやら横で文句を言っているようだがもちろん無視する。

「え〜なんやて、『一般的に香りはほとんど無いが、一部の人には甘い匂いや青臭い匂いがする』やって。」

「何それキモ〜!『誰も間違ってなんかないんだぜ!』みたいなこと?」

なんかキモかったけど無視する。

「そうとは言ってないけどそうみたいやな。」

「俺そういうクイズ問題クソ嫌いやで!ほら、なんかお昼時のテレビのクイズってこんなん多なかった?いや、そもそもクイズの内容もしょうもないねんけどさ___」

横で英司がベラベラ喋っている。相変わらずやかましい。

「ほんま十代から出来るハゲ予防なんて興味ないっちゅうn」

「まぁそれはそれでおもろいかぁ…こんなところにちょうどそんな『一部の人』がこんなところに集まってるわけやな。」

いつまでたっても話し終わる気がしないので遠慮なしに口を挟むこととする。

「ちょぉ、ボクの話聞いてるぅ?」

「お前の生え際が後退してるって話やろ?聞いてる、聞いてる。」

「全然違うわボケ!!!」

「はははっ、嘘嘘、ふふっ、」

あまりの勢いの良さに自分でボケておいて笑ってしもた。


英司は笑っとるんやろか?ちらっと視線を英司に移すとまさかの真面目顔である。

え?もしかして図星?ガチで生え際後退してんの?ヤバい、クソデリケートな話やんけ。


「…なぁ啓太郎」

「な、なんや」

ヤバい怒られる。いや泣かれる?嫌われる?こういう時何言えばええんや。『ワカメ食っときゃ何とかなる』とか言ったらシバかれる?

「彼岸花好きなんって不謹慎なんかな?なんか…色々いうやん?」

…ん?生え際関係ない?彼岸花?俺別に怒られてない?てか急に彼岸花の話戻るやんキモ、

「え?生え際は?」

「何言ってんの?」

まぁ腹立つけど一安心やわ。

「…確かにお墓の花ってイメージあるな。名前も彼岸ってな。毒もあるって聞いたことあるし」

「うわ、トリプルアウトやん。」

「まぁ…別に人それぞれの好みちゃう?、知らんけど」

「でもなーんか損した気分ならん?偶然好きになった花がトリプルアウトやで?女の子やとおもってみぃや、めっちゃ見た目は可愛いのに墓地に住んでて名前は『彼岸ちゃん』、おまけにチューしたら毒で死ぬんや」

「納得してみようと思たけど彼岸ちゃんのプロフィールキモ過ぎてなんとも。」

「損やで損。ボクの淡い恋心返して~ってな。」


『損』か。確かに損か。いやどっちが?彼岸ちゃんの方?それとも淡い恋心奪われたアホ男?

「彼岸花なんて名前つけた人間があかんねん。…多分。」

「…その話気になるわ、聞かせてくれ。」

英司は俺の方に目をやったが、俺は力強く咲くその花から目を離せなかった。

「こんなに綺麗でかっこいいのに人間の都合で不謹慎やとか不吉やとか言われてかわいそうちゃう?俺が彼岸花やったらブチギレるわ、『黙れカス』言うて」

「ふふっ、なんや、『俺が彼岸花やったら』って」

「勝手につけられたイメージとか、レッテルとか…そんなんがなかったら彼岸花ってただの食ったらあかん花ってだけで、もっといいもんやったんちゃうんかな。そんなんチューリップと変わらんわ。チューリップも毒あるし。ほら、これ…めっちゃかっこいいのに。それをなんや自分の都合で…人間って自分勝手すぎるわ。」


