背中を押してあげないと
「おかえりなさい。おそかったですね、飲んできたんですか」
別に隠すつもりもなかったが、オーレンにはあっさりバレてしまった。ナジュアムはなんとなく自分の頬に触れながら頷いた。
「うん、少しね。けど、ほとんど食べてないからお腹は空いてる」
「そうですか。じゃあ用意しますね」
オーレンは文句を言うでもなく、てきぱきと二人分の料理を並べ始めた。
先に食べていてもいいのに。ナジュアムはひそかに考えた。
彼が嫌がるようなことをしたのに、彼はまだ待っていてくれるらしい。
律義というか、不器用というか。
そうは言っても避けられれば傷ついたと思う。彼の優しさに付け込むようで胸は痛むけど、今は甘えてしまえ。
今日のメインはスープだった。
昨日も今朝も、取り繕うのに精いっぱいで、ろくに味なんてわからなかった。すごく、もったいないことをした。いつまでも、彼の料理を食べられるわけでもないのに。
深皿に盛りつけられたスープの具材は、太めのソーセージとひよこ豆、それに玉ネギ、ニンジン、ジャガイモだ。野菜はどれもスプーンがすんなり入る柔らかさで、すっきりとした優しい味わいだった。
ナジュアムが作ると、煮込みすぎてソーセージからうま味が抜けてしまったりするのだが、当然オーレンの料理はそういうこともない。
「……美味しい」
しみじみ呟くと、オーレンがハッと顔をあげた。
そして彼の方も独り言みたいに、小さな声で囁いた。
「よかった」
狙ったわけではないが、少し空気が緩んだように思えた。
互いに手探りしてるみたいだ。いい大人が、何をやっているんだろうな。
「今日、イバーって人に会ったよ」
「そうですか、ナジュアムさんのところに行ったんですね……。やっぱりこっちのお願いなんて聞いてくれないか。――なにか、嫌なことを言われたりされたりとかは」
やっぱりというのが気になった。
ナジュアムと彼女を会わせないようにしていたのかもしれない。
「ないよ。あの人――っていう言い方もマズいか。様をつけたほうがいいのかな。オーレンは、貴族のお抱え料理人でもやってたの?」
「まあその……、似たようなものです」
「ふうん?」
まだ誤魔化すんだ。さすがに少々ムッとして、行儀悪くナジュアムは頬杖をついた。
「もう一回あの人に会って根掘り葉掘り聞こうかな」
オーレンはギュッと唇を噛んですこし考えるそぶりをみせた。それから恨めしげな顔でナジュアムを睨んだ。
「ナジュアムさんて、意地悪なことも言うんですね」
「君から直接聞きたくて」
「わかりました長くなるんで、食べ終わってから出いいですか」
「もちろん」
そうは言ったものの、食後のお茶がすっかり冷めてしまっても、オーレンはまだ何か考え込んでいた。
入れなおそうか考え、ナジュアムが腰を浮かしかけたところでようやく彼は切り出した。
「俺、ここに住む前は、ヴェシーナ王国の姫君のもとで料理人をしていたんです」
「姫!?」
貴族どころか王族?
「え、じゃあまさか、オーレンもき」
「いえ、俺は平民です。祖母が一代貴族に準ずる名誉を与えられいて、それで王宮にも伝手があるってだけで」
「だけってことはないと思うけど」
なんだか想像がつかなくて、反応に困る。
オーレンはありあわせのものでサッと作って、熱いうちに食べるようなものが得意だし、季節のものをふんだんに取り入れて、贅沢はしない。気負わないからこそナジュアムの舌にも合う。
いや、確かに、器から盛り付けまでこだわるような料理も作れるとは聞いていたけれど。
「待って、それじゃあ復職って、姫のお抱え料理人に戻るってこと!?」
「もう断りました」
「どうして!」
「ナジュアムさんとの約束が残ってます」
オーレンはキッパリと言ったけど、それが理由ならなおさら、ナジュアムが引き留めてはいけないと思った。
「あのお金のことなら、もう充分だよ。っていうか、残ってる? 残っていたとしてもう本当にわずかなんじゃない?」
「ナジュアムさんは、俺に出ていって欲しいんですか」
オーレンは意固地になっているように見えた。
「そんなことはない。けど、もう一度よく考えたほうがいいよ」
「そう言えって言われたんですか」
「あの人に言われたからじゃない。姫の料理人なんて望んでもなかなかできるものじゃないよ。食材だって、設備だってうちとは段違いだろ? それに……収入だって、マルシェの売り上げとじゃ比較にもならないだろ」
これは、オーレンのためだ。彼はこんなところで燻っていていい人間じゃなかったんだ。
だから、背中を押してあげないと。
彼の、未来のために。
「もうすこし、時間をください」




