言葉が足りない
すっかり食べ終えたころには、丘の方にも雲が流れてきて、星ももう見えなくなっていた。
それでもナジュアムさんはまだ、名残惜しそうに夜空を見上げていた。
晴れた日に来られなかった自分の間の悪さに、オーレンは少々へこたれながら、使ったものを片付けた。それが終わると、ランプを掲げてナジュアムさんのもとに歩み寄る。
それでも彼がこちらを見ないので心配になった。
「ナジュアムさん、また泣いてます?」
そろりと頬に指先が伸ばすと、触れる前に彼は身をかわした。
「気軽に触るなよ」
「あ、すみません」
固い声で、ナジュアムさんはつづけた。
「俺はさ、これでも反省したんだよ」
「反省?」
怒られるのかと思ったら、違った。ナジュアムさんは自身の髪をいじりながらしばし口を閉ざし、消え入りそうな声で言った。
「無理やりキスしちゃったこと」
「あ……」
オーレンは、言葉を失い立ち尽くす。
「……気持ち悪かっただろ」
「いえ、そんなことは……」
「あのさ、君がそういう態度なら俺はまたするかもよ」
そう言って、ナジュアムさんは首を傾げた。拗ねたように尖らせた唇に目が行きそうになって慌ててそらす。
「だからダメですって! ま、まだ恋人ってわけでもないのに!」
頭のてっぺんまで一気に血がのぼってしまったようで、顔を覆いたくなった。
「……まだ?」
茫然とした様子で、ナジュアムさんがポツリとつぶやいた。
そこでようやく、自分が何を口走ったのかオーレンは気付いた。
「まだってことは、そのうち解禁されるってこと?」
「あ、いや、それは……」
「ただの言葉の綾? ああ、そうだよね! ――びっくりした」
ははっと、乾いた笑い声を立て、ナジュアムさんはそのまま歩き出そうとした。
「そうじゃなくて!」
オーレンはとっさに彼の細い腕を掴んだ。
どうして俺はこうなんだ! この人を傷つけたくないと思いながら、何度同じ間違いを繰り返せば気がすむんだ。
脳内で自分を罵って、とにかく思いついた言葉をそのまま言った。
「わからないんですよ、俺も!」
急に大きな声を出したせいか、ナジュアムさんは肩を震わせた。
怯えさせてしまったかもと気づいて、少し冷静さを取り戻す。
「俺、今まで、誰かを好きなったことなんてなくて、だからこの気持ちが恋かどうかもわからないんです。わかるのは、あなたといると楽しいってこと。あなたが笑うと嬉しいということ。危なっかしくて放っておけないって言うこと」
ナジュアムさんは目を見開いてこっちを見上げた。すごく無防備な顔だった。
暗いからあまり見えないだろうと油断しているのかもしれない。だが、オーレンは夜目が利くほうだ。気恥しくなって、そっと目を伏せる。心臓が痛いほど脈打っていた。
「俺は、物心ついた時から、ずっと料理ばかりをしてきました」
オーレンにとって料理は遊びみたいなものだった。
同じレシピでも作り手が変われば味も変わるところとか、ひとつひとつは美味しくても組み合わせによっては台無しになったりするところとか、すごく面白かった。
食べた人が笑顔になれば成功で、変な顔をすれば失敗。
結果を見るのも楽しかった。
「だけどそれは、誰かのための料理というよりは、自分のための料理だったような気がします」
◇
オーレンが静かに話す言葉を、一言だって聞き逃したくなくて、ナジュアムはじっと耳を澄ました。
「ナジュアムさんに料理を振る舞ったことだって、恩返しと言ったけど、本当は自分の腕を見せつけたかっただけなのかも」
少し意外だった。そんなことを考えていたのか。
「実際美味しいよ」
ナジュアムが請け負うと彼はかすかに笑ったようだった。
「ナジュアムさんが美味しそうに食べてくれるから、もっと料理が楽しくなりました。――俺、ナジュアムさんには感謝しているんです。だから、体だけの関係なんて嫌なんです!」
「……え?」
つぶやいて、ナジュアムはサッと青ざめた。
そう言えば、オーレンに気持ちを伝えたことはないかもしれない。それなのにガツガツして、欲望ばかり押し付けて、あげく勝手に傷ついて……。
ナジュアムは恥ずかしくなってその場にしゃがみこんだ。
「ナジュアムさん!?」
彼はやっぱり、心配してそばに膝をついてくれるのだ。誤解されるようなことばかりしてきたというのに。
呆れすぎてため息も出ない。
「……ロカに言われたこと、思い出したよ」
「なんで突然、その名前が出てくるんですか」
オーレンが不機嫌そうな声をだす。だが、ナジュアムとしては笑うしかなかった。
「あいつはなんて?」
「もっと、君と喧嘩したらいいって」
「あいつ喧嘩売ってるのか」
「そうじゃなくて、要するに」
吸い込んだ息が、また笑いに変わる。
本当にばかばかしい。こんなことで、今の今まで悩んでいたなんて。
「俺たち、言葉が足りないってこと」
オーレンは、まだよくわからないようだ。ナジュアムは立ち上がり、オーレンに手を差し伸べる。
彼はほぼ自力で立ったけど、手を拒んだりはしなかった。
「オーレン、俺は、君が好きだよ。体の関係は、――望んでいないわけじゃないけど……。それよりも、君と過ごす時間を大事にしたいんだ。一緒に食事をとって、時々こうして出かけたりして。ねえオーレン、知ってる? 俺もね、君といると楽しいんだ」
「ナジュアムさん……」
「それにほら、肉欲だけなら外で解消してくるって手もあるし」
「は!? そんなの嫌ですよ!」
「嫌なんだ?」
「……嫌ですね」
だったら、答えはもう出ているような気もする。なんて考えるのはちょっと調子が良すぎるだろうか。
ナジュアムはふっと笑って、オーレンの手を引いた。
「帰ろっか」
「はい」
「恋人になれるかどうかは、これからゆっくり考えればいいよ。その前に、片付けなきゃいけない問題もあるしね」
「あー……、そうですね」
オーレンは心底面倒くさそうな声で答えた。