英司がそっと俺の顔を覗き込んできた。

「なんか言いたいことあるんやな?」

「ご名答。」

「…気になるわ、聞かせてくれ。」

既視感のあるセリフである。まぁわざとやけど。

「おう。二本立てで言ったるわ」

英司は嬉しそうににやっと笑ってから話し始めた。今度は俺が英司の顔を見つめ、英司が彼岸花を見つめる。

「まず一つ。お前は『彼岸花はかわいそうや』言うとったな。でもな、彼岸花は球根に毒があるからモグラとかネズミから食われたりせん。つまり、『なんや舐めとったら殺ったんぞ!』くらいのメンタルの強さは持っとる訳や。やからもし啓太郎が彼岸ちゃんと話す機会があったら、多分そいつは憐れむ隙も与えてくれんくらい強烈な奴やってことやな。」

「なるほど、確かに。」

「そして二つ目ー。彼岸花は種子じゃなくて球根から増える。球根の増え方っていうのは基本的にクローンと同じや。だとすると必然的に一輪だけ生えるんやなくて群生するはずなんや。」

「…じゃあ、なんで此処に一輪だけ生えてんの?」

「それがこの二つ目の話の肝やな。つまり、『誰かが此処に彼岸花の球根を植えた』ってことや。」

「そんなん、誰が…?」

「ふっ、そこまではボクも知らんわ。…でも『人間が植え付けた彼岸花への偏見』なんか気にせぇへん人が此処に生えてたらかっこいいって思って植えたってことやな。」

「…」

「なぁ啓太郎。そんなに『人間』に嫌悪感抱く必要ないんちゃう?同じ『人間』言うたかて、持つ思想、置かれてる環境なんてみんな違うんやし。」


ん?ちょっと待てコイツのことだ。もしかして…

「…英司、お前まさかその話をする為にわざわざ此処まで?」

「よぉ分かってらっしゃるな。」

英司がやっと彼岸花から目を離しこっちを見た。

うわこいつきっしょ。クソ、またしてやられたわ。コイツ、アホに見えてどんだけ頭回っとんねん。

「はぁ、お前ほんま…。くどいねん。で、どっから思い通りやったん?」

「彼岸花のくだりから。名前と英司君過去編のくだりはボクも予想外やったな。薬局でフルネーム聞いたときはビックリしたわ。あ、言っとくけど、今までの話でボクは嘘は一言も言っとらんからな?」

「知っとるわ。やから見事に転がされて腹立ってんねん。」

「能ある鷹は爪を隠すって言うやろ?それと同じや。」

クソ、なんやコイツ調子に乗りやがって。俺かて使おうと思えば頭くらい使えるわ。

「…へー。じゃあ英語赤点なんも爪隠しとるってことか?脳みそがいっぱい詰まってる奴は大変なんやなぁ。ワザと低い点数取ったりしなあかんし?嘘はついてないって自分で言っとったし?」

「…ははは、それは、どうでしょーねぇ。」

「墓穴掘ってしまいましたなぁ?」

「…なんのことやらー」

ほれ見たことか。イキリ倒していたさっきまでの姿が嘘のように形勢逆転である。

「まぁこの辺でいいわ、前置き長すぎやし。はよ本題入れ。」

「えぇ~…初対面の時の丁寧さはぁ?」

「ほら、はよ。」


俺の態度に不満だという雰囲気は出しつつ、俺の圧に負けたのかゆっくり話し出した。コイツも意外と圧に弱いやつやな。俺の押しが強いんかもやけど。

「ほら、啓太郎ってなんか『社会に順応出来ない自分のことめっちゃ嫌い』みたいな闇のオーラ纏ってるやん?」

「なんや失礼な。」

「まぁまぁ最後まで聞いてぇな。…そのくせに、他の人が非常識っていうか非道徳的なことしたら『俺たち人間がどうのー』って急に人間サイドに付いて文句言うわけや。でもそれって虫が良すぎるって言うの?なぁんか社会との関わりの消滅を望んどる癖に自己嫌悪の道具にする為だけに時々人間ズラしだすのってなんか卑怯ちゃう?」

