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やっぱり、ない



 オーレンが帰って来た音を聞きつけて、ナジュアムは玄関まで迎えに行った。彼の笑顔を見て、少しホッとする。

「ナジュアムさん、起きて待っててくれたんですか?」

 頷くだけにとどめたのだが、ナジュアムの疲れた顔を見てオーレンは眉を寄せた。


「なにか、あったんですか」

「今日、ヤランが来たんだ。――あ、大丈夫なにもない。家の前で騒いでいたのを近所の人が通報してくれて、逃げてった」

 先回りしてそう言うと、オーレンは張りつめていた気を緩ませる。


「そうですか」

「それで、その、オーレンが頼んでくれたって」

 おずおずと尋ねると、彼は真摯に頷いた。


「はい。余計なお世話かと思ったんですが、俺、夜一緒にいられないので」

「余計なお世話だなんて」

 ナジュアムは慌てて首を振って否定する。


「本当に助かった。だけどそのせいで、周りの人がヤランから恨まれたりしないかな」

「その辺は大丈夫です。直接出向かないで必ず警邏に連絡してくださいと頼んであるので、誰が通報したかなんてわかりませんよ」

「手抜かりないね」


 ナジュアムはようやく苦笑めいた微笑みを浮かべた。


「しかし、貴族と縁づいているっていうのはやりづらいですね。そうでなければぶんなぐってやるのに」

「オーレンでも、そんなこと言うんだ」

 びっくりしてオーレンを見上げると、彼はちょっとむくれた。


「ナジュアムさんは恩人です。恩人を傷つけようって人は、排除して当然です」

「気持ちは嬉しいけど、そこまでしなくていい。この手は料理をする手だ。あんなの殴ったら料理がまずくなっちゃうよ」


 ナジュアムはオーレンの手をとって両手で包み込んだ。

 ついうっかり触ってしまったことに気が付いてパッと離す。


「さあ、もう寝なくっちゃ。私事で仕事をおろそかにするわけにはいかないよ」

「……眠れますか?」

「なに? 添い寝でもしてくれるの?」

 冗談めかして尋ねると、オーレンはギョッとした様子で首を振った。


「そんな嫌がらなくても、冗談だよ。じゃ、お休み」

 笑い飛ばして自室の扉を閉めてから、ナジュアムはため息をついた。

「なに言ってるんだか」


 添い寝なんてされたら、まったく眠れなくなりそうだ。

 それとも、安心して眠ってしまうんだろうか。彼の腕に包まれて大きな手に頬ずりして。想像しただけで赤面してしまった。




 それからも、仕事は資料室で、書類に埋もれて過ごした。


「ナジュアムさん、僕も手伝います」

 ナジュアムの様子になにか察したのか、下働きの子が手伝うと言ってくれた。

 上司も加わって、全て確認したのだが――。


「やっぱりない」

 探し物は見つからず、ナジュアムは青ざめ、口元を押さえた。


 休みの日は近所をめぐり、ヤランが騒ぎ立てた謝罪をしがてら噂を集めた。

 ヤランが暴れていたという酒場や食堂を回って、ヤランがどんなふうに騒いでいたか聞き込みする。


「ナジュアムさん、危ないことをしようっていうんじゃないですよね」

「あるかも」

 あっさり認めて肩をすくめてみせると、オーレンは顔を引きつらせた。


「だったら、俺も――」

「ダメ、オーレンは仕事をして。あいつは卑怯なところがあるから勝てないと思った相手が一緒だと、近づいてこないと思うんだ」

「おとりになる気ですか」


「おとりと言うのは少し違うんじゃない? もともとあいつの興味は俺にあるんだから」

「論点をそらさないでください」

「そういうつもりもないんだけど。俺だっていい加減、あんな奴に周りをうろちょろされるのは迷惑なんだよ。大丈夫、オーレンにもらったお守りもあるしね」


 ナジュアムは彼にもらった腕輪をさする。


「そんな万能なものじゃないんです」

「オーレンが心配してくれることは正直嬉しいよ。けどこれは、もともと俺の問題だから」


 彼が納得したようには見えない。

 それがまた、ちょっと嬉しかったりする。



 それから数日後――。

 仕事帰り一人でいるときに、とうとうヤランと遭遇した。


「ナジュアム! ははっ、ようやく会えたな!」

 それほど遅い時間でもないのに、彼はもう相当酔っぱらっていた。


「お前、最近俺のこと避けてるだろ!」

 彼はけらけらと笑いながらナジュアムを指さした。

 ナジュアムは答えず、彼の横を通り過ぎようとした。

 するとヤランがいきなり抱きつこうとしてくるので、とっさに押し返した。


「てめえ、なんの真似だ!」

「まともに話せる状態じゃないな、帰ってくれ」

「せっかく会ったのにつれないこと言うなよ。二人でゆっくり話そうぜ」

「俺は話なんてない!」

「なんだよ、素直じゃねえな! なあ、お前のうちへ行っていいだろう?」


 昔はこの、猫なで声に弱かった。……いまでは、気持ち悪いだけだ。

「ダメだ」


 きっぱりと首を振ると、ヤランはニヤニヤした笑いをふっとひっこめ、真顔になった。機嫌が急降下して、彼はわざとらしく声を張り上げた。

「ああ、家にはあの男がいるもんな! それなのに俺に声をかけたのか、やっぱりお前は――」

「ヤラン!」


 ほとんど怒鳴るようにして、ナジュアムはヤランの声を遮った。


「警告しておく。もう、貴族を名乗るのはやめろ!」

 ヤランはしばし、言われたことの意味を飲み込むように黙り込み、それから低く唸るような声を出した。

「……はあ?」

 彼の眉間にはっきりとしたシワが刻まれたと思ったら、彼は勢いよく拳を振り下ろした。

 とっさによけたつもりだったが、爪がかすめて、ナジュアムの額に傷をつけた。

 

 彼は一瞬怯んだように見えたが、それを恥じるようにもう一度殴りかかってきた。

「なんだと、てめえ! ふざけるな!」


 頭を腕で庇った時、手首のあたりで何かが壊れた音がした。

「あ――!」

 その瞬間、痛みもヤランに対する怒りも忘れて、ナジュアムは一つのことに囚われた。

 オーレンに貰ったお守りが!


「てめえ、誰に向かって命令してる!」

 その間も、ヤランの興奮は酷くなる一方だった。危険を感じて、ナジュアムは手首をぐっと抑えた。

「そんなに気に食わないなら! もう俺に構わないでくれ!」

「誰がてめえなんかに!」

「俺もそうする! おまえとはもう会わない。道であっても無視をする。最初にそうしろって言ったのは、ヤランの方だっただろう? だからもう、俺の前から消えてくれ!」


「おまえ、本気で言ってんのか――!」

 ヤランは大きな舌打ちをし、ポケットから何か取り出した。

 また殴られると思って思わずギュッと目をつぶってしまったのだが、刺激は鼻からやってきた。

 むせるような臭いに一気に吐き気がこみ上げた。足元がふらついて、立っていられなくなる。


 ナジュアムは口元を押さえてヤランを見上げた。

 だんだんとぼやけていく視界の中で、彼がどんな顔をしているのかはよく見えなかった。そして――あたりが闇に閉ざされた。

 




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