投書と根回し
投書があったのは、その次の日のことだった。
上司から、読めと差し出された紙には、ナジュアムが不特定多数の男と関係を持つふしだらな男で市役所職員にはふさわしくないというようなことが書いてある。
酔っぱらって書いたようなヘロヘロした汚い字だ。誤字もあるし、判読にすこし時間を要した。
「心当たりは?」
上司の口調が冷静なものだったので、ナジュアムも落ち着いて答えた。
「残念ながら、あります」
下手に隠すよりは、指示を仰いだほうがいい。今は、そういう状況だ。
「最近、貴族を名乗る人間があちこちで飲んで暴れている、という話を聞いたことはありませんか」
「ああ、その人が?」
「彼は俺の恋人でした。貴族と結婚するからと手切れ金を渡されて、もう二度と会わないはずだったのに、最近俺の前に現れて、それで……」
「そうか」
上司は、あごに手を当てしばし考え込んだ。
ナジュアムの言葉を疑ってかかるのでもなく、妄信するのでもなく、自分の中で精査しているのだろう。
そういうところは、とても信頼できる人だ。
「家庭がうまくいってないのかな。それで君に会いに来たと。愛人にでもする気かな」
「まさか」
冗談を言われたのかと思ってナジュアムは笑うが、彼のほうはふと顔を曇らせた。
「私は君が幼い頃からがんばってきたのを知っているし、君のがんばりのおかげで孤児院の子たちが職員になる道筋もできた。彼らの模範となれるよう努めていることも知っている。ただ……言いにくいんだが君のその雰囲気がね、そうであってもおかしくないと考える者もいるようで」
「……この、見た目のせいですか」
「誤解されやすいのは確かだ」
上司はため息を堪えるような顔をした。
ナジュアムは孤児院にいたころも、不義の子だと噂されていた。
そう、こんなことは慣れ切っていることだ。今さら落ち込んでもいられない。
それも、ナジュアムのせいで大切な人たちに迷惑がかかるとなれば。
「すみません、すこし、お力を貸していただきたいことがあるのですが」
その日からナジュアムは客との接触を控え、資料室に籠りそちらで仕事をした。
先輩には文句を言われたが、上司がうまくとりなしてくれた。
夜遅くまで働いて、帰り時間はいつも微妙にずらす。そうやって、ヤランと出会うことをなるべく避けた。
それに焦れたのか、ある夜また外から扉を乱暴に叩く音がした。
「ナジュアム、いるんだろ出てこい!」
ドアを開ける気はさらさらなかったが、このままでは近所迷惑になってしまう。
どうしたものかと、そろりと内側から玄関扉の様子をうかがっていると、ヤランの罵倒は次第に激しくなり、だんだん聞き苦しいものになっていく。
「出てこいこのビッチ!」
「あの野郎……」
思わず毒づいてしまう。
あることないこと騒ぎ立てられたんじゃ、こっちが居づらくなる。
無視をするのが一番だとわかっているが、出ていってやめさせたい衝動に駆られる。ナジュアムが本気でバカなことを考え始めた時、甲高い笛の音が鳴った。警邏が回ってきたようだった。
笛の音はナジュアムのうちの前を通り過ぎ、遠ざかっていく。
どうなったんだろうかと、玄関から動けずにいると、ノックの音が聞こえた。
思わずギクリとするが、ヤランにしては控えめだし、名乗り声も聞こえた。
ナジュアムがおそるおそる扉を開けると、ご近所の夫婦が心配そうにのぞき込んでいた。
「大丈夫? あの変な男ならもうどっか逃げてったから」
「通報してくださったんですか」
「ええそう。オーレン君がね、変な男があなたのことをつけ狙っているから、騒ぎを起こすようなら通報するようにって」
「オーレンが!?」
ナジュアムは驚いてあんぐりとくちをあけ、慌ててふさいだ。
「あら、聞いてなかったの。一軒一軒手土産を持って回ってたみたいよ」
手土産をもって回った!?
全然聞いていなかった。だがそういえばオーレンはここで暮らすようになってすぐ、挨拶に回ったと言っていたし、そういう手回しをしていても不思議ではなかった。
というか、ナジュアム自身はそこまで気が回らなかった。そうか、あらかじめ言っておけば良かったのか。
「すみません、俺、何も知らなくて。のちほど改めてお礼に伺います」
「いいのいいの! オーレン君にはいつもお世話になっているから」
オーレンはいったいいつも、ご近所さんを相手に何をやってるんだろうか。あの人たらしめ。
だけど、おかげで助かった。それに、オーレンまで白い目で見られるようなことがなくてよかった。
ナジュアムはホッと息を吐いたが、ご近所さんはまだ心配そうだった。
「あの変な男が戻ってこないか心配なら、うちに泊まる?」
「いえ、もうすぐオーレンが帰ってきますので、大丈夫です。ありがとうございます」
また、オーレンに助けられてしまった。
ナジュアムはリビングに戻り、お茶を入れた。今夜は眠らずにオーレンを待つつもりだ。