「卑怯…?」

言ってる言葉の意味はなんとなく分かる。でもなんか言葉の真意が見えてこない。つまり何が言いたいねん。まぁコイツの話がくどいのは今までのながれで俺も十分分かっていた。

「…電車の中で言っとったやん。『俺等はチキン同士やーっ!』とか。」

「そんなアホっぽかったか?」

「ボクと同士やって言うんならキミもボクぐらいアホなんちゃう?まぁそんなん今はどうでもええねん。」

どうでもいい話拾ったんはお前やろ。キモイ奴。


そんななんとなく緩い流れを断ち切るかのように、急に英司は俺の両肩を掴んで顔をじっと見つめて真剣な顔で言った。


「なぁ。俺と二人で、チキンとして生きてみぃひんか?」


「…はぁ?」

あまりにも突拍子のない台詞に一瞬脳がフリーズした。何言ってんねんコイツ。何?チキン?俺は人間を辞める的なことか?それとも山賊でもやる気か?とにかく頭の中は混乱の二文字である。

「…いや、話の流れが全然読めへんねんけど…」

英司は俺が困惑して聞き返してくることなんてお見通しだった様子で、勢いよくでっかい声で話し始めた。


「今の社会で生きづらいのはボクも同じや。今日も家出してきたんや、それに…ボクもあん時はお前みたいに…。

でも、それでもな!お前の隣やったらなんとなく、生きてける気がすんねん!…今日会ったばっかりの奴にこんなん言われても困ると思うけど…二人で逃げよう。どこか、死にたいなんて、そんなこと思わなくても生きていけるところに!!!」

「…!」

『ボクもあん時はお前みたいに』?交差点の時の話か?コイツもホントはずっと死にたかった?


…英司の言っていることは痛いほどわかった。死にたいなんて俺に思わせる社会で生きていく意味なんて本当にあるのか。…いや、無いと思ってたから死にたかったんや。ただ、ほんまに死んでしもたら、それで俺の人生に『完全な終わり』が来るのが怖かったから死に切れんかっただけ。…そうか、俺はずっと、『逃げたかった』だけやったんや。逃げる方法が『死』しか無かっただけで。でも…『一人では無理でも、英司となら…また別の方法で逃げられるんじゃないか。』そんなことを期待してしまった。


「…英司落ち着け。逃げる言うたかて俺らはまだ成人もしとらんガキや。どうやって生きていったらいいんかも分からへん。」


本当は『俺もお前と逃げたい』って言いたかった。でも言えなかった。俺らは同士やから。俺も感情的になってしまえば俺たち二人はブレーキが効かなくなると思ったから。失敗したらどうしようって、不安になったから。


「…そうか。ごめんな。」

初めて聞いた英司の弱弱しい声。俺の肩をぐっと掴んでいた英司の手が徐々に握力を無くしていき、肩からずり落ちていった。

顔も下を向いて俺から顔を逸らした。

ぐったりして生気を感じられない英司を見て、先ほどの『実は希死観念を抱えてる』という事実にも合点がいった。


…そんな様子の英司になんとなく腹が立った。

「なぁ。別に俺が言えたことちゃうけどさ。…お前ももっと自分の幸せの為に生きろよ。」

英司は自分のことなんてもうほっといてくれと言わんばかりに背骨を曲げ、小さくなっていく。少しずつ呼吸が早くなって、小さく震え始める。

…分かるわ、その気持ち。情けない自分の姿なんて見てほしくないよな。生きてることが恥ずかしく思えてくるよな。消えてしまいたいって思うよな。

それでも、わざと目を離してなんかやらんかった。じっと見つめ続けた。

「じ、自分の、幸せ…なんて。ぼくには、わからへん。」

絞り出すように俺に伝えたその言葉。俺が立ち上がって声を荒げるには十分な理由だった。


「何が分からへんねんボケカス!!!答えなんてもう出とる癖に!!!」


怒りやらもどかしさやら、何かがとめどなく溢れて止まらんかった。


「お前は俺とどうしたいねん!!!そりゃ、日和った俺も悪いけど…でも、一回断られただけで何諦めてんねんアホ!…すぐ諦めんなよ。こんだけしつこく付きまとって来やがった癖に、なんでこんな時だけ急にしょぼくれんねん!!!

