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未来のために

 珍しいことに、オーレンがキッチンでぼうっとしていた。

 ナジュアムが覗き込んでも気づきもしなかった。


「オーレン? それ焦げてない?」

 フライパンの中身はどうやらオムレツで、彼は「わ!」と悲鳴を上げて慌てて火を止めた。

「……す、すみません」


 どう考えても、昨日のことが原因だろう。

 あの後、つまり――オーレンの唇を奪ってしまった後、ナジュアムは彼を先に帰そうとした。一人になって頭を冷やしたかった。だが、そう伝えるとダメだと返って来た。


「それなら、俺が残ります。ナジュアムさんは帰って食事にしてください」

「は?」

 たった今、あんなふうに拒否しておいて?

 意味が分からなくて、思わず荒っぽく聞き返してしまうと、彼はざかざかと歩き出しナジュアムの横を通り過ぎる。


「ちょっと待ってよ、どこ行く気!?」

「確か、あっちに公園が」

「雨だよ!」

「知ってます」

「そんなことしなくていいよ」


 引き留めるために手を伸ばしかけ、途中で引っ込めた。触るなと言われたばかりだ。

 ナジュアムがため息をつくと、なぜかオーレンの方がギクリと肩を震わせた。

「いいから、帰ろう」


 オーレンはもう拒まず、結局二人で気まずいまま食事をした。

 今朝になって元通りとはいかなかった。


「昨日のことだけど……」

「は、はい!」

「ははっ。心配しなくてももうしないよ。魔が差しただけだから」


 ナジュアムが笑い飛ばすと、オーレンは居心地悪そうに身じろぎした。

 本当に、どうしてキスなんてしてしまったんだろう。こうなるってわかり切っていたのに。

 だけど、どうせだったらもっとしっかり味わっておくんだった。なんてことを考えられるくらい、どうやら自分は図太いらしい。うん、大丈夫。ちゃんと笑えてる。


「ごめんね、おかしなことして。オーレンには恋人だっているのに」

「え?」

「このあいだデートしてただろ」

「いったいなんの話……いや、それまさかあの人のことですか!? 違いますあの人は仕事のことで――」


 オーレンは言いかけて途中で口をつぐんだ。マルシェの客かと尋ねると、違うと首を振る。


「すみません」

 彼は何度目かの謝罪を重ねた。

「ナジュアムさんには関係のないことですから」

「あー。そっか、ごめんね」


   ◆


 失敗した、あんな言い方するつもりはなかったのに。

 オーレンはキッチンで一人頭を抱えた。

 ごめんねと言ったとき、彼は笑顔だった。他人行儀なその態度に胸のあたりがズキッと傷んだ。


 どう考えても言い方を間違えた。それにも関わらず、ナジュアムさんは気にしてないそぶりで食事をすませ、いつも通り仕事に出かけた。

「なにやってんだ、俺は……」


 ナジュアムさんに美味しいものを食べてもらうことが、オーレンがこの家に住まう条件で、何よりの楽しみだったのに。このままでは約束を果たせない。それどころか我慢させている。


 こうなった以上、出ていくほうが彼のためだろうか。

 答えを出せず、オーレンは深いため息をついた。



   ◇


 関係ない、か。

 そうもいかないみたいだよ、オーレン。

 ナジュアムは心の中でつぶやいた。

 

 一日の仕事を終えて、ナジュアムは帰るところだった。職場を出てからいくらもしないうちに、人影が立ちはだかった。オーレンと一緒にいた女性だとすぐにわかった。


「あなたは、ナジュアムという名前で間違いないかしら。わたくしはイバー。お話ししたいことがあります」

 その物言いから、貴族なんじゃないかと思った。これはもはや命令で、断ることなどできないのだ。


 場所をカフェに移して、小さな丸テーブルでナジュアムはイバーと向き合った。

 昼間見かけた時は遠目だったし年まではわからなかったのだが、こうして見れば彼女はナジュアムよりも年上に見える。三十代半ばぐらいだろうか。


「単刀直入に言います。オーレンを返していただきたいのです」

「それは、どういう意味でしょうか」

「わたくし共は彼に復職してほしいのです」


 オーレンが仕事の関係だと言っていたのはこういうことか。

「さるお方が彼の料理を望んでいるのです。ですがオーレンは、あなたとの約束があるからとそれを断りました」

 ナジュアムはハッと彼女の顔を見つめかけ、慌てて目を伏せた。


「約束の内容までは知りません。興味もありません。あなたにしてほしいことはひとつ。オーレンを説得してもらいたいのです」

 そこで、彼女はパッと席を立った。

「話は以上です。頼みましたよ」


 拒否権などないというように、一方的に言い置いて去ってしまった。

 手つかずのワインと、この店の料金を残して。




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