仕事が決まりました
それから数日後のことだ。
「ナジュアムさん、大事な話があるんですが、今いいですか?」
オーレンは改まった態度でナジュアムに椅子を勧めた。
テーブルに料理が載っていない状況でこんなふうに向き合うことは普段ないので、なんだか緊張する。
彼をいかがわしい目で見ているのがバレて、嫌になったのか。その割に目が輝いているように見えるけど。
「実は俺、仕事が決まったんです」
「は? じゃあ、この家を出ていくの?」
「いえ、それは! まだいさせてもらえると助かります。その、住所不定の怪しい男だと雇ってもらえなくて」
「オーレン、君、仕事なんて探してたの」
ナジュアムが目をパチパチさせると、彼はムッと眉を寄せた。
「そりゃ探しますよ。いつまでもナジュアムさんの懐を当てにしてるようじゃ、俺、クズ男みたいじゃないですか」
「食事を作ってくれてるんだし、掃除もしてくれるだろ。クズじゃないよ」
ナジュアムは慌てて否定した。クズ男と言われて、このところ記憶の彼方にやっていたヤランのことが頭をよぎりかけたのだ。もう、どっか行ってて欲しい。
「それでも、やはりいつまでもお世話になるわけにはいきません。できれば、お金を貯めたいんです。まだしばらく、住まわせてもらっていいですか?」
まだしばらく、か。
いつかは出ていくのだと、ついにハッキリ彼の口から聞いてしまった。わかってはいたことだが、直接言葉にされるとやはり切ない。
それでも、ナジュアムは平気なふりで笑みを浮かべた。
「俺はそれで構わないよ。で、どこで働くの?」
「この近くのレストランです。スタッフのひとりが怪我を負ったらしくて、その人の代わりに。だから、仕事と言っても一時的なものなんですけど」
「そっか、でも良かったね。気に入ってもらえたらずっと使ってもらえるかもしれないよ」
「そうだったらいいんですけど」
はにかみながら頷くオーレンの顔がふと曇る。
「ただ一つ問題が。夜からの仕事なので、帰りが遅くなっちゃいそうなんです」
「ああ、生活時間がズレるのか。だったら食事は各自でってなるかな」
「でも、それじゃあ約束が……」
「常備菜もあるし、適当に食べるよ。それは作ってくれるんだろ?」
「そのつもりですけど……適当に? やっぱり断ろうかな」
なぜかオーレンはとたんに心配顔になった。ナジュアムが手を抜き、ろくなものを食べないのではと思ったらしい。まあ、否定はできない。パンにオイルをつけて食べるんでも充分かなとチラッと思った。
「可能な限り、作ってから出ます」
「無理はしなくていいよ。朝も起きてこなくていいからね。知ってるだろ? 俺、やろうと思えばやれるんだから」
「……やろうと思うんですか?」
そう聞かれると返事に困る。
オーレンはため息をついた。信用のないことである。
「だけど本当に、俺のことは気にしなくていいから。まずは仕事に慣れないとね。がんばってね、オーレン」
「はい。ありがとうございます」
次の日ナジュアムが職場から帰宅すると、テーブルには料理が並べてあった。宣言通り仕事へ行く前に作ってくれたようだ。何時に出たのか知らないが、まだ温かい。
手紙が添えてあるのかと思ったら、メニューだった。
図体に似合わぬ小さな文字で、『鯛のカルパッチョ』『花ズッキーニの肉詰め』『野菜のグリル』と書いてある。どれも美味しそうだ。
カルパッチョは、ナジュアム好みの酸味の聞いたもので、薄切りにした玉ネギはしっかりと辛みを抜いてある。鯛はキュッと身がしまって歯触りがよかった。
ズッキーニの花はほのかに甘く、ひき肉とチーズのうま味を閉じ込め、舌の上でほどける。
花ズッキーニなんて、下処理が面倒で自分では扱ったこともない。美味しいけれど、こういう華やかな料理はオーレンと一緒に食べたかった。
優しいまなざしでナジュアムを覗き込み、いつものように「美味しいですか?」と尋ねるのを聞きたかった。
食べる手が止まりそうになる。
オーレンが居ないだけで、ここまで食欲が落ちるなんて思っていなかった。酒もあまり進まない。
今から寂しがってどうするんだ。情けない。
全部食べきらないと。せっかく彼が作ってくれたんだし、残すなんてできるはずもない。
それでも、いつもよりだいぶ味気なく感じた。
彼が帰ってくる頃、ナジュアムはもう眠っている。お礼を伝えたくてメニューの裏に「ありがとう、おいしかった」と走り書きした。
けれど皿を洗っているうちにどうにも恥ずかしくなって、ナジュアムはそれをひっくり返した。
オーレンがメッセージに気付いても、気づかなくてもどちらでもいい。
とにかくもう、眠ってしまおう。