お前と逃げたくないなんて

…俺は一言も言っとらんやろが……。」


あぁ、顔が熱い。俺もしかして酷いこと言ってる?英司を悲しませてる?もう訳が分からない。なんか知らんけど涙止まらんし。

訳も分からず溢れてくる涙を止めようと必死に空を仰いだ。それでもやっぱり止まらなくて。じわじわと熱い雫が頬を伝っていく。

涙が止まらないのは俺だけではなかった。英司も嗚咽交じりに泣き声を上げ、絶えず顔を袖でこすり続けていた。


「ッスーっ、はぁー。」

少し時間が経った後、空に大きなため息を一つこぼして、さっきより落ち着いた様子の英司に静かに話し始めた。


「…全部、お前のせいや。でも、もう心決めたから。」

涙が止まってから見上げる夜空は、さっきまでぼやけて見えなかった星屑がぴかぴかと輝いていて、俺の心をそっとなだめた。

「うん。」

英司の声は相変わらず籠っていた。恐らくまだ袖で顔を覆っているのだろう。だが少しいつも通りに近い若干の明るさを帯びた声だった。

「俺の前で明るい振りなんかすんな、苦しいなら、苦しいって教えてくれよ。」

「うん。」

「自分でも、今日会ったばっかの初対面の奴にこんなん言うん、クソキモイしどうかしてる思うわ。」

「うん。」


長い瞬きをして、視線をそっと英司に移す。なかなか話し出さない俺を不審に思った彼はそっと顔を覆っていた手を外して俺の方を見上げた。真っ赤に泣き腫らした、赤いけれど深い茶色の瞳を、俺は捕らえて逃さない。

