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手紙


 表のポストを覗きに行ったとき、ふと隣家の木に青々とした栗のイガが育っているのが目に映った。もう夏も終わりなのだと、すこし感傷的な気分になった。

 ナジュアムはポストに目を戻して中身を取り出した。


 一通はちょっと不審な手紙だった。宛名面に名前が書いてあるだけで、住所も差出人の名前もない。どうやら直接ポストへ入れたらしい。

 ふうんと、心の中でつぶやいて、几帳面そうな文字を見つめる。


「オーレン、手紙が届いてたよ」

「手紙? 俺にですか?」


 キッチンに声をかけると、皿を洗っていたオーレンが、さっと手を拭いてから近寄ってくる。

 ひょいと小さい方の封筒を手渡しながら、「ラブレターじゃない?」とナジュアムは笑いかけた。からかってますよ、というていで。


「いえ、これは……」

 オーレンの方は心当たりがありそうだ。あからさまに嫌そうな顔をして、彼らしくない雑な仕草で手紙をエプロンのポケットに突っ込んだ。ナジュアムはもう一度こころのなかで「ふうん」と呟いた。


 ものすごく気になるが、実のところ彼宛の手紙はもう一通あるのだ。


「それからこれ」

「なんですか」

「たぶん、マーケットの出店許可証」


 オーレンはハッとナジュアムを見つめて、今度はやけに恭しい仕草で封筒を受け取る。緊張した様子で書面を読んでいたオーレンの瞳がキラキラと輝き、興奮にうっすらと頬が染まるのを見て、ナジュアムまで嬉しくなった。


「俺、ちょっと出てきます!」

「いってらっしゃい」

 どこへ行くのかは知らないが、手を振って見送る。


 きっと、居ても立っても居られないのだろう。気持ちはわかる。

 オーレンは出店のためにすごく頑張っていた。どんな料理にしようか色どりや味のバランスを懸命に考え、それに合う瓶を選び、ラベルのデザインを決める時もずいぶんと悩んだ。それから値札や商品の説明をひとつひとつ手書きして、平台や日よけなど近所の人が必要そうなものを面白がって集めてくれた。


 ちょうどバカンスシーズンだったこともあり、ナジュアムも少々手伝った。祭りの準備のようで結構楽しかった。

 なんだかんだみんなが楽しみにしている彼の店が、ようやく形になるのだ。できる限り、ナジュアムも協力するつもりだ。

 意気込んでいたのだが、ナジュアムにも意外な話が舞い込んだ。


「昇進ですか?」

 ナジュアムは驚いて上司をまじまじと見つめてしまった。

 仕事の合間を見て、彼に呼び出されたときには、またクレームでも入ったのかと不安になったので、まだ少し信じられない思いなのだ。


「ですが、投書の件でご迷惑をかけたのに……」

 すると上司はあっけらかんとした様子で言い放った。

「ああ、アレは報告していない。俺のところで止めた」

「え!?」


 初耳だった。全部で三通も来ていたことも。

 驚きすぎて何も言えないナジュアムに対し、上司はふっと笑みを浮かべる。


「君は犯人を濁したけれど、孤児院出身のほかの職員やなんかに聞いてみたら全員口をそろえたよ。それはヤランの仕業だろうって」

 つまり、わざわざ裏を取り、解決を待っていてくれたらしい。

「課長……」


「それに、その件も自分で解決したし、終わったことだろう。普段の仕事ぶりを評価されたということだよ。もちろん断らないよな?」


 後続のためにも、と言外に含んでいるように感じた。この人が気にかけているのはナジュアムだけではないのだ。

 期待を裏切ってはならない。がんばろう――これからも。自然と、そんなふうに思えた。


 その日ナジュアムは、はりきっていつも以上に集中した。引継ぎのため読み込まなければならない資料はたっぷりあるし、自分の仕事もしっかり片付けたい。消灯時間の間際まで粘って、充実した疲れに満足しながら体を伸ばしたところで、思わず「あっ!」と呟いた。


 遅くなるって言ってないのに!

 オーレンが心配しているかもしれない。慌てて資料を片付けて、早足で帰った。家についた時には少々息が上がっていた。


「ただいま、オーレン。遅くなってごめん」

 玄関に駆け込むと、オーレンのほうもなにやらバタバタした感じで出迎えてくれた。

「ああ、よかった。迎えに行こうかと思ってたところでした」


 オーレンは上着を手に持っていた。本当に出る寸前というところだったのだろう。悪いことをしたな。


「ちょっと忙しくてね。これからしばらくこんな感じだと思う」

「そうなんですか?」

「うん、実は……、昇進が決まったんだ」


 誇らしい気持ちはもちろんある。だが、浮かれているのを見抜かれたくなくて、ナジュアムは彼から目をそらし、わざと何でもないことのようにふるまう。


「だから、明日からは先に食べてて」

「それはおめでとうございます。けど、何時になっても待ってますよ」

「え」


 一度はそらした視線をまた戻してしまった。


「ナジュアムさんの顔を見て安心するまでは、落ち着いて食べられないし」

 からかうでもない真剣な目遣いに心臓がギュッとなった。

 これを、素で言うから困るんだ。


「か、顔洗ってくる」

 ナジュアムは逃げるように彼の横をすり抜けた。





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