放っておけない
ナジュアムはチラリとオーレンを盗み見た。彼がどこまで見送りする気か知らないが、あまり職場のそばまで来られるのも困るし、時間だって有限だ。
「……仕事はどう?」
「はい、楽しいです」
とてもオーレンらしい返事だった。そうだろうなと思う。彼ならどこでだってやっていけるだろう。人当たりがいいし、気も利くし。
「料理を作らせてもらえるの?」
オーレンのバイト先はレストランだ。家でも料理をして、仕事でもとなると大変じゃなかろうか。それとも、彼のことだからやっぱり楽しんでしまうのだろうか。
「いえいえ、フロアですよ。勉強になります。ただ、やっぱり俺は――」
彼が何か言いかけたそのとき、角から幼い少年が飛び出してきてオーレンの足にぶつかった。少年は「わっ!」と声をあげ尻もちをつく。
「あー、ごめん。痛いところはない?」
ぶつかられたのはオーレンのほうなのに、彼は少年に謝罪しながらそばに膝をついた。こういうところも、彼らしい。
ナジュアムは思わず微笑み、彼のとなりにしゃがみこんだ。
「手を見せて?」
少年の手のひらを確認し、足首を回してみるよう指示し、尻に着いた土を軽く払ってやる。
「うん。大丈夫そうだね。だけど飛び出すと危ないよ。君もこのお兄ちゃんにごめんなさいをしたほうがいい」
施設で年少の子らの面倒を見ていたころの癖で、ついおせっかいを焼いてしまった。
少年はナジュアムを見て目を見開き、次いで蚊の鳴くような声で「ごめんなさい」と言うと、パッと逃げだしてしまった。
危ないって言ってるのに。苦笑を堪えて立ち上がる。
「ごめん、オーレン。謝罪を代わりに受け取ってしまった」
「いいえとんでもない。泣かれずにすんでホッとしています」
「君が泣かせるのは女だけだろ」
「待ってください。なんですかそれ。俺のことなんだと思ってるんですか」
心外だとばかりに噛みついてくるオーレンだ。ナジュアムは取り合わず、常日頃から思っていることをからかい半分で口にしてみる。
「うーん、人たらしかな?」
「それ、前も行ってもましたよね。けど、ナジュアムさんほどじゃないと思います」
悔し紛れだろうか。オーレンは変なことを言うので、ナジュアムは苦笑した。
「俺が? 俺はそんなんじゃないよ。仕事柄、人に良く見せようとしてるだけ。職場の信用を傷つけるわけにもいかないし、生まれのこともあるからさ」
「生まれって?」
「孤児なんだよ、俺。だから、人よりふるまいに気をつけなきゃならない」
「演技には見えませんけど」
「うん?」
言葉の意味を捉えかねて、ナジュアムは足を止めた。
「ナジュアムさんは、優しい人です。見返りもなく、俺のこと助けてくれたじゃないですか」
「だから、それはさ」
「いいえ、ナジュアムさんは行き過ぎたお人好しです。人を疑うことを知らなくて、危なっかしくて――」
「え?」
彼は最後の言葉を発するときにはそっぽを向いてしまったし、声もいつになく小さなものだった。よく聞き取れなかったのだけど、なんだかとても、ナジュアムにとって都合の良すぎる言葉が聞こえた気がする。
「今、なんて」
「――俺、そろそろ戻ります」
彼は急に早口になって、さっと背を向けた。
「あ、ちょっと!」
呼び止めると、律義に振り返り彼は頭を下げる。
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
そして今度こそ、止める間もないほどの早さで遠ざかっていった。
歩調を合わせてくれていたのだと、今さらながら気が付いた。
ナジュアムは片方の手で口元と頬を押さえた。
「なんなんだよ、もう……」
放っておけない。ナジュアムの耳には、彼がそうつぶやいたように聞こえた。
現金な話ではあるが、オーレンと話ができただけで、ナジュアムは少し元気を取り戻した。
彼のことだからナジュアムがこのところ食欲を落としていたことを、見抜いていたのかもしれない。