目が合った時、俺たちの間を暖かい風がそっと駆け抜けていった。


「…お前のことが大切で大切でしゃーないわ。」

「…啓太郎っ」

瞳を輝かせながら、呟くように俺の名前を呼び、勢いよく立ち上がった。

今にも泣きだしそうな、でも最大級に嬉しそうな顔で、声で、喜びを噛み締めるように英司は話し出した。子供の様だった。

「なぁ、ボクのこと嫌いじゃない?ボクが傍に居ても嫌じゃない?」

飽きれた。

「何言ってんねん、そんな訳ないやろ?ただ、大切やからこそ、これ以上傷ついて欲しくないって思ったから、ちょっと日和っただけや。…これは俺が悪い。」

「…!!!」


その時、いきなり身体にすごい衝撃が走った。身体が吹っ飛ぶかと思ったらその途端にグッと力強く背中を支えられた。

…英司に抱き付かれたのだ。

「な、何!?えっ急になんなん!?」

こっちは突然のことに驚いているというのに、英司はお構いなしに俺を抱き寄せる力をじわじわと強めていく。

「えっちょ、痛い、痛いわアホ!体格差考えろボケ!!!」

そう叫びながら両手で英司の背中を思いっきり叩いて抵抗してやると、やっと死にそうな様子の俺に気づいたようだ。

「あっご、ごめん。」

申し訳なさそうに謝りはするが、力を緩めるだけで俺を離す気など毛頭なさそうだ。

…これは貞操の危機なのか?恐る恐る聞いてみることにする。

「あ、あの、英司さん?俺、普通に女の子が好きなんやけど…?」

「別にそういう意味ちゃうわアホ。…ボクかてチューするなら可愛い女の子がええし!」

「なんや、そんなん聞いとらんわ!」

…どうやら俺の尻は狙われて無いようだ。安心、安心。

「てかはよ離せや。」

「…ボク、物心付いてから誰かにハグしてもらったことないねん。…親からもな。やから、こんな気持ちになったん、初めてや。」

俺の肩に顔を埋めてくる。

『初めて』か。

その言葉に、俺もゆっくりと英司の背中に手をまわし、英司の胸に顔を埋めた。


あ、そういえば。あることを思い出して鼻を鳴らしながら英司の匂いを嗅いでみた

「…スンスン」

「えぇ!?な、なに嗅いでんの?そんな臭い?てかボク女の子が好きなんやけど!!!」

そっちから抱き付いて来やがったくせに、俺の両肩を掴んでいきなり引き剝がしやがった。

「うるさ…てか、ちょっと汗臭いけど、意外と無臭やん。」

「はぁ?」

「いやお前クソデカ臭リュックもってたやん。あの服めっちゃ入ってるやつ…。てっきりお前がめっちゃ臭いから匂いが移ってんのかと。」

「ちゃうわボケ!…いやまぁあの汗拭きタオル熟成したみたいな匂いは普通にリュック洗ってなさ過ぎて臭いだけなんやけどな…。」

「香水臭いんは何でなん?正直アレのせいで激クサなんやけど。」

「あーそれは…えっとなぁ…」


========================


もう無理や。耐えられへん。家出してやる、死んでやる!!!

涙で滲む視界の中、通学リュックの中に散乱するくちゃくちゃのプリントやらゴミやらを全部出す。

家出…家出って何がいるんや。あっ、

「服…着替え用意せんと…」

冬は嫌や。夏みたいに洗濯物が乾かへん。最近の日本の四季はキモイ、秋なんてほんの一瞬しかない。クソ熱い夏がやっと終わったと思えば来んのは洗濯物が乾かん冬。もちろんボクん家には乾燥機なんて高級なもん無い。

裏庭に出て、今日の朝に干した自分の服の匂いを嗅いでみる。

…生乾き臭がヤバい。さすがにこれ着て外は歩けへん。

タンスを漁って着れそうな服を探してみた。…生憎、洗濯物溜めとったせいで持ってる冬服は昨日から脱いでない学校の制服と今外に干されているアイツらだけや。


「はぁー、…服、持ってく必要、あるんかな」

思わず口から出てしまった言葉だった。

タンスを漁る手が止まる。膝から崩れ落ちて頭を抱えてうずくまる。

そうやん、そうやんか。どうせ死ぬんやったら着替えなんかいらんやん。着替えが必要になる前に死んだったらええんや。…死んだら、ほんまに全部終わんのかな。死ぬって痛いんかな?苦しいんかな?

…ボクには死ぬしか逃げ道がないんかな。


ボクの世界から音が消えていく。よくわからん野鳥の鳴き声も近所に住んでるオバハン達の話し声も。聞こえるのは自分の呼吸音と時計の秒針が進む音だけ。

秒針…時計、時間、バスの時間!

「はっ、バス!!!バスの時間遅れる、服っ、服持たな!」


ド田舎だからバスは一日5本しかない。バス言うてもアサギ橋駅までの往復バス。でも歩きかチャリで行ったら相当時間がかかる。次の奴なんか待ってたらオトンが返って来てまう。

急いで生乾きになってた服を全部取り込んで無理やりリュックに詰め込んだ。

「匂い…やばいかな?」

なんか消臭剤みたいなもん、なんか、なんかないかな。

目に入ったのは化粧台の上にあったオカンが前使っとった香水。

「これしかないし…時間もないし…どうせもう使っとらんねんし、これでええか。」

よくわからない高級そうで奇怪な形をしたボトルをほぼ力づくでこじ開け、リュックの上から適当に10回くらいプッシュした。なんかよくわからんけどこれで少しはマシになるやろ。

