星
オーレンがフッと目をやると、ナジュアムさんはランプらしきものに手を伸ばすところだった。あれが気になるのだろうか。オーレンは足を踏み出しかけたが、先に動いたのは魔法屋のほうだった。
「それいいだろ」
わかりやすく目を輝かせて、魔法屋はナジュアムさんの元へ駆け寄った。出遅れたオーレンはその場にとどまった。
「ロカが作ったの?」
「じいちゃんだよ。けど、色は塗らせてもらった」
「そうなんだ。綺麗だね」
二人が楽しそうに会話をしているのを見て、オーレンは知らず口を尖らせた。
ナジュアムさんがロカを見つめるまなざしは優しい。
本人がどう思っているかは知らないが、それは子供に向けるものとは違うと思う。
くつろいだ様子だし、魔法屋の仕事に賞賛とか尊敬とかそういう気持ちを乗せているように見える。
そういう態度をとるから相手が調子に乗るんだ。ロカのほうは、下心が見え見えだ。アレに気付かないとしたら、ナジュアムさんは相当鈍いのだろう。そんな気は、すごくする。
だから変な輩に悪さをされないか、ちゃんと見張っていないと。
そんな責任感とは別に、彼がどんなものを好み、どんなものを嫌うのか興味はあったから、オーレンは彼らの会話にそっと耳を傾けた。
「それはさ、星が見えるんだよ」
「星?」
「本物じゃねえけど、かなりそれっぽい。見せてやるよ、特別だぞ」
ロカはランプをひょいと手に取り、壁際に移動させた。そして魔石を操作して店内を暗くする。
真っ暗になると入れ替わりに、壁にぼんやりと小さな星空が映し出された。
すごいな。オーレンもさすがに感心してしまった。本当にそれっぽく見える。
チラリとナジュアムさんに目をやると、彼の瞳も星空に負けないくらい輝いていた。
だが、瞬きをした瞬間ふとそれが陰る。
ロカは道具自慢に忙しく、ナジュアムさんの変化に気付かなかったようだ。
オーレンは彼に歩み寄り声をかけた。
「ナジュアムさん、それ、買うんですか」
「うーん、すごくいいとは思うけど、買わない」
キッパリと断るのを聞いて、ロカは店内をもとの明るさに戻した。それでもまだ諦めきれないのか、ロカは首を傾げ、ナジュアムを下から覗き込むようにして甘ったれている。
「ナジュアムが買うんなら安くするのに」
「勝手に割引したら怒られるよ」
嗜めるようにナジュアムさんは笑うが、どこか空元気のように聞こえた。
「ナジュアムさん、買うものがないならもう帰りましょう。お腹空いたでしょう」
「あ、待って。オーレン、何か欲しいものはない?」
「俺ですか? ――この店で?」
「こら、オーレン。失礼だよ! 君が普段愛用している品々だってだいたいはこの店が出自なんだから」
「う、それは……お世話になっています。けど、ナジュアムさんのうちには大抵のものはそろってますからね、そうなるとますます……」
一応ざっと品物を眺めてみるが、欲しいものと言われても困ってしまう。
「君がこの先――」
「え?」
「この先独り立ちしたときに、持っていけるものがいいと思うんだ」
彼はこちらを向いていなかった。テーブルに並べられた魔法道具をつまみ上げ、それを眺めている。いつもみたいに、気のないフリか?
