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デートというわけでもないし

 オーレンと約束した日になってしまった。

 別にデートというわけでもないのだし、変に浮き立つ必要もないとわかっているのだが、昨夜はなかなか寝付けなかった。

 いつもよりも早めに朝食を済ませ、家を出てしばし歩いたところで急にオーレンが言った。


「今日、なんかおしゃれしてますか?」

「え、してないよ!」


 ナジュアムは内心の狼狽をひた隠し、早口に言った。

「職場に来ていくには派手だから、今着てるだけ」


 今日着てきたのは明るい茶色のジャケットと靴、千鳥格子のパンツと黒のカバンだから言うほど派手なわけではないのだが、気合を入れてきたと思われるのも空恥ずかしいのだ。


「良く似合ってます」

 なにを言うかと思えば、オーレンはさらりと褒めた。

「ありがとう……」

 なんとかお礼の言葉を絞り出したはいいものの、オーレンの顔を見ることはできず、視線をうろうろとさ迷わせてしまった。


 マルシェはそこらでしょっちゅうやっているが、今日は月に一度一番大きな市が立つ日で、市役所前の広場にも大勢の人が集まっていた。

 呼び込みの声や、客の話し声でザワザワする中を進んでいくと、色とりどりの野菜や果物に目を引かれる。どこからか漂ってくる肉を焼くにおいも魅力的だ。

 ところが、オーレンが立ち止まったのは、食べ物を扱う店ではなかった。


「この帽子、今日の格好に似あいそうでじゃないですか」

 手に取った帽子をぽすんとナジュアムにかぶせるので一瞬あっけに取られてしまった。こういう思わせぶりなことをするから、追い出されるんだぞと、少々恨めしく思う。


「買わないよ」

 店主がニヤニヤしながら「プレゼントしてやればいい。恋人なんだろ」オーレンをからかうのでギョッとする。ナジュアムは慌てて帽子を店主に返した。

「恋人ではありません。それに、この子お金持ってないですよ」

 オーレンときたら、そうだった! みたいな顔をしているし。


 バカだな。ナジュアムは思わず小さく笑い声を漏らした。

 買う気もないのに長居するのも悪いから、店主にさっさと帽子を返して歩き出す。ところが、オーレンはまぬけな顔をして突っ立ったままだった。


「どうしたの? 食材買いに来たんだろ」

「あ、はい……」


 なんだか急におとなしくなってしまったのだが、今頃居候の肩身の狭さでも思い出したんだろうか。

 それともやはり、給料とまではいかないものの、いくらか支払ったほうがいいだろうか。

 そんなことを考えていたら、背後から小さく「笑った……」などとつぶやく声が聞こえた。なんだそれ、笑っちゃダメか。

 ナジュアムは子供っぽく口を尖らせ、聞かなかったフリをした。


 目当ての食材売り場につくと、オーレンの視線はそちらにくぎ付けになった。


「ナジュアムさんはなにが好きですか。今日はなにが食べたいですか」

「俺が食べたいもの?」

「はい。いつも、俺が作りたいものを作ってしまうので」

「別にそれで困ってないけど」

「せっかくだから、ナジュアムさんが食べたいものを作りたいんです」


 そう言って、オーレンは再びキョロキョロしだした。


「あ、ほら、アスパラ売ってますよ! たとえばこれなら、どんなふうに調理しましょうか?」

「ソテーとか? ラザニアもいいよね。ひき肉と合わせて」

「いいですねえ! じゃあ、ソラマメなら?」

「パスタ」

「やはり外せませんね」


 食材ごとにいちいち聞いてくるから、ナジュアムも真面目に考える羽目になる。それにオーレンはナジュアムが何と答えようとも決して否定しないのだ。「いいですね」「美味しそうです」「それ、最高ですね」などと言われれば、こちらも悪い気はしない。


 けれどさっきからずっと食べ物の話しかしていないせいか、妙な感覚になってきた。

 ナジュアムはかすかにため息をついて腹をさすった。それを見て、オーレンが目をキラッとさせる。


「お腹空きました? あっちでクレープ売ってましたよね。食べます?」

「食べないよ」


 しっかり朝食を取ってきたというのに何を言っているんだ。ナジュアムはあきれるが、オーレンは目に見えて気落ちしたように見えた。まったく、こっちが申し訳なくなってくる。


「お小遣いをあげるから買っておいで」

 小銭を握らせようとするナジュアムに対し、オーレンは大げさなほど手と首を振ってみせる。

「ナジュアムさんに食べてもらいたいんです」

「だから、充分食べてるって」


 そんなに力説しなくても、オーレンが来てから食事量はかなり増えた。

 それでも二人でゆっくり味わって食べるからなのか、よほどバランスに気を使っているのか、太るどころかむくみが取れて体もスッキリしてしまったものだから、文句のひとつも言えない。


 むしろ、感謝をするべきかな。

 とはいえそれもどこか気まずい。なんとなく、きょろりと辺りを見回していたら、目が合ってしまった。

「……あ、イカ」


「イカ!いいですね!どうやって食べるのが好きですか」

「マリネとか」

「酸っぱいものお好きですもんね。フライにするのはどうですか?」

「うん」

「リゾットはどうです?」

「うん、美味しそう」

「なんで顔をしかめるんですか」


 オーレンはキョトンとして、それから思い当たることがあったらしく「ああ」と笑いを含んだ声で頷いた。

「美味しすぎて、困るんですよね」

 からかうような、照れ隠しのような、嬉しさをにじませた笑みをする。


「だから、そういう!」

「え? なんです」

 ……そう言う可愛い顔が困るんだよ。

「イカ、買って行きましょうね」

「うん」


 マルシェでの買い物は、気づけばスゴイ量になっていた。

「これ全部料理するの?」

 ナジュアムは途方に暮れるが、オーレンは腕が鳴りますと嬉しそうだった。それでも、さすがにすべてオーレンまかせにするのも気がとがめた。


「なにか手伝おうか」

「じゃあ、イカをさばくの手伝ってもらえますか?」

「いいよ」


 ナジュアムはイカのはらわたを抜き、くちばしを抜き取り、皮をはいでいく。その様子をちらりと見たオーレンは、手つきに納得したらしく任せてくれた。


「ナジュアムさんって、実は結構料理できますよね」

「一通りはね」

 じゃあ、どうして食糧庫が空っぽだったのか、とでも言いたそうな顔つきだ。以前にも似たような会話をして、面倒だと回答してあるからか、彼は口をつぐんだ。


 イカはマリネになり、フライになり、イカ墨のリゾットにもなった。

「ナジュアムさんが一緒に作っってくれたからかな、いつもよりもおいしい気がします」

 オーレンがまた、嬉しくなるようなことを言う。


 本当に困った色男だ。

 彼はきっと、ここでひととき羽を休めるだけの美しい蝶に過ぎないのだ。夢中になるなんてどうかしている。

 だけどまさか、道端で拾った男にここまで胃と心を掴まれてしまうなんて誰が想像できただろう。


 ナジュアムはそっと、オーレンがパスタをきれいに巻き取って上品に口へ運ぶ様子を盗み見た。味に満足したのか、彼の口角がわずかに上がる。

 視線に気づいた彼はふわりと微笑んだ。


「美味しいですか?」

 いつものお決まりのセリフが、やけに甘く聞こえた。


 そんなんだと、いつか本当に襲ってしまうかもしれないよ。

 最初の時ほど気軽に言えなくなった不埒な言葉を、ワインと共に流し込んだ。





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