急いで貯金全額をポケットに突っこんでバス停まで走った。近所のオバハン共に声を掛けられた。


「あれ、美也家さんとこの英司君?学校は?」

1人のオバハンが口にすると、もう1人のオバハンがそれを咎めた。

「ちょっと、美也家さんとことは関わらんほうがええわ。ほら、セイギャクタイって言うん?あんなことあってあの家族。…よう住み続けられるわ。」

うっさい、黙ってろや。無視してとりあえず全力で走った。ポケットの中の小銭がジャラジャラとぶつかりあってやかましかった。


とりあえずアサギ橋からよくわからないところまで電車に乗ってみることにした。

この不安がなくなるぐらい意味分からんとこまで行ってみよう。意味わからんところで乗り換えてみよう。意味わからんところで降りてみよう。意味分からん横断歩道も渡ってみたろう。

そこで見つけた明らかにヤバそうな目をした奴。ソイツの口から零れた言葉。


『誰か…何かの間違いで突っ込んできてくれへんかな、』


お前もなんか?お前も、死ぬこと以外に逃げ道が無いんか?でも死ぬ勇気が無いんか?怖いんか?ボクと同じで、ほんまは死にたくなんか無いんか?


『いや、あかんやろ』

独りにせんとって。ボクのこと、見えてない振りせんとって。


========================


「じゃあ、生乾きの服に香水大量にぶっかけたからそんな悪臭放ってるん?」

「ふふっ、悪臭って酷ない?多分高級品やで?」

「なんで悪臭って言われてそんな嬉しそうやねん。」

啓太郎は不思議そうな顔でこっちを見る。そりゃ嬉しいよ、ボクのことこんな大事にしてくれんの啓太郎だけやもん。

「こっちの事情ってやつ~」

啓太郎は少し不安そうな顔をした。

「またちゃんと話すよ、色々細かいこと。」

「…うん。待ってる。」

「じゃ、そろそろ行こか。」

適当な方向に歩き出すボクにまるで小鴨のように付いてくる。『ボタン山駅に戻ろう』とはお互いに言いださなかった。ただ、二人で前を向いて歩き出した。

ほんまにこれが前向きなんかは分からん。でもそれでいい。今のボクたちに必要なのは『正しさ』なんかじゃないから。これが回り道でも、この先に行き止まりがあったとしても、啓太郎が隣に居るんやったらもうええかなって。