そうだと言い切る自信が湧いてこなくて、オーレンは思わず彼から視線を逸らす。
「……それは、気が早いと思います」
「そうかな」
ナジュアムさんの声は穏やかだ。
そりゃ、いつまでも居座っては迷惑だということくらいオーレンにもわかっている。
だけど、やけにモヤモヤした。
今朝のアレは、なんだったのだろうか、などと恨みがましく思ってしまう。
一緒に食事ができるだけで嬉しいと、ナジュアムさんは微笑んだ。作り笑いには見えなかった。
彼が微笑むと、じんわりと胸が温かくなる。
彼と食事を共にすることは、オーレンにとっても楽しい時間なのだ。彼は一生懸命隠そうとするけれど、いつだって彼の『美味しい』は隠しきれない。喜びが体の外まであふれて、空気に溶けてふわふわキラキラして見える。
あんなふうに味わってくれる姿を見て、満たされない料理人はいないと思う。
もう少し、あと少しだけこの光景を見ていたい。
それを身勝手と責めるように、ナジュアムさんは時々、思い出したようオーレンを突き放す。どっちが本音かわからないから余計に翻弄されてしまう。
いいや、食べているときが一番無防備で、いちばん素直なはずだ。だったら――。
「帰りましょう」
もう一度声をかけると、ナジュアムさんは苦笑しつつも頷いてくれた。
「じゃあ、ロカ。今度来るときは魔石を持ってくるから」
「おう! ひとりで来いよ」
ロカはナジュアムさんの耳元で何事か囁いた。
また魔法を見せる約束でもしているのだろうか。あの野郎。ナジュアムさんが笑顔になったから、余計に腹が立った。
魔法屋から出ると、綺麗な星空が見えた。
ナジュアムさんもそれに気づいたようだった。だけどやっぱり浮かない顔だ。歩き出してしばらく経ってから、オーレンは切り出した。
「俺、もっと綺麗にみえるところ知ってますよ。行ってみませんか?」
「お腹空いたんじゃなかったの?」
「ほんの少し寄り道するだけですから。穴場なんですよ」
ナジュアムさんの手を掴んで歩き出すと彼は黙ってついてきた。
少々強引だったかもしれない。けれど彼の憂いのサインを見過ごせば、今日の『美味しい』に支障が出る。そんな気がした。
「あ、ほら! あそこです」
オーレンは人家の中にぽつんとある小さな公園を指さした。外灯が切れたまま放置されているらしく、このあたりだけやけに暗いのだ。おかげで街明りに邪魔されず星が良く見える。手は繋いだままでいた。オーレンは夜目がきくけれど、ナジュアムさんはそんなに得意じゃないはずだ。
「本当だ……。良く見えるね」
ナジュアムさんは、ポカンと星空を見上げている。そしてハッとした様子でやはり下を向いてしまうのだ。
「ナジュアムさんは、星が苦手なんですか?」
「いや――」
ナジュアムはため息交じりに首を振る。
「好きだよ。すごく好き、だったんだけど……」
好きという言葉を、こんなに苦しそうに言うなんてやっぱり変だ。
けれどあまりに辛そうだったので、ここにきて迷ってしまった。つついてはいけないことだったんだろうか。
撤回しようか。けれど、気になってしょうがない。
オーレンの逡巡を察したように、彼はふっと苦笑した。再び星を見上げて口を開く。無理はしなくてもと口に出すことはできなかった。
「前にね、あいつと星を見に出かけたことがあったんだ。昼間のデートはダメだって言うから、夜ならいいだろって」
あいつ、というのは例の元恋人のことだろう。顔も知らないそいつの話をするとき、ナジュアムはいつもちょっと困ったような顔をする。
懐かしめばいいのか、傷つけばいいのか自分でも捉えかねている、みたいな。
だいたい、昼間のデートはダメってどういうことだ?
問いただしたところだが、それでは話の腰を折ってしまう。
「数日前から天気とにらめっこして、暖かいワインを持って、コートを着込んで。準備万端で丘のてっぺんまで登ったんだ。来て良かったって思った。怖いくらい綺麗だった」
そのときの星空を思い出しているのか、ナジュアムさんの目がわずかに細められた。
羨ましいなと、オーレンはひそかに思う。
そのとき彼のとなりにいたのが自分だったなら。
「だけど――」
と、彼は急におどけて星から目を背けるように作り笑いを浮かべた。
「あいつ五分もしないうちにつまらないって先に帰っちゃった。二人で飲もうと思っていたワインだけ持ってね」
「はあ!?」
思わず声が出た。
信じられない、なんて男だ!
怒りがこみ上げる。ナジュアムさんは、なんだってそんな人と付き合っていたんだ。




