温度差
夢のような時間だった。
足元がゆらゆらするような感覚の中、オーレンに手を引かれ寝静まった夜の街を歩いている。
雲間から月が顔を出してオーレンの端正な横顔を照らした。常に浮かべている柔らかな微笑が消えているせいか、やけに凛として見える。
こういう顔もいいなとナジュアムがひそかに見とれていると、彼はかすかにため息のようなものをもらした。
「ナジュアムさんは酒癖が悪いので、あまり外で飲まない方がいいですよ」
「付き合いもあるから、全部断るわけにもいかないけど」
というか、いつもオーレンに酒癖が悪いなどと言われるが、別に今日は特に悪いことなどしていないような……。
まあ、どうでもいいことか。
オーレンの口調はまだどこか荒っぽい。その割に、ナジュアムの手をつかむ力は遠慮がちだ。ナジュアムが少しでも手を引けば、すぐにほどけてしまいそうだった。
「わかってますけど……」
今度こそはっきりとオーレンはため息をついた。
「俺、余計なことをしましたか?」
「ううん、助かったよ。今日の先輩はめんどくさい酔い方だったし」
「今日だけですか? 本当に? なんかあの人すごく嫌な感じがしましたけど」
「うーん、そうだね」
オーレンの警戒はたぶん、正しい。
先輩はナジュアムのことが面白くないのだ。孤児と見下していた相手が、周りに認められていくのが。
「あのままどっかに連れ込まれでもしてたら、危なかったかな」
彼なら好意でも興味でもなく、ただ自分が上だと示すために、ナジュアムを組み敷いたとしてもおかしくない。もっと悪ければ正気に戻ったあと、「おまえが誘惑したんだ」とかなんとか言われそうですらある。
……よそう、こんなのただの妄想だ。
ナジュアムは気持ちを切り替えたが、オーレンはまだ疑わし気だ。
「あ、大丈夫。職場で変なことはしないよ。人目もあるし」
ひとまずオーレンも、『職場では』のところは納得した様子だ。
「……けど、ナジュアムさんこのところ帰りが遅いから――。明日から毎日迎えに行きます」
「そこまでしなくてもいいよ」
だけど、心配されるのは悪くない。にやけてしまいそうだ。
「ナジュアムさんになにかあったら困るんです。ナジュアムさんは俺の恩人なんですから」
ふわふわ浮かれていた気分が、その一言ですっかり沈んでしまった。
恩人か、わかってる。
彼の好意は、ナジュアムが彼に向ける想いとは違うものだ。
ナジュアムはスーツをハンガーにかけ、シャツと下着だけになるとベッドに横たわった。
だいたい、こちらを見て笑いかけてくるのがいけない。声がやたらと甘いのも。優しすぎるのも。
すり寄ってしまいたくなる。
ナジュアムは自分の唇をそっと指でなぞった。
彼はどんなキスをするんだろう。どんなふうに人を愛するんだろう。
その相手は自分じゃないと知りながら、想像せずにはいられない。
酒のせいだ。それに、家の中に入るまでずっと繋がれていた手のぬくもりのせいだ。
「罪な奴……」
無自覚だから、手に負えない。
二人の間にははっきりとした温度差がある。