「いつかさ、二人でルームシェアってやつやろうや!」

「え~お前絶対洗濯物生臭くするし嫌やわ」

「じゃ~、乾燥機付きのドラム式洗濯機買お!」

「…うん、それやったら悪ない。」

振り向いたボクと啓太郎の目が合う。


「約束な。忘れんなよ?」

「お前こそな。」

深い漆黒の瞳が、じっとボクだけを映していた。


――――――――――――――――――――――


~10ヶ月後~

「おい!約束はどうしたんやクソ英司!!!」

クーラーの効きが異常に悪いボロアパートにアブラゼミの声と同居人の怒鳴り声が響く。

「何~?怒鳴らんとってや、暑苦しいでぇ?」

ベランダに汗だくで洗濯物を干す啓太郎を見ながらボクは扇風機の風を浴びる。そもそも風がぬるすぎて全然涼しくない。

「なんでこんなクッソ暑い中洗濯物と一緒に日光で焼かれなあかんねん!乾燥機付きドラム式洗濯機は?結局買ったん縦型乾燥機なしの中古やないか!!!」

ベランダから部屋の中に入ってきて俺から扇風機の前のポジションを奪い取る。


「ちょ、汗飛んだって、ケーちゃんびっしゃびしゃやん。」

「誰のせいやと?」

啓太郎の顔はなかなか険しい。これは別にまだそんなに怒ってないけど調子に乗ってイジったら後々噴火する奴や…慎重に、慎重に。

「だって値段5倍くらいちゃうかったやん~、一文無しのアルバイトのガキにはキツイって。ほら、買ったときは啓太郎も『コレでええ』って言うてたやん?」

「…あの時は金に目が眩んでやなぁ…」

「ほら、やっぱボク達似たもん同士やなぁ。…ってか、ケーちゃんが洗濯溜めたせいで今着てるパジャマしか半袖無いねんからはよ干してや~」

「クソっ!」

一言吐き捨ててもう一度ベランダの方に啓太郎が出ていく。これで扇風機はまたボクのものである、ケーちゃんめ、汗水たらして働くがいい。


コロコロリン♪コロコロリン♪

ちゃぶ台の上に置いてたボクの携帯から着信音が。休みの日に電話?なんや?

「はいもしもし〜」

『もしもし、美也家君?』

「あ、店長?どうしたんですか」

『いやいやどうしたんですかて、君今日12時からシフト入ってねんけど?』

「へ?」

『忘れてたん?…っはぁー。今からダッシュで来て!!!ただでさえ人足りんねんからちゃんと自分で管理しろ!はよ来い!!!』

「は、はい!!!すみません!!!今すぐ行きます!!!」

ブツ。

や、ヤバい。とりあえず制服に着替えてダッシュして…

「英司~?なんかあったん?」

何も事情を知らない能天気な啓太郎の声がボクの耳に飛び込んでくる。ッハ!!!そういえば…

「…啓太郎、ボクのバイトの制服、もう乾いとる?」

「はぁ?まだ干してすらないけど何なん?」

「…バイト、シフト入れとんの忘れてた…」

「は!?ヤバいやん!どうすんねん!!!」

啓太郎が洗濯かごを漁って制服を見つけてくれたがもちろん着れる状態ではない。


「もうそれ着るしかないやろ、ただでさえ人手不足なんやからサボったら殺される…」

「んなこといったってびっしゃびしゃやし、そのうち激クサなるんとちゃうの?」

とりあえず鞄の用意をして啓太郎の手から受け取って、びっしゃびしゃのシャツとズボンを着た。

「走って行くからそのうちに乾かす、匂いは…ヤバいかな?」

「飲食店勤務でその清潔感のなさはクビの可能性ありちゃう?」

「あああああどうしようクビなったら家賃払えん!!!」

「…ちょっと待っとけ」

ナニカをひらめいたように、そう言って何故かトイレの中に駆け込んでいく啓太郎。すると何かを持って出てきていきなりなにかをボクにむかって噴射しだした。

「えっ???これ何???」

「消臭剤!ウンコの匂い消す用やけどどうにかなるやろ!!!…多分。」

「えぇぇ?無責任!」

「はよ行け!遅刻じゃアホ!!!走れボケ!!!」

家賃という単語でなにかのスイッチが入ったのだろうか。いきなり横暴に鳴り出して怒鳴られる始末。

「は、はい!!!行ってきます!!!」

急いで靴を履いて駆け出す。



アホな同居人が走って出ていった後、右手に握った消臭剤を見て思わず笑いがこみ上げる。

半年前は服に女もんの香水ぶっかけてたやつが今はトイレ用の消臭剤…。

俺と出会ってアホに拍車がかかってしもたな。

開けっ放しのベランダへの窓から爽やかな風が吹き込んでくる。

「…お前はそれでいいよ、お前の良さは俺がちゃんと分かってる。」


全員から好かれる必要なんてない。一部の人間が好きでいてくれるなら、生きていてほしいと言ってくれるのなら、人は生きていけるから。

アイツは俺にとっての彼岸花で、俺はアイツにとっての彼岸花。


「…いってらっしゃい。」

涼しい風が吹き込んでくる明るいベランダに向かって、聞こえるはずもない言葉を投げた。


初めまして、唐傘と申します。

このお話は2人のなりの「幸せ」を考えながら書かせて頂きました。一人一人違う幸せの形、この小説を読んでくださった貴方も、啓太郎や英司の様に自分にとっての幸せを見つけることが出来ますように。


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