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14/48

雨の日に

 その日は、少し仕事が長引いてしまった。就業時間ギリギリにやってきた客の長話に付き合ったせいだった。

 後片付けを済ませて庁舎を出たときには、小降りだった雨は次第に激しさを増し、五分も経たずびしょ濡れだ。


 ナジュアムとしては、ここまで濡れてしまえばかえって焦る気にもならなかったが、先ほどまで話し込んでいた客の方は大丈夫だろうか。

「あのおじさん、濡れてなきゃいいけど」

 なんとなく呟いて、自身はのんびりと雨を楽しむことにした。

 そんなふうだから、オーレンが傘を持って家の近くまで出ていたのを見た時は正直驚いた。


「オーレン?」

「ナジュアムさん!」

 右手にランプと予備の傘を持ち、自分の傘は左肩へひっかけるようにして差し、彼は小走りにこちらへ向かってくる。


「遅いから心配しました。雨もひどいですし」

「このくらい平気だよ」

 オーレンは傘を差しかけたが、家はすぐそこだし、今さらだと思う。だが彼は譲らなかった。


「びしょ濡れじゃないですか。まずシャワーを浴びてください。風邪を引きますよ!」


 準備のいいことに、彼は玄関先にタオルを用意していた。それで手際よくナジュアムから水滴を拭き取って、バスルームに押し込んだ。

 幼い子供みたいに扱われて、ナジュアムはそのあいだ茫然とされるがままになっていた。

 叱りつけるような口調は、この家に彼を連れ込んだ時以来じゃなかろうか。


 熱いシャワーを浴びながら、まだどこか夢心地だ。

 そうか、オーレンは心配して迎えに来てくれたのか。

 じわじわと嬉しさがこみ上げた。


 ほっこりした気分で浴室から出て、困ったことに気が付いた。

「服がない……」

 そりゃそうか、玄関から直行したもんな。


 一人暮らしのころは当然、浴室に服を持ち込むなんてまどろっこしいことはしていなかった。初めてオーレンに浴室を貸した時、彼が服を着て出てきたから、なんとなくナジュアムもそれにならって、彼の前で見苦しいものを見せないようにしていた。


 まあ、いいか。ないものは仕方ない。

 浴室から出るにはどうしてもキッチンを通る必要があるのだが、彼が後ろを向いているうちにサッと通ってしまえばいい。ナジュアムは軽く考えた。


 ところが、扉を開けた瞬間、皿を洗っていた彼はバッチリこちらを見た。

 大方、「ちゃんと温まったか」とか確認しようとしたのだろう。


 ぱかっと口を開けたまま固まった彼の視線がわずかに下がって、オーレンは慌てた様子で顔をそむけた。

 

「な、なんて恰好をしてるんですか!」

「……ごめん」

「い、いいから早く服を着てください!!」


 嫌悪でもなく、たんに恥ずかしがっているように見える。

 ナジュアムは笑いをこらえながら彼の後ろを通った。


「オーレン」

「なんですかっ!」

「ううん、ありがとう。あったまったよ」


 キッチンから出る前にチラリと視線をやると、彼は目を固くつむって顔を真っ赤にしていた。

 可愛いやつ。




 夕食はカサゴを丸一匹使ったアクアパッツァだった。

 鱗を丁寧に取り、エラと内臓を外し、ハーブとワインで香りづけされたカサゴからは臭みを一切感じない。うま味がたっぷり溶けだしたオイルに、アサリから出た出汁も加わり、それらをまとった熱々の野菜に至るまで全部美味しい。ニンジンにとろりとしたズッキーニ。


 引き締まった白身魚はワインとの相性もばっちりだ。

 雨に当たって疲れた体に、オイルたっぷりの料理は良く沁みた。

 身も心もすっかり温まって、ナジュアムはだんだんとふわふわしてきた。


「これなら、風邪なんて引きそうもないね」

「そう願いたいものです」

 

 オーレンは真面目に答えたが、それはそれで少し残念な気もする。彼なら優しく看病してくれそうだ。

 柔らかいリゾット炊いて、フーフー息を吹きかけて冷まして、真面目な顔をして食べさせてくれたりして。

 想像してくすっと笑いかけ、妙な妄想だと気づいて恥ずかしくなった。つい、ワインをグイッとあおってしまう。


「……飲みすぎないでくださいね」

 その咎めるような顔を見て、ナジュアムは昼間先輩に言われた言葉を思い出してしまった。


「やっぱり。可愛いくて家庭的、で、合ってるな」

「なんの話ですか?」

「なんでもない」


 ナジュアムは上機嫌でワインを飲みほした。




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