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猫みたい

 ナジュアムさんは、猫みたいな人だ。

 それも、毛並みのパサついた、やせっぽっちの猫。


 金髪に紫の瞳だから、別に猫を連想させる色合いではないのだが、最初にそう思ってしまったせいか、オーレンはしょっちゅう彼を猫に見立ててしまう。

 伏しがちのまぶたを上げて目を見開いた時、意外と目じりが上がって見えるあたりも猫っぽい。


 彼を見ていると面白い。たとえば彼は、美味しいと感じたことを隠したがる。

 と言っても、一口食べたときの表情でこちらには丸わかりなのだが。


 目を軽く見開いて、まばたきをふたつ。同時に口元がほんのわずかに二ヨッとする。彼はすぐに、しかめっ面を作ってみせる。警戒しているぞとアピールをするように。

 そのくせ、「美味しいか」と問いかければ必ず「美味しい」と頷くのだ。


 こうなるとほかの表情も引き出したくなる。

 甘いものは? 苦いものは? 辛いものは?


「オーレン、これ、辛すぎるよ!」

 舌を見せてギュッと目をつぶるナジュアムさんは、やっぱりどう見ても猫で、オーレンは悪いと思いつつ笑いをかみ殺した。

「オイルをもう少し足しましょうか。チーズも多めで。あとはパスタと絡めてしまえばそれほど気にならないと思うんですが」

「……うん。そうして」


 ああ、可愛いな。

 年上の男性に可愛いはどうかと思うが、彼は猫なんだから仕方ない。


 だいたい、扉からそっとこちらを窺って、バレてないと思っているあたり、かなり。

 声をかけるとツンとそっぽを向いてしまうところなんか、もう猫にしか見えない。

 いろいろ食べさせてみて、彼がどんな反応をするのか見たい。いや、でもやっぱり美味しいときの顔が見たい。


 別に最初から、彼のことを好意的に見ていたわけじゃない。むしろその逆だ。

 この人、放っておいたら死んじゃいそうだな。というのが第一印象だった。


 はじめて会う人間を家に招いて食事を振る舞ったり、お金をあげると言ってみたり、人のことを襲うとか言ってみたり。

 破滅を願っているようにしか見えない。正直すこしイラついた。


 だけど振る舞ってくれた料理は温かいものだった。

 玉ネギの切り方ひとつとっても丁寧な仕事だとすぐにわかったし、湯を入れるタイミングも言うことなし。炊き上がった米は粘り気がなくてサラリとほぐれる。ありあわせのもので作りましたという感じの素朴なリゾットは、胃に染みわたるようだった。


 ただどうにも気になるのは、彼自身、何日もまともに食べていないように見えることだった。

 人に優しくできるのに、自分に優しくできない理由はなんだろう。

 彼が傷ついているんだとわかった時、オーレンはなにか自分でもよくわからない衝動に突き動かされた。


 この人に、美味しいものをたらふく食べさせたい。

 パサパサの毛並みをツヤッツヤにしてやりたい。

 最初はそこからだった。




 夜中というにはまだ少し早いような時間に、ふと思い立ってオーレンは食糧庫へ向かった。

 寝ているはずのナジュアムさんを起こさないように、ドアの開閉音にも気を配る。だが、思いがけず本人がそこにいた。

 保存食の瓶を並べてあるあたりを、なにやら熱心に覗き込んでいる。


「ナジュアムさん?」

「ひゃっ!」


 完全に油断していたらしい。ナジュアムさんは肩をビクっとさせた。

 またなんとも猫らしい仕草だ。振り向いた彼は目を真ん丸にしていた。


「オーレン! 寝てたんじゃなかったの」

「そのつもりだったんですが、ちょっと思いついたことがあって、試作してみようかと。――ナジュアムさんは、飲み足りなかったんですか?」


 お腹が空いているのなら、なにか作ってあげたいとうずうずした。

 オーレンは彼を驚かさぬようゆっくりとした足取りで、彼が見ていた棚に近づく。


 ナジュアムさんの興味を引いたのはこれだろうか。今日作ったばかりのチーズのオイル漬け。鷹の爪とローリエとニンニクで香りづけしたものだ。せめてもう一晩おいてからと思っていたが、ナジュアムさんが食べたいなら開けてしまおうか。

 寝る前だから少し味見をする程度かな。どうやって食べてもらおうか考えたら、自然に笑みが浮かんでしまう。


「いいんですよ。いつでも、好きなだけ食べて。全部、あなたのものなんですから」


 すると彼は、あんぐりと口を開けたあと、バッと両腕で顔を隠した。いや、隠しているつもりなんだろうけど、真っ赤になった頬を隠しきれていない。

 彼はそのまま、じりじりとカニのように歩いてオーレンの横をすり抜ける。


「ナジュアムさん?」

「いまは、いいっ!」


 逃げてしまった。なんだアレ、可愛いな。

 オーレンはチーズのオイル漬けを棚に戻し、首筋を掻いた。


 また、可愛い、などと思ってしまった。

 お腹が減るのは、別に恥ずかしいことでもないのに、やけに恥じらうのでこっちも調子が狂うのだ。


 そうやって、餌付けのような何かの実験のような日々を過ごすうち、ナジュアムさんのパサパサだった毛並みもだいぶマシになってきた。頬もいくらかふっくらとし、沈みがちだった瞳に光が宿るようになって、オーレンはようやく気が付いた。


 この人、恐ろしく綺麗な人だ。

 いや、顔立ちが整っていることにはなんとなく気づいていた。だがそれよりも、猫の耳を幻視してしまうような行動の方が目について、あまり気にしていなかったのだ。


 しかし気づいてしまえば今度は別な理由で不安になった。

 ナジュアムさんは大変うかつな人なのだ。

 見ず知らずの男をうかうか家に上げ、素性をろくに確かめもせず、留守まで任せてしまうくらいには。


 この容姿で、この警戒心のなさ。

 大丈夫なのかな、この人。


 近所の人に聞いたところ、オーレンにしたような人助けを普段からしょっちゅうやっているらしいし、そのせいで、変な男に付きまとわれたこともあるとか。

 それに、以前ナジュアムさんと恋仲だったという人は、あまりいい人間じゃなかったようだ。それは会話の端々から伝わってくる。


 また、そういう人に引っかかったら?


 いつの間にやら顔をしかめてしまっていることに気付いて、オーレンはやれやれと首を振り、寝室として貸してもらっている部屋へ戻った。

 だいたい、ナジュアムさんから預かっているお金だって有限ではないし、いつまでも彼の厚意に甘えるわけにもいかない。約束を果たせば出ていく身なのだ。これ以上はいらぬお節介というものだろう。


 明りを消してベッドに横たわったところで思い出した。

「あ、試作。――明日でいいか」

 閃いたばかりの新しいアイデアよりも、今は、ナジュアムさんにチーズのオイル漬けをどうやって食べてもらおうかとそればかり考えていた。


 やっぱりまずは、奇をてらわずシンプルにパンに乗せて。残ったオイルはパスタにして。

 ナジュアムさんは、美味しいと思ってくれるだろうか。

 楽しみだな。オーレンは目をつぶって考えた。

 まばたきふたつが美味しいの合図。


 俺がその合図を見抜いていると知ったら、それすら隠すようになってしまいそうだから、絶対内緒にしておかないと。


 

 


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