そのまま飛び出してきたみたい
廃屋のような埃っぽい部屋で、ナジュアムは目を開けた。腕を体のうしろで縛り上げられ、床に転がされていた。妙な魔法薬で眠らされたせいなのか、まだ頭が重く、うまく体が動かせなかった。
「やりたい放題って言うから来てみれば、なんだ、男じゃねえか」
「でもきれいな顔をしてるぞ」
三人の男たちの下卑た会話だけで、これからどんな目に合うのか想像がついた。
そうか、ヤラン、そこまで落ちてしまったのか。
どう考えても最悪の事態だというのに、ナジュアムはどこか冷静に考えていた。
こういう事態になるとしても、せいぜい相手をするのはヤランだけだろうと高をくくっていた。こんなことのために人を呼ぶなんて。
「どんな気分だよ、ナジュアム」
「ヤラン、どうしてこんなことを」
せき込みながら、ナジュアムは尋ねる。
「おまえは男が好きだから、おぜん立てしてやったんじゃねえか」
またそれか、といっそ呆れてしまった。
「言ったってどうせ信じないんだろうけど、俺は、おまえ以外に体を許したことはないよ」
ヤランは一瞬動揺したように目を泳がせるが、すぐに無理やり笑うみたいな顔をした。
「はっ! 嘘をつくなよ。じゃああの男はどうなんだ」
「彼とはそういう関係じゃない」
「そんなの……信じられるか」
ヤランが気弱な顔を見せた時、隣に立っていた男がしびれを切らしたように声を荒げた。
「おい、はじめていいのか」
声の感じからすると、男じゃないかと文句を言ったほうだと思うのだが、いったい今の会話でどうしてやる気になってしまったのか。
「好きにしろ」
ヤランは吐き捨て背を向ける。
こっちの説得は無理だと捨てて、ナジュアムは男たちに声をかけた。ともすれば悲鳴を上げそうになるところを、なんとか息を整え、つとめて冷静に。
「理解しているんですか。これは犯罪です。こんなことをしたって、汚れるのは俺じゃない。あなた方です。今ならまだ引き返せる」
男たちはそれを聞いて大笑いした。
「そんなもん、とっくだよ」
男はナジュアムにまたがった。重さにぐっと息が詰まる。
不器用な手つきで半端にボタンをはずされる。腕を縛られているせいで、すべて脱がせることはできないようだった。平らな胸に嫌気がさしてくれればと思ったが、男はナジュアムの肌を見てごくりと唾をのんだ。
気持ち悪さを堪えて目を閉じる。ここで下手に暴れるよりは、好きにさせたほうがまだ痛い思いをしないだろうか。計算してしまう自分が嫌になる。
ベルトに手がかかり、ズボンを下ろされそうになったところで、嫌悪感が勝った。
それでも、ナジュアムは口を引き結んで耐える。
太ももに、ひやりと風を感じた。
「おい、ナジュアム、もっと抵抗しろよ!」
なぜかヤランのほうが悲鳴じみた声を上げ、ナジュアムの肩を乱暴に押した。
「痛っ」
ナジュアムが声を上げると同時に、カシャッと小さな音がした。いつの間にかお守りが壊れていた。そうすべきだとわかっていたが、本当に壊れてしまったのだと悲しくなった。
「ナジュアム、聞いてんのか!」
ヤランが腕を振り上げたので、ギュッと目をつぶる。
その時、ガゴンと派手な音がして、扉が吹っ飛んだ。
「――え?」
男たちも「なんだ!」「何事だ!」と騒いでいる。
「ナジュアムさん!」
「オーレン!?」
どうしてここに、いやそれよりも――!
「逃げてオーレン、四人いる!」
「目をつぶっててください!」
オーレンはこちらの言うことなど聞く気がないらしい。手近な場所にいた男の頭を手にしていたトレイでぶん殴った。
ナジュアムがギョッとしているうちに、二人目に膝蹴りを食らわせている。
鞭がしなるような蹴りを三人目に食らわせて、地面に沈める。
「な、なんだ、なんだてめえはっ!」
最後に残されたヤランが、精一杯の虚勢を張ったが、顔面にトレイを投げつけられて動かなくなった。
「オーレン!」
「遅かったか……」
「いや、間に合ってるよ、セーフだよ! むしろこの人たちの方が大丈夫?」
「眠ってもらっただけです」
一瞬、本当かなと思ったが、深く考えるのはやめた。自分に乱暴しようとした相手だ慈悲を持つ必要もあるまい。
「動かないで。縄を外します」
縄は、オーレンの言葉に従う従順な蛇のようにほどけていった。腕に残ったあとを痛ましげにさすったあと、彼はすこし視線をさ迷わせ「失礼します」とナジュアムの服のボタンに手をかけた。
「あ、自分で」
やろうとしたのだが、手が震えてうまく留められない。おとなしく彼の手を借りた。
オーレンからはその場に似合わぬブイヨンの香りがした。 よく見ればエプロン姿だし、キッチンからそのまま飛び出してきたみたいだった。
「その……、あとは自分でできますか」
「え? あと? ……あ」
そうだ、ズボンを無理やり引きずりおろされたから、太ももが露わになってる。
下着がギリギリ引っ掛かっていたのは幸いだ。
「うん、大丈夫!」
もそもそ着込んでいる間、オーレンは居心地悪そうにしていた。
「オーレン、どうしてここに?」
「ナジュアムさんがお守りを壊してくれたから、こうして助けに来られました」
「あ!」
ナジュアムはさっと手首を確認した。腕輪には玻璃のような石が編み込まれていたのだが、それが壊れてしまっていた。
「壊す気は、なかったんだけど……」
「今なんて」
「あ、いや……」
言いよどむと、オーレンは深いため息をついた。
「なるほど、壊れてくれて助かりました」
そしてすっくと立ちあがり、床に倒れる男たちを見下ろした。
「それにしてもこいつら、どうしてくれようか……。不能にしてやりましょうか」
「つ、つぶす気?」
こっちまでヒヤッとして、ナジュアムは慌てて身なりを整えた。
「物理がいいですか?」
オーレンはやけにあどけない顔で首を傾げた。
「いや、そうじゃなくて……、未遂なのに」
「前科はなさそうな感じでしたか?」
ありそうだった。つい目をそらしてしまった。
「未遂だろうと、許せるわけないんですけどね。まあ、ナジュアムさんの前だし、見苦しくないほうにしておきましょうか。俺は温厚なんで」
自分で温厚って言った!
ナジュアムが驚いているうちに、彼はしゃがみこんで一人ずつ額に指をつきつけ何事かつぶやいた。魔法を使う様子はいつものオーレンと違って見えて、ナジュアムは思わずじっと見つめてしまった。
静かな足音を立てながら、オーレンは再びナジュアムの前に戻ってくる。そして目の前に膝をついた。
「ナジュアムさんは、俺のこと怖いですか?」
ぞっとするほど真剣な顔で、オーレンは問いかける。こたえを間違えれば、オーレンがこのままどこかへ行ってしまいそうな。
「お――」
答えるより先にお腹がぐーと鳴った。これが答えのような気もする。
オーレンが、笑いを堪えている。
「そういえばナジュアムさん、俺の顔見たらお腹空くんでしたっけ」
いや、全然堪えられていない。ナジュアムはヤケになって認めてしまった。
「まあね」
心底恥ずかしいが、おかげで妙な空気はどこかへ行った。
「帰りましょうか。こんな汚いとこ、いつまでもいちゃダメですよ」
「うん……。いや待って、警邏を呼ばないと」
「え!? 目の前にお腹を空かせたナジュアムさんがいるのに、それなんて苦行ですか」
「やめて、からかわないで」
「本気です」
なおさら性質が悪い。
その時、梅子声が聞こえた。
「うう……」
オーレンと話すうちに、ヤランが目覚めてしまったらしい。
「ちょっと弱かったかな。今のうちにトドメをを刺しますか?」
「こらこら、物騒なこと言わない。大丈夫、こいつのことは法がさばいてくれるよ」
「はっ! 俺は貴族だぞ! こんなことをして牢屋に入れられるのはてめえらのほうだ!」
「オーレン、大丈夫、こんなの口だけだ」
ナジュアムが、ヤランに構わずオーレンのほうを止めたことが、ヤランの自尊心を刺激したらしい。彼は埃っぽい廃屋の床に転がったまま、顔を歪めた。
「ナジュアム、てめえ、調子に乗るなよ!」
「調子に乗ってるのはお前の方だよ、ヤラン。お前は貴族なんかじゃない」
「何を根拠に――」
「おまえ、俺がどこに努めているのか忘れたのか? 婚姻届けは市役所に保管されるんだ」
「……は?」
「三年分さかのぼって調べてみたけど、ヤランの名前はなかった」
おそらく結婚の話は本当にあったのだろう。けれど、破談になった。
彼はカッと顔を赤らめた。
「おまえが悪いんだ! おまえとの関係がバレて、そうなったんだぞ!」
「そっちが二股かけてたんだろ」
「俺と付き合えたんだ、光栄だろ! 俺は、両親に先立たれさえしなければ貴族として生活できたんだ」
「ヤラン、それは……」
「おまえらとは違うんだよ! 俺は貴族だ」
「そうか、ずっとそんなふうに思っていたんだな」
いや、薄々わかっていた。わかっていて蓋をした。
あの行為は愛なんかじゃなくて、ただヤランは俺を屈服させたかっただけなんだ。そこに愛情を求めたのは、俺の方だ。
「ナジュアムさん、もう聞かなくたっていいです。こんな奴の話」
オーレンが耐えかねたように口を挟んだ時、「こっちです!」という声と慌ただしい足音が聞こえてきた。
警邏が到着したのだ。